家出
「シリル様。行きますよ」
__深夜。ウィルオール殿下に預けて、すでに眠っているシリル様を起こして見下ろして言う。シリル様は、寝ぼけ眼で私を茫然と見ていた。
◇
__数時間前。
リクハルド様を眠らせて、落ちこんだ気分でシリル様を迎えに来れば、ウィルオール殿下と鉢合わせた。
「キーラ嬢。こんな時間に迎えに来たのか?」
「すみません。ご迷惑でしたよね……でも、シリル様に会いたくて」
「俺は迷惑ではないが……シリルはすでに寝ているよ」
そうだと思う。でも、リクハルド様と一緒に寝られなくて、行き場所が私にはなかったのだ。クリストフ様は今夜は忙しそうだし。
「ずいぶんと大人しいな。何かあったか?」
「何もないです」
本当に何もない。リクハルド様は私に手を出さないと約束して、私に眠らされて今は熟睡中だ。
「だが、ちょうどいい。一緒に俺と別荘に行こう」
「……ええーっと……なぜ?」
「子守りの礼をしてくれると言っただろう?」
「言いましたけど……それが別荘へのお供ですか?」
「そうだ」
そうだと自信満々で言われても、突然の提案に首を傾げてしまう。
「キーラ。はっきり言おう」
「何でしょうか?」
「君は、王都で雷霆の槌を使ったね」
「ええ、バッチリ使いましたわ」
「そのせいで、父上である陛下に先ほどまでずっと呼び出しを食らっていてだな……」
「な、何の理由で?」
思わず背筋の血の気が引く。私のせいでウィルオール殿下が陛下からお小言をもらっているのだ。
私のせいで、今までは陛下に怒られていたと言いたげにウィルオール殿下が怒った笑顔で言う。
「雷霆の槌を使った理由は、まぁ、リクハルドのことだろうが……陛下には、出産証明書の探し方を考えろと、ずいぶんと絞られた。エレインを監禁するのもやめろとうるさいし……おかげで、俺は今から別荘で謹慎だ」
シリル様の出産証明書のことは、ウィルオール殿下に一任されていたらしい。シリル様はリクハルド様の子供で、リクハルド様はウィルオール殿下と友人と呼べるほどの仲だからだろう。
「そ、それで、私がお供に?」
「陛下に、雷霆の槌を使った理由を誤魔化すのに苦労したんだけど?」
誤魔化したのは本当だろうけど、ウィルオール殿下の飄々とした性格では苦労はしてないと思うが、リクハルド様とルミエル様に腹が立って極大魔法を使った私には何も言えない。
だけど、今はリクハルド様に会いたくない。
「だから、一緒に行ってくれるね?」
「いいですよ。お供いたします」
私には、どこにも居場所がない。お父様は外国に私を置いていってしまったし、マクシミリアン伯爵邸にも帰りづらい。
「ああ、良かった。では、すぐに出発しようか」
「ええ、シリル様も連れていきましょう」
「それはいい。シリルは可愛いからな」
「同感ですわ」
ウィルオール殿下と意気投合して、私は何も持たずにシリル様を深夜に起こしてそのまま、ウィルオール殿下の別荘へと出発したのだった。
「なんだか、浮かない顔だね」
ウィルオール殿下の別荘へと向かう馬車のなかで、むすっとしてウィルオール殿下を睨んだ。リクハルド様の望み通り彼を眠らせて、今はウィルオール殿下の馬車の中にシリル様と三人でいる。
「リクハルドが気になるのか?」
「それは……少しありますけど……」
「悩みは違うことのようだね」
ウィルオール殿下は鋭い。悩んでいるというよりは、私は落ち込んでいた。
膝の上で寝ているシリル様を撫でれば、リクハルド様の言葉がまた頭に浮かんだ。
『あれはシリルのものだ。爵位も、ヘイスティング侯爵家も……両親を不当に失っても、幼いシリルには何もできない。それを、俺が取り戻そうとするのはおかしいか?』
リクハルド様の言っていることは間違ってない。彼はシリル様を大事に想う父親なのだ。だから、間違ってなくて……。
「そう言えば、リクハルドはどうした?」
「魔法で眠らせましたわ」
「あの、リクハルドを?」
「抵抗しないから、魔法で眠らせてくれとか言っていました」
「それだけか?」
「うっ……」
ウィルオール殿下が、驚いたように聞いてくる。
『キスで眠らせて』とか言っていたことは、恥ずかしくて言えない。
「キーラ嬢は、意外と初心なものだな」
赤ら顔で恥ずかしそうにした私を見て、ウィルオール殿下がくすりと笑う。
「……私はまだ、子供ですか?」
「子供とは思ってない。が……歳を重ねれば、抵抗があったものがなくなることはある」
「夜伽もそんなものですか?」
「それは、そうだな……だから、リクハルドのことは気にするな。だが、少し失言だったな」
リクハルド様とルミエル様のことは、心の通わない関係なのだろう。言いたいことはわかる。すでに、もう気にもしてない。なぜなら、暴れてスッキリとしたからだ。いや、それ以上に気になっているのは……。
「うぅーん……」
すると、シリル様が寝ぼけ眼で起きた。
「あら。起きましたか?」
「キーラ様?」
「おはようございます」
「おはようございます。会いたかったです」
迎えに来たことを嬉しそうに頬を染めて言うシリル様が、そっと抱きついてきた。
「あれ、ウィルオール殿下?」
「おはよう。シリル。気分はどうかな」
「いいですけど……ここはどこですか?」
馬車の窓から朝日が差しているのを、シリル様が不思議そうに見る。
「ここは、俺の馬車だ。今から別荘に行くのだよ。もうすぐでつくが……」
「別荘?」
「ああ、湖もあるぞ。リュズとも遊び放題だ」
「リュズ?」
馬車の座席で腹を見せて寝ているリュズをシリル様がポンポンと叩いて起こす。
「リュズ。起きて」
「きゅぅぅ……」
「見て、お外が綺麗だよ」
「きゅ!」
リュズを抱っこしたシリル様が窓の外を見る。初めて見る朝日のように一人と一匹で眺めていた。
◇
__翌朝。キーラのキスで眠り、目が覚めた。隣にいるキーラを抱き寄せれば、柔らかい枕の感触でハッとした。はっきりと覚醒して抱き寄せた物体を見れば、眉間のシワが寄った。
「……」
一緒に寝ていたはずのキーラはいなくて、ぬくもりさえもない。苛ついてベッドから起きてキーラを探すが、彼女はどこにも見当たらなくて全身の血の気が引いて青ざめていた。




