近づく距離
久しぶりにクリストフ様と食事をして邸へと帰ると、リクハルド様が玄関外の階段にやさぐれた雰囲気で座り込んでいた。
「リクハルド様? どうされました? 不良の真似事ですか?」
リクハルド様のそばに寄って聞くと、怒っているような雰囲気だった。
「遅かったな。どこに行っていたんだ?」
「お食事ですわ。ケヴィンにお伝えしてましたけど……何か、ご用がありました?」
不機嫌な様子でリクハルド様が立ち上がると、勢いよく腕を掴まれて玄関扉に押さえ込まれた。
「……っつ!?」
考える暇もなく、力任せに唇を塞がれた。突然のことに驚いて、動揺したままでリクハルド様を押しのけようとした。
「……っリクハルド様!」
リクハルド様を押しやるが、彼の力が強くて腕から逃げられない。突然のことに顔が赤くなる。彼を見れば、冷たい瞳で私を見据えた。
「……婚約者は俺だぞ」
「し、知ってます!」
上ずった声で応えると、リクハルド様の顔がもう一度近づいてくる。無理やりなキスに動揺して、抵抗すれば私の爪がリクハルド様の顔を引っ掻いた。
その拍子にリクハルド様の力が緩み、思いっきり突き飛ばした。
リクハルド様は、顔を押さえて横を向いている。しかも、下を向いているために表情が見えないでいる。
「し、失礼します!!」
そう言って、背後にある扉を落ち着きなく開けて、階段を駆け上がって部屋へと飛び込んだ。
動悸が収まらない。ずっと胸がばくばくしている。
「お、お水っ……」
気持ちを落ち着かせようとして慌てて水差しに手を伸ばすと、ハッと気付いた。
テーブルの上には両手いっぱいの花束とケーキの入っている箱とクマの形のクッキーが置いてあり、メッセージカードまであった。
__キーラ様へ。
シリルより
名前だけのメッセージカード。子供が書いた不器用な文字。それだけで、私には嬉しいものだった。
「どうしましょう。字まで可愛いですわ」
そっとケーキの箱を開ければ、私が買ってきていたチョコレートケーキが一つ入っていた。
まさかと思う。このチョコレートケーキは、マクシミリアン伯爵家の料理人が作ったものではない。同じケーキがあるということは、買いに行ったのだ。
花束に視線を移すと、ピンク色で統一されている。両手いっぱいの花束を抱えるといい匂いがした。
「花束なんて、初めてもらったわ」
驚いた。リクハルド様の行動にも驚いたけど、目の前の贈り物にも驚いている。
すると、コンコンコンとノック音がした。リクハルド様だと思うと、先ほどのこともあり、気まずい思いで扉を開けた。
「あの……これ……」
「シリルと俺からだが……少し入ってもいいか? 大事な話がある」
「ど、どうぞ……」
少しだけ距離を取りながら招き入れた。花束を抱えている私を、にこりともしないでリクハルド様が見ている。
「あの……ありがとうございます。花とケーキを……」
「ああ……すまなかった。ケーキをルミエルに譲ったから食べられなかったのだろう。シリルが……気にしていた。それで、急いでシリルと買いに行った」
「もしかして、それで、ルミエル様と一緒に出かけたのですか? ルミエル様と買いに……」
「ルミエルは、足が痛いというから、王都のルミエルの邸まで送っただけだ。買い物はシリルと二人で行った。クッキーは、シリルがお揃いで買っていた。君に贈りたかったらしい」
「ルミエル様とご一緒ではなかったのですか?」
「ルミエルと一緒に行く理由がない」
「じゃあ、晩餐は……」
「晩餐はシリルと二人でだ」
一緒に食事にでも行ったのかと思っていた。ルミエル様とは親しそうに見えたから。
「私、てっきりルミエル様と三人で食事にでも行ったのかと思って……」
「ルミエルが今日来たのは、シンクレア子爵の伝言を伝えるためだ。彼女はセアラの昔からの友人だったのだ」
それで、シンクレア子爵とも未だに交流があるという。シリル様とリクハルド様からの気遣いの籠った贈り物がうれしい。でも、距離を取っている私を見る、目つきの悪いリクハルド様の視線が痛い。
「そうだったのですか……」
だから、リクハルド様と二人で話していたのだろう。なんだが、私だけが疎外感があり、俯いてしまった。
「……シンクレア子爵がシリルに会いたいと言ってきた」
私の寂しそうな様子に気づいたリクハルド様が言う。驚いた。思わず、瞬きも忘れて顔を上げた。
「シリル様に? 今ごろ、ですか?」
呆然と答えた。シンクレア子爵は間違いなくシリル様と血のつながりがある。私とも、引き取ったリクハルド様ともシリル様は血縁関係ではない。でも、シンクレア子爵は違う。
「おそらく、キーラが魔法の契約書を無効にしたからだと思うが……」
「それで、会わせるのですか?」
「そうしようと思う。シリルも、会いに行くことに頷いた」
母方の祖父だ。母親の生家に行けることはシリル様には願ってもないことなのだろう。シリル様は、母親をずっと慕っているのだ。
「いつ、会いに行くのですか?」
「明日には出発する予定だ。数日だけ滞在を認めようと思う」
「そう、ですか……」
母親の肖像を嬉しそうに見ているシリル様を思い浮かべれば、反対などできずに表情が暗んでしまう。
リクハルド様の不器用な話を聞きながら花束を置けば、ケーキを見ながら彼が言う。
「キーラがいないから、ケーキも部屋に置かせてもらった。溶けてはないと思うが……」
明日には出発するから、今夜は一緒に食べるべきだった。食事すら別になってしまっていた。
「……晩餐も一緒にすればよかったですわ」
「シリルも、楽しみに待っていた」
何だか、シリル様が落ち込む姿が頭に浮かぶ。一人の晩餐になるかと思って、出かけるんじゃなかった。
「もしかして、それで怒ってましたか? すみません……」
「いや……さっきは悪かった……少し苛ついていた」
申し訳なさそうに口元を隠してリクハルド様が言う。でも、経緯を聞けば、勝手に勘違いして出ていった私も悪かったと思う。
「あの……お花もありがとうございます。初めていただきました」
「本当に?」
そう言って、リクハルド様が優しく手を取って口づけをした。先ほどの強引な様子とは全然違う。
「……婚約は何度もしましたけど、みんなラッキージンクス目当てですから。私と結婚した方なんていませんよ。こんな風にしてくださったのは、リクハルド様が初めてです」
こんな風に私を気にしてくれたのも、リクハルド様が初めてだと思う。
「もしかして、気にしてくださったのですか? ケーキのことも、シンクレア子爵のことも……」
「謝ろうと思って……詫びも必要だろう。シリルの話もキーラにはすべきだと思っていたから……」
「私に?」
「大事な婚約者だからな」
優しい声音でリクハルド様が言う。彼を見れば、私が引っ搔いた赤い痕が頬に残っていた。
「頬を傷つけてごめんなさい……」
「いいんだ。わざとではないとわかっている」
もう一度、愛おしそうにリクハルド様が私の手に口づけをしてきた。
「もう一度キスをしても? 今度は無理やりしない」
呆然とリクハルド様を見れば、そっと彼の顔が近づいてきた。




