火花散る 1
――翌朝。
リクハルド様が仕事へと行く。そのために、お見送りに来ていた。
「……シリル様は、お見送りに来ないのですか?」
「シリルは、人見知りだ……あまり、人と打ち明けない」
昨夜の食事で歳を聞けば、シリル様は五歳だと言う。母親はシリル様が幼い頃に他界して、リクハルド様はお世辞にも優しい雰囲気ではない。子供の教育としてどうなのだろうか。
うーんと考え込んでいる間に、リクハルド様に外套マントをかける令嬢がいた。
「リクハルド様。お気をつけてくださいね」
「……シリルを頼んだぞ」
「もちろんですわ」
その令嬢を、リクハルド様が手で避けて私の前にやって来た。
「キーラ。昨夜は紹介できなかったが、こちらはシリルの教育係であるルイーズ・ウェルティ子爵令嬢だ」
「シリル様の教育係……では、シリル様にお会いするときは、お伝えしたほうがいいでしょうか?」
「シリルに?」
「はい。だって、同じ屋根の下で暮らしますから……朝の挨拶はしたいですわ」
「そうだな……」
リクハルド様が、外套マントを羽織っている手が一瞬だけ止まった。一瞬だけだけど、驚いたのだと思う。しかし、まったく感情が表に出ないせいか、驚いたかどうか自信を持って言えない。
そのうえ、ジッとリクハルド様に見つめられると眼力が強すぎて怖い。直視できないでいると影が差した。顔を上げると、リクハルド様の顔が近づいてきていた。
頬にそっとリクハルド様の唇が触れた。
「あの……」
「婚約者への朝の挨拶だ。では、行ってくる」
リクハルド様が淡々と言い、玄関前に準備された馬車に乗り込んで出発してしまった。
残された私は頬を押さえて呆然としていた。
♢
リクハルド様はよくわからない人だ。でも、あの素晴らしい外見だから、シリル様がいても、婚約の申し込みは多かったはず。選り取り見取りだと思う。
『私と婚約をすれば、真実の愛に出会える』そんなジンクスに頼る必要はない気がする。それとも、彼は真実の愛を求めているのだろうか。そんな夢見る伯爵様には見えなかったけど。
それにしても、大きな邸だ。お城ほどもあるマクシミリアン伯爵邸は広すぎて、一日では回れない気がする。
広い邸に多くの使用人たち。今も、メイドたちがおしゃべりをしながら仕事に精を出していた。
「お菓子が捨てられているわ……いいのかしら?」
「でも、ルイーズ様が決めたことよ。私たちは何も言えないわ……シリル様はお菓子が嫌いだというし……」
「子供なんだから、お菓子ぐらい食べればいいのに……」
「睨まれたら、解雇されるわよ」
「ううっ……それは、困るわね」
お菓子? 何の話しだろうか。でも、お菓子には心当たりがあった。もしかしてと思わずにはいられない。
「……あの、今のお話ですが……」
「奥様!? も、申し訳ありません」
いや、奥様ではありません。まだ、結婚をしてないですし、実際に結婚するかどうかはわからない。なぜなら、私はラッキージンクスの令嬢と呼ばれて、ラッキージンクス目当ての婚約しかしたことがないのだ。
「大丈夫ですよ。おしゃべりを咎めるつもりはないですから。それよりも、シリル様はお菓子が嫌いなのですか?」
「はい。だから、いつもお菓子は食べられなくて……」
「でも、お茶の時間はどうされているのですか? 子供にもアフタヌーンティーの時間がありますよね」
「それは……私たちには、わかりません。申し訳ございません」
お菓子が嫌いなら、あんなに頬を紅潮させるだろうか。
「嬉しそうに見えたのだけど……」
シリル様に余計なことをしてしまった気がする。メイドたちは、緊張したままで仕事の手が止まっていた。
「ごめんなさい。仕事の邪魔をしてしまったわね」
「いえ、そんな……」
「お邪魔したついでに、シリル様のお部屋を教えてくださるかしら?」
にこりとして言うと、メイドたちが顔を見合わせた。
「あの……今は仕立ての時間ですので……ルイーズ様が静かにするようにと言われて、訪問を嫌がるんです」
「そうなの? でも、邪魔はしないわ。様子を見るだけだから……お願いします」
両手を合わせてお願いすると、メイドたちが言いにくそうに教えてくれた。