やらかした
剣術の授業の後にも座学の授業があったのだが、ラティウスは疲れ切って寝息を立てていた。俺も疲れていたが、寝るわけにはいかないと気力だけで授業を乗り切ったために、授業の内容自体は何も覚えてない始末だ。
なんとも情けない授業態度だが、さらに情けないことを剣術の授業でしてしまっていた。
学校の授業が終わると、すぐに自室に戻ってきた俺は恒例となっている行動としてベッドに倒れ込んだ。
今回は精神的疲労が原因ではなく、剣術の授業でやってしまったことが原因だ。
やってしまったこととは、ラティウスとの決闘でほぼ互角に戦ってしまった件だ。
本来のグリオットならおそらく初撃か、二撃目で決着が付いていたはずだ。それを教師が止めるまで戦い抜いてしまった。
前回、ラティウスに完敗したはずのグリオットが一ヶ月程度で突如、強くなったことになり、どうして急にと疑問をもたれてしまう。実際、ラティウスは疑問を口にしていた。クラスメイト達も実際に口にはしないまでも、疑問に思っているはずだ。さすがにまだ中身が違うことまでは気付かれないというか、そんな発想はする人はいないはずだが、疑問を持たれるのはよくない。
なによりも、下手にこれをきっかけとして、ラティウスと仲良くなることは避けなくてはいけない。
ラティウスと仲良くなることは、グリオットとして絶対にありえないことだ。
元平民と蔑んでいた人間と仲良くしていては、いずれ発生する国王暗殺に関わる機会が失われてしまうかもしれない。グリオットの父であるキリシュは、かなり根深い貴族主義者の人間だ。息子が元平民と仲が良いと知られれば、最悪の場合、勘当すらありえる。
「明日からは注意をして、嫌われる行動をとっていくか」
嫌われる行動とはなんだろうと考え、自分がされたことを思い出そうとした。
日々の罵倒や蔑み。
各種学校行事での贔屓。
平民クラスに対するイジメ。
ラティウスと親しい人間への嫌がらせ。
「若い頃の俺は結構、我慢強かったのか。いや、そうだ……何度かグリオットを殴ろうとしたけど、周囲に止められたんだった」
公爵家の嫡男相手なので実際、殴っていたら、最低でも学校は退学にされていただろうし、副騎士団長だった父親にも何かしらの責任を負わせられていたかもしれない。
「俺に手を出させるのが目的だっただろうしな。改めて嫌なヤツだったよ」
過去のグリオットに対して考えるのは放置して、今後、嫌われる行動として自分で出来ることを考える。
グリオットを演じるためとはいえ、イジメや嫌がらせはハードルが高い。罵倒や蔑み、公爵家という立場からの贔屓というのが妥当だろう。
贔屓については、俺が何かしなくても周囲が今日の剣術の授業のようにグリオットを持ち上げて、ラティウスを罵倒したりするだろうからなんとかいける。
「罵倒か。適当に元平民がって言うだけでいいか?」
基本的に互いに嫌っているので、会話する機会は少ないとは思うが、一旦は罵倒を言って嫌われるように行動しよう。
「……腹が減ったなぁ」
朝と夕の食事は平民クラスの生徒、貴族クラスの生徒も普通は寮の食堂に食べに行くのだが、グリオットに関してはフォレノワール家の専属料理人が部屋まで運んできていた。グリオットは食堂で大勢と一緒に食事を取ることを毛嫌いしていたようだ。
すでに始まっていた部屋で食事をするという習慣を変える気はなかったので、受け入れていたが、一人での食事はやや寂しさを感じていた。専属料理人は部屋の隅に控えているのだが、会話をする相手ではなく、静かに控えているだけだ。
「街の様子を見るついでに食事をしてくるか」
過去の街がどのようになっているか、気になっていた。
学校や若い俺を含めたクラスメイト達の様子に記憶から大きく乖離しているところはない。
街については学校に来る際、馬車の窓から眺めた程度なので、どこかに記憶とは違っている箇所がある可能性はある。
俺に起こっている状況が何を原因にして起こっているのか、分からない以上は出来る調査はしておきたい。どこに解決の糸口があるのかも分からないのだ。
一番可能性があるのは王国の書庫ではあるが、報告がいつあるか分からないのをただ待っているのは、時間がもったいない。
「変装して出かけないとな。万が一にでも学校の人間に見られると困る」
変装する理由は、公爵家であるグリオットが一人で街中を歩いていると、知られれば学校内で噂になるからだ。そして噂は間違いなく家にまで届くだろうから、父親の耳にも入る。そうなると理由など聞かれるだろうから面倒だ。
「変装道具は、こっちの荷物に入れていたはずだが……」
俺は屋敷から持ってきた荷物の中に忍ばせておいた変装道具を探す。荷物の中身の大半は服ではあるが、部屋の芳香剤や、実家の部屋で見たことがある小物のインテリアが丁寧に梱包されていた。学校の個室で出来る限り、実家のようにして快適に過ごしてもらおうという心遣いを感じる。
「梱包の指示はアントルだな。気が効く人だ」
アントルの有能さを感じるたびに、フォレノワール公爵家の起こした事件に巻き込まれて死んでしまったのが悲しい。
用意しておいた物はどこだと荷物の底をあさると、毛染め薬と伊達メガネを見つけた。若者が気分で自分の髪色を変える時に使う物だ。
髪色を元に戻す薬も一緒に持ってきているので、街の探索を終えたら元に戻すことも容易だ。
毛染めで髪色を変え、さらにメガネをかけておけば、近づいて話しかけられでもしない限りは他人の空似などで誤魔化せる。
「髪色の種類は赤、茶、黒とあるが、黒でいいな。一番目立たないだろう」
黒髪に染めることを決めると、個室に備え付けれている洗面台へ行って髪を染める。
亡くなる前は行ったことがない作業だったので、手間取りはしたが、なんとか金色の髪を真っ黒に染めることが出来た。
準備を終えた俺は誰にも見つからないようにしながら、学校の寮を出た。