婚約者
部屋を出ると即座に小声でアントルに詰め寄る。
「誰なんだ、あの子は!? いや、なんとなく口ぶりから想像は出来ているんだが」
「想像通りでございます。あの方はメディシス・ラクレーム。メディシス伯爵家の御息女にして、グリオット様の婚約者でございます」
公爵家の子息であるグリオットに婚約者がいるというのは、当たり前のことだ。一族の繁栄、貴族同士の関係を深めるために政略的に行われるのは常だ。大抵の婚約というのは親同士が勝手に決めたモノなので、肝心の子供同士は仲が悪かったり、ある程度割り切って、仲良くしていたりと様々なので、好意を持った同士が婚約しているというのは貴族社会では珍しい。
グリオットの場合はかなり一方的に好意を持たれているようだが。
「メディシス伯爵家……」
俺は生前の記憶を探って、メディシス伯爵家がフォレノワール公爵家とは親交が深かった家だと思い出す。しかし、グリオットがメディシス伯爵家の息女と婚約していたとは知らなかった。グリオットの情報として報告自体はされていたかもしれないが、俺自身がグリオットに対してさほど興味がなかったために、一部情報を聞き逃していた可能性がある。
「婚約者だというのは分かったが……何故、彼女は屋敷に? 俺のベッドに居たんだ? 婚約者なら普通に訪問してくるものじゃないのか」
「私も詳しい事情は存じておりません。私はただ、メディシス家からラクレーム様がグリオット様の屋敷に朝早くに向かわれたと緊急連絡があったので、慌てて駆け付けたのです」
「かなり突飛な子だというのは十分に理解はした。いつも……なのか」
「いつもですね。グリオット様はいつも振り回されておりました」
我が儘で自分勝手さの塊であったグリオットが振り回されていたとは想像が出来ない。メディシス家は伯爵家なので、公爵家の立場から強気に出られたはずだ。
「グリオット様、それゆえにラクレーム様はグリオット様のことをよくご存知です」
「っ!? それは……気をつける必要があるな」
既にアントルにはグリオットの体の中身が未来で天寿を全うしたラティウスだということはバレてしまっているが、この事実は周囲を混乱させるだけなので秘密にしなくてはいけない。仮にグリオットの父親であるキリシュにバレてしまった場合は、俺に未来で起きることを話させ、自分の権威と富をさらに高めようと暗躍する可能性が高い。キリシュのような貴族主義で増長していた人間が今よりもさらに権威を持ってしまったら、それは俺の知る未来とは異なり、国が衰退してしまうだろう。
国を衰退させないためにも、俺が天寿を全うした歴史通り、可能な限りでこの先も歴史を進ませなくてはいけない。
そう可能な限りだ。
俺は廊下に控えていたメイド達の中にいたクローセさんに視線を送る。
クローセさんは本来、俺が知っている歴史では既に死んでいる。彼女に死んでほしくないという俺の我が儘で彼女の命を救ったのだから、その責任は取らなくてはいけない。彼女が生きていても、歴史が変わらないようにと行動しなくてはいけない。
なので、想定外の状況になるのは避けたい。
「グリオットが知っているであろう彼女の情報を教えてくれ」
「お時間がある時に詳細に。今は一旦コレで凌いでください」
アントルから小さな紙が手渡された。見てみると細かい文字でグリオットが彼女をラクレームと呼び捨てにしていたことなど情報が可能な限り、書き込まれていた。
「助かる……凌いでみせるさ」
「ご武運を。では、早く戻られませんとラクレーム様がまた突飛な行動をしてしまいます」
「そうだな」
俺は一度、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしてから、自分の部屋へと入った。
「ん?」
俺はベッド付近に居ると思っていたラクレームの姿が見当たらないので首をひねる。俺の部屋自体は広いので、人が隠れられる場所は棚の裏などにあるにはある。だが、ラクレームが着ていたドレスを考えると、ドレスの裾部分はハミ出してしまっているだろう。
棚や人が隠れられそうな場所に視線を移すが、ラクレームの姿もドレスの裾も見えない。
「どこに行った?」
「ここですわーー!」
聴覚を打撃する大声と共にラクレームが背後から抱きついてきた。