士官学校が始まる
休みが終了して学校が再開される日、俺は大勢の使用人達に見送られながら馬車でアンスバイン王国軍士官学校へと向かっていた。
馬車に揺られながら今後のことを考える。
屋敷で引き続き情報収集を行ったが新しい情報は特になかったが、今の時代の情報を聞くことで朧気だった昔の記憶が鮮明になっていた。俺が知っている歴史通りに進むのであれば、この後に何が起こるのか分かる。楽しいことも、不幸なことも。もっともそれを実際に経験するのはグリオットになっている俺ではなく、居るであろう若い頃の俺、ラティウスだ。
モヤモヤした感情を抱えながら今後の行動について悩んでいると付いてきたアントルが心配そうに様子を伺ってくる。
「どうかしましたか、グリオット様。久しぶりの学校で緊張でもされておりますか?」
「緊張なんかしてはいない。悩んでいることがあるだけだ」
「悩み……ご当主様の件でしょうか。せっかくグリオット様が屋敷に戻っておられたのに、タイミングが悪く一度も会えませんでしたな」
グリオットの父であり、フォレノワール家の現在当主であるキルシュ・フォレノワール。
彼に対しても良い印象はまったくない。臣民公爵貴族としての権力だけで国政に割り込み、利益を貪っていた人物だ。今は国政が地方に行き届いているか視察と称して各地を巡っているらしいが、実際はその地方にいる貴族にもてなされるのが目的の道楽旅だ。国のためではなく、自らの権威を確認して悦に浸るのが目的だ。
屋敷も子供も全て使用人達に任せてばかりだ。良い父親ではないはずなのだが、グリオットはそれでもキルシュを慕っていた記憶がある。自分も父親のように権力を振りかざしたかっただけなのかもしれないが。
「悩みは父上のことではない。政務で忙しいのだ。仕方ないだろう」
「お手紙を出されますかな。以前はよく出されていましたが、今回はお休み中一通も出されていませんでしたね」
「っ!?」
父親に手紙を出していたのか。
確かに考えてみれば近況報告として手紙の一通くらいは出しておくべきだったかもしれない。転移後の自分のことだけで精一杯だったから、手紙を書くような精神的余裕は一切なかった。
「……そうする。休み中は気が抜けていたので忘れていた」
「ぜひ、書いてください。ご当主様も喜ばれるでしょう」
喜ばれると言われるとキルシュの喜ぶことはしたくないのだが、今まで手紙を出していたのに一切出さなくなったのでは不審がられるので仕方なく出すことにしよう。
グリオットがどのような文脈で父親に手紙を書いていたのだろうかと悩んでいるうちに学校へと到着した。
馬車を降りて、アントルと別れて校門へと向かうと同年代の男女が駆け寄ってきた。
「グリオット様! お久しぶりです!!」
練習したのかと思うほどに、揃った掛け声を出した二人は頭を深く下げた。
「……マチェスとブラウか。数日前にも会っただろう。久しぶりか?」
まだ幼さの残る顔立ちをしている男子生徒の方はマチェス、化粧のせいか、やや大人びた印象がある女子生徒の方はブラウ。二人はバックハス子爵家の双子だ。同時に生まれてはいるが、男子であるマチェスが兄ということになっている。子爵家であるためか、等級が上である公爵家であるグリオットによく付き添っている。彼らも彼らで親に言われているのかは分からないが、公爵家の権威にすがろうとしているんだろう。
「グリオット様に一日でも会えないのは、とても寂しいのですよ」
「その言い方は少々気持ち悪いな」
俺に言い方を否定されたマチェスの表情が一気に青ざめた。
「も、申し訳ございません。不快にさせるつもりはなかったのです」
青ざめた兄を庇うようにブラウが一歩前に出て再び頭を下げた。
「すいません、自分からも謝罪します。マチェスは気持ちが先走ることが多く、言葉が足りないことがあるのです。お許しください」
「許すもないも、別に怒ってはいない。少し感想を言っただけだ。聞き流せ」
「ありがとうございます!」
揃ったお礼を述べて二人は顔をあげる。
マチェスとブラウのことは休日中に屋敷を尋ねに来たところで、ようやく存在を思い出せていた。グリオットといつも一緒に居た二人組で、卒業までは三人組で行動していたと記憶している。
ラティウスとしては、卒業後に二人とは再会することはなかった。フォレノワール公爵家の騒動の時も、名前を聞かなかったと思うのでグリオットとも卒業後は距離を取っていたのかもしれない。
フォレノワール公爵家が王族に反乱しようとしているのを知って、グリオットから離れていったのだとすれば良い判断力だったと思う。
「では、教室へ向かおうか」
「お供します」
マチェス達を連れて教室へと向かう。
迷うかもと不安だったが、歩いているうちに校内の構造を思い出すことが出来て、教室まで辿り着けた。
校内ですれ違う学生達や校内の壁の張り紙などから、青春時代に記憶の断片が脳裏を駆け巡って、思わず涙ぐんでしまう。
「ど、どうされました!?」
突然、涙を流した俺を心配してマチェス達が声をかけてきた。
「なんでもない。ちょっと目にゴミが入っただけだ」
「ゴミですか? 学校が休みの間にも清掃は入っていたはずですが……手抜きですかね。注意しましょう!」
「この程度のことで騒ぎ立てるな」
「はぁ、グリオット様がそうおっしゃるなら」
マチェス達が怪訝そうな表情を浮かべた。
「どうかしたのか?」
「いえ、以前ならば清掃した人物を呼びつけるなどされていたのにと思いまして」
「……はぁ?」
グリオットがしていた行動に情けない疑問の声が出てしまう。そんなくだらないことをしていたのか、こいつは。
グリオットは俺の想像以上に傲慢な行動をしていたようだ。
「そ、そんなことはもうしない。呼びつける方が時間の無駄だ。ほら、二人共、さっさと教室に入るぞ。席までカバンを頼む」
俺はマチェスにカバンを預けると二人を教室内へと押し込んだ。
強引な行動だったが仕方がない。教室までの道のりはなんとか思い出すことは出来たが、さすがにこの時期のグリオットの席までは思い出せない。自分の席ならまだ思い入れがあるので、大まかな位置は思い出せるが、何の思い入れもないグリオットの席は無理だ。なので二人に席まで案内してもらおうとしている。
二人は俺の先ほどの言動に違和感を感じているようだったが、指示された通り、俺のカバンを教室の後方にあった席まで運んでくれた。
「ご苦労」
礼を述べて、席に座ると教室内を見渡す。
教室内にも懐かしさが溢れていたが、今は懐かしさに浸るよりも先に探すものがあった。記憶にあった教室内のある方向に視線を向けると、黒髪と赤髪の男女が前後の席で向かい合っていた。
黒髪で快活そうな男子学生は若い頃の俺、ラティウス・バルシュネー。赤髪で勝ち気そうなツリ目の女子学生はラティウスの幼馴染、トルテ・アプフェル。
想像していた光景だったが、若い頃の自分が視線の先にいるというのはどうにも奇妙で不気味だ。
俺がグリオットの身体に入っているのは、俺の若い頃の身体に何かあったからではという考えもあったが、とりあえずは元気そうで安堵する。
少し距離はあったが、よく見ることが出来た俺の顔はやや疲れ気味で頬に擦り傷などが目立っていた。きっと副騎士団長の父親に休日中もしっかりと鍛えられたのだろう。
俺の視線に気付いたトルテが殺意が込められた視線を送り返してきた。下手に近づいたら、首を食いちぎられそうな獰猛な番犬と相対している圧がある。
グリオットはこんなにもトルテから嫌われていたのか。
このトルテの殺意が込められた視線を受けながら、よく俺にちょっかいをアレほどかけてきたものだと感心してしまう。
「あいつ、グリオット様を睨むなんて無礼にもすぎますよ! 元平民のくせに!」
ブラウがトルテを元平民と呼んだことで、この時期はそんな呼ばれ方をしていたのを思い出した。
俺がいるクラスは貴族の子供達しか在籍していないクラスだ。士官学校には平民の子供も通っているが、貴族と平民とでは学舎で分けられている。
ラティウスとトルテの家は元々平民であったが、二人の父親が国王から男爵位を授かったことで貴族となった経緯があった。
両家が貴族になったのはラティウス家は父が副騎士団長、アプフェル家は父が宮廷魔法使いに任命された時だ。
貴族の位としては低い男爵位であっても国王から認められた貴族であることには変わりないのだが、貴族としての歴史が長い家々の人々は貴族となって日が浅い者達を元平民と差別することがあった。
「まったくだ。学校が休みの間に少しは長い間、王国を支えてきた我々貴族との違いを学んでくるかもと思ったが、どうせ遊び呆けていたんでしょうよ。マグレで貴族の地位を得たので浮かれているのです。卑しい奴らだ」
マチェスもブラウに続けて、ラティウスとトルテを貶す言葉を吐いた。
「二人共、口を慎め。思い込みで彼らを非難するのは卑しいぞ」
若い頃の自分達の悪口を言われてたので、少し強い口調になってしまう。
「グリオット様? その……どこか体調が悪かったりするのでしょうか」
「いや、健康だ。どうかしたのか?」
「グリオット様にしてはあいつら元平民に対する扱いが緩いと思ってしまいまして」
「そうか……」
確かにグリオットなら二人の言葉に乗って、ラティウスとトルテにちょっかいを出していたかもしれない。が、俺にそこまで道化を演じられる自身がなかった。無理にグリオットを演じてもどこかでボロが出そうだ。
「あいつらに対する扱いというのなら、睨まれた程度で反応していては、元平民と同じ舞台に上がることになってしまう。歴史ある貴族としては睨まれた程度、そよ風として受け流してやるのが優雅だと思うぞ」
「……さ、さすがです! グリオット様。公爵家として素晴らしく広大で偉大な考え方です」
やや適当に言った言葉だったが、ブラウ達二人は無駄に持ち上げて、賛同してくれた。心の底から賛同してくれたかは分からないが、表向きは賛同したのだから少しはトルテ達に対する態度は落ち着くだろう。
再びラティウス達の方を見るとトルテがラティウスに宥められていた。二人のそんな姿に懐かしさを感じていると教師が入ってきて、朝のホームルーム開始を告げた。