転移初日の夜
「なんとか乗り切った……」
緊張が続いたグリオットとしての一日の予定が終わり、部屋に戻った俺はベッドに倒れ込んだ。肉体的に若いこともあって十分元気ではあったが、精神的な消耗は激しかった。
グリオットをよく知る人達に不審がられないようにと行動するのに神経を使い、グリオットの傲慢さを演じなくてはいけない場面もあったので俺、本来の性格との不一致からの罪悪感でさらに精神負担が増した。
「疑問は一つも解決出来なかったが、分かったことはあった」
一日過ごす中で、それとなく現在の日付や国の状況について使用人達に聞いたところ、日付は俺の死んだ時代から八十年ほど過去で、俺の前の王であるリンゲン王が統治なさっている時代。
グリオットが士官学校に入学して二ヶ月経っている時期だ。士官学校は一律で寮暮らしなのだが、今は学校の長期休暇期間で皆、家に戻っている時期だったらしい。
「学校に入学して一年目ということはグリオットの歳は十五か……若いな。自分の身体じゃないから違和感はあったが、それでも十分に動けた気がする」
亡くなる直前は寝たきりの生活が長かったこともあって、久しぶりに身体を目一杯動かせたことは気持ちが良かった。
グリオットとしての身体能力は直接、教師を雇って剣術や魔法の訓練をしているだけあって鍛えられていた。
朧気な俺の記憶の中でグリオットはろくに戦えない印象があったので意外だった。身体能力的には同年代である若い頃の俺と比較しても、それほど差はないと思う。
「若い頃の俺? そうだ! 若い頃の俺がいるはずだ! 士官学校に入学して、グリオットと同じクラスだ。今は……実家か。気になるが、覗きに行くわけにもいかないか」
アントルに明日からの予定を聞くと自由に動ける時間がないほど、ぎっしりと詰まっていた。
貴族としての付き合いとして顔を見せに行ったり、訪問されたりする予定がある。
仮に暇があったとしても、フォレノワール家から俺の実家までは馬車でも半日以上はかかる距離がある。行くことは出来ても、その日のうちに戻ってくることは出来ないだろう。一人で忍んでいくのは無理だ。
「学校が始まるまでは若い頃の俺がどうなっているか、確認するのを我慢するしかないな。それまでは引き続き、情報収集か」
この状況がまだ夢か現実か半信半疑だ。痛みも感じるし、空腹も感じる。だが、過去の別人へ意識を転移するなどありえるのだろうか。夢物語としての転生や転移についての話は聞いた覚えはあるが、実際に起こりえるとは思っていなかった。
仮に転移だとしても、どうして俺がグリオットの身体に転移したのか。誰かが行った魔法の結果なのか。だとしたら何のためなのか。理由が分からない。俺を困らせるのが、理由だとすれば十分に達せられている。
俺を困らせるためだけに夢物語でしかなかった転移を行った物好きの神様でもいたのだろうか。
そういう超常的な存在を原因にした方が仕方ないと諦めることが出来る。
が、別の何者かが悪意を持って俺を転移させたのだとすれば、俺はこの国を守るためにその悪意を打ち砕かなければならない。
王だったというものあるが、それ以前から生まれ育ったこの国が俺は大好きなのだ。住んでいる住民全員に愛着がある。全員に幸せに過ごして欲しいと願っている。
「原因を突き止めなくてはな。そのためにグリオットとして過ごしていかなくてはいけないのが、当面の苦労だな」
グリオットの本来の性格を俺は受け入れられない。今日、俺が使用人達がしていた陰口から聞こえたのはグリオットの傲慢な貴族としての性格だ。平民を下に見ていて、貴族がいるから国が成り立っていると勘違いをしている。
貴族だけでは国は成り立たない。平民である国民が居てこそ国が成り立つのだ。貴族は貴族としての義務を負い、平民は平民としての働きをして、お互いに支え合わなければ良い国にはならない。
「そういえばグリオットの傲慢な態度に口論したことがあったな。それで決闘を申し込まれた記憶がある。アレはたしか学校に入学して日が浅い時期だったから……もう決闘は終わっているのか。決闘で俺が勝ったから謝ってもらおうとしたが、有耶無耶にされた気がするな」
決闘後ということは若い俺のグリオットに対する印象は最悪のはずだ。きっと若い俺の身近にいる彼女の印象も。
「俺だけじゃなくてトルテもいるよな、当然」
トルテ・アプシェルは本来の俺、ラティウスの幼馴染であり、将来の妻になる女性だ。
若い頃のトルテに会えるのは楽しみではあったが、グリオットは嫌われているはずなので、きっと睨まれたり、ろくに話をすることは出来ないだろう。
「これからも心労が多くなりそうだ」
直近の心労対象としてこのまま寝てしまうと、どうなるのか分からないという不安がある。
老いたラティウスの身体に戻って、死の瀬戸際をまた経験するのか、起きても、まだグリオットなのか、はたまた別人の身体になっているのか。現状、寝ることには不安しかないが、寝ないわけにはいかないので俺は覚悟を決めてベッドへと潜った。
翌日、朝日に照らされて目を覚ました俺の身体はグリオットのままだった。