天寿全うしたはずなのに!?
眩しさを感じて目を覚ます。
寝ぼけた視界に広がるのは太陽の光が降り注ぐ窓と見覚えのない天井だ。しばらく、ぼーっとしながら窓を見ているうちに意識が覚醒してくる。
自分は天寿を全うして死んだはずだ。
ならばここは天国という場所だろうかと考えもしたが、素肌に感じる太陽の暖かさや寝ていたベッドの柔らかさは日常に感じていたものと同じだ。
多少の混乱を覚えながらここはどこだろうと部屋を見渡してみる。
広くて豪華な作りの部屋だ。調度品のデザインとしては俺の国で作られた物のようで見覚えがある。
しかし、部屋自体に見覚えはなく、家具の種類、配置からしても俺の趣味ではない。誰かの部屋だとしたら俺はなぜ他人の部屋で寝ているのだろうか。
誘拐という考えが浮かぶが、それならば拘束されていないのはおかしい。手足は自由に動くし、体調もいい。
「ん?」
違和感を感じた。
体調がいい?
俺は年齢による衰えに加えて病気でベッドから上半身を起こすのでさえ苦労する身体だった。それが今は楽に起き上がって部屋を見渡すことが出来ている。
不思議に思って俺は自分の身体を確認すると驚きで絶句してしまう。
「若い!? シワなどが一つもないぞ。顔も若い……ようだ」
身体のどこを触っても老人の身体ではなく、若い、それも青年のように瑞々しい体になっていた。
驚きは尽きないが室内に立て鏡を見つけたのでベッドから出て自分の体を確認しにいくことにした。
「これは……誰だ?」
鏡で見た自分自身の姿は俺の若い頃の姿でもなかった。身体が若返っていることから以前書籍で読んだ若返りの魔法など可能性が頭に浮かんでいた。
多少の記憶違いもあるだろうが、俺は黒髪なのに鏡に映っている俺は金髪だ。髪の色については間違いようがない。若い頃の俺でもないとするといったいこれは誰の身体なのか。
「グリオット様、お目覚めですか?」
困惑続きでどうしようか考えていると部屋の外から声がした。部屋の中に呼びかけているので、この身体の名前はグリオットというのだろう。
「グリオット?」
聞いたことのあるような名前だったので首をひねる。
「起床の予定時刻となっております」
「あ、ああ、起きている」
扉の外の人を待たせるのも悪いと思って返事をする。
「では失礼いたします」
「アントル!?」
部屋に入ってきた執事服の老人を見た瞬間に名前が脳裏に蘇った。名前を突然呼ばれた彼、アントル・バーンクーンは長い白髪を横に垂らして首をかしげる。
「どうかなさいましたか? グリオット様?」
「アントル……ということはグリオット・フォレノワール」
アントルの名前を思い出したことで自分の姿が誰なのかを気づく。
グリオット・フォレノワール。
フォレノワール公爵家の長男だ。幼年学校時代から俺に何かと因縁を付けてきた男であり、最終的にフォレノワール公爵家が国王暗殺未遂という大罪を犯したことで追放になった男だ。
グリオットが追放になったのは俺が国王となる以前の話、数十年は昔のことだ。思い出せないのも仕方ない。確か追放になって数年後に病気で亡くなったと報告を受けた記憶が薄っすらとある。
アントルのことを覚えているのは彼がフォレノワール公爵家に仕える優秀な執事だったからだ。
仕事が出来るだけでなく、人格面も素晴らしく、フォレノワール公爵家の抑止力になっていた。
フォレノワール公爵家が大罪を犯すのを止められなかったのは彼の唯一にして最大の失敗だったのだろうと思う。だが、強く責めることはできない。アントルは執事であり従者だ。意見を言うことは出来ても主人の意向には少なくとも表立って逆らうことは出来なかったのだろう。
アントルはフォレノワール公爵家の起こした事件の被害にあって、亡くなっている。彼を説得して味方に出来ていればと強く悔やんだ想いがあったので名前と顔を思い出すことが出来た。
「グリオット様? 顔色がすぐれないようですが、大丈夫ですか? 少しでも体調が悪いようなら医者を手配しますが」
「い、いや、大丈夫だ。心配しないでくれ」
「……本当ですか? いつもとご様子も少し違うようですが」
「本当に大丈夫だ。だが、少しだけ一人にしてくれ。時間を置いてまた部屋に来てくれ」
俺は心配するアントルを無理やり部屋の外に追い出すとベッドへと戻って腰をかけた。
落ち着くために深く深呼吸をした後、状況を整理しようと考えを巡らす。
何がどうなっているんだ?
何故、俺が若い頃のグリオットになっている。悪い夢でも見ているのか。
しかし、現実感はある。太陽の光に当たる肌の感覚、ベッドシーツの感触、息をして心臓が脈打っている動き。どれも俺が生きていると実感を与えてくる
夢の中では痛みを感じないという話を思い出して、手の甲をつまんでみると確かな痛みを感じた。
夢ではない……。
分かっている状況だけで現状を説明すると俺は過去へと戻っていて、何故か意識がグリオットの身体に入っているということか。
くそっ。現状は現状としてそう考えるしかないが、どうしてこんなことになっているのかがまったく分からない。
誘拐でもない。若返りでもない。過去への遡行。それも自分ではない身体へ。原因はなんだ!?
思考が堂々巡りを初めて、知恵熱で頭が痛くなる。
「このまま一人で考え込んでいてはアントルの行っていた通り、体調が悪くなってしまうな。まずはもっと情報を集めよう。部屋の中に居ては何も分からない」
情報を集める時は他の人間を混乱させないようにグリオットとして振る舞ったほうがいいだろう。意識はラティウス・パルシュネーだと説明しても信じてもらえるはずがない。
「グリオットか……」
グリオットとは一方的に因縁を付けられて、何度か剣を交えたことがある。人柄、性格については嫌がおうにも知ることが出来ていた。
しかし、それは数十年の昔の出来事であるため、グリオットの情報は、かなり断片的になっている。近しい人間には違和感を覚えられてしまうかもしれないが、なんとか乗り切るしかない。
「そろそろよろしいでしょうか。グリオット様」
考え事をしている間に時間が経って、アントルが再び部屋を尋ねてきた。
俺はグリオットが、アントルにどのような態度で接していたかを思い出す。
アントルが従者ということで高圧的な態度だったはずだが、俺にそれが出来るだろうか。不安を覚えながらもやるしかないと部屋にアントルを招いた。
「入っていいぞ」
「失礼いたします。……先程よりは顔色はよろしいようですね」
「心配するなと言っただろう。で、何の用だ? 起こしに来ただけか?」
「グリオット様、お忘れですか? 朝食前に馬で朝駆けしたいと昨日申されていたではありませんか」
「朝駆け……ああ、馬か。そうだったな。忘れていたよ」
朝から馬に乗るような趣味があったのか、こいつは。
「アントル、他にも予定を忘れているかもしれない。今日の俺の予定を言ってみてくれ」
「……構いませんが、ご自身を俺とはグリオット様らしくない呼び方ですな」
さっそくグリオットとして振る舞えなかったことに冷や汗をかく。
必死にグリオットが自分自身をなんと呼んでいたか思い出す。
確か私だったはずだ。
「そ、そうか? き、昨日、寝る直前まで読んでいた書籍の影響かもな。私は若いし、そういうのに影響を受けやすいんだ」
「そうでしたか……」
「で、予定だ。とりあえずは今日の」
「本日のご予定は……」
疑問は解消していないだろうが、俺が急かしたのでアントルは手帳を取り出して本日のグリオットの予定を読み上げた。
「まずは先程申しました通り、馬で朝駆け、その後に朝食。午前は剣術、午後には数学と歴史の授業がございます。今夜は会食予定はございませんので、ご自宅での食事となります」
「分かった。ありがとう」
「!?」
俺の言葉にアントルが驚き、表情を固めた。
「どうした?」
「グリオット様が私に『ありがとう』と申されたもので。お使えして長いですが、初めてですな」
グリオットのやつ、感謝の言葉の一つもアントルに言っていなかったのか。
良い性格の人間でないとは知っていたが、近しい従者に対して、礼の一つも言っていないとは思わなかった。
「これも寝る前に読んだ書籍の影響だ。あまり気にするな。嫌ならもう二度と言わん」
「けっして嫌なことではありません。出来るならば、今後もその心持ちを続けてくださればと思います」
個人的にはそうしたいが、今はまだ下手な行動をして周囲に不思議がられるのは避けたい。わがままな態度を取ってしまうだろうが許してくれ、アントル。
「馬だったな。着替えて向かう。部屋の外で待っていろ」
「今日はお着替えの手伝いは?」
着替えを一人でしていなかったのか。
「……いつも通りにしてくれ」
断るといつもと違うと違和感を抱かれるかもしれないとアントルや控えていた他の従者に着替えを手伝ってもらうことにした。
まるで着せ替え人形のように服を従者達に着せてもらった後、今日一日と、これからのことについて多くの悩みを抱きながら、馬の朝駆けへと向かった。