侵入
俺は先行したアントルがケスター家の別荘を訪ねて、屋敷内の人々を集めだしたのを確認すると、正門から離れた塀をよじ登って、屋敷内へと侵入した。
頭に入れておいた屋敷の平面図に従い、屋敷内を探索していく。アントルが正門の方へ人を集めてくれているおかげで、屋敷内の行動は楽に出来た。
「誰もいないか」
クローセさん達が監禁されている可能性があった屋敷の奥の部屋に彼女達の姿はなかった。この部屋は書庫のようで多数の本や紙の束が置かれていた。
「何か物的証拠は無いか……」
俺は置かれていた本や紙の束の中にケスター達が行っている平民達への非道な行為の証拠がないか、探し始めた。しかし、目に付く範囲で証拠となりそうな物は見つけられなかった。
「非合法な活動だしな。見られやすい所には置くわけはないか……。そして彼女達も」
屋敷内で見つけることが出来れば、一番楽だったという思いがあったが、そう思いどおりにはいかないようだった。
「隠し物は地下か」
地下には昨日案内されて入ったが、内部の構造全ては分からない上に、地下には昨日、クローセさん達を誘拐したと報告に来た黒い布を被った人物達が常駐しているかもしれない。
かといって、行かないわけにはいかないので、俺は腰に差した剣を握りしめると覚悟を決めて、地下へと向かった。
ケスター達に案内された入口から慎重に侵入をする。通路は篝火によって照
らされていたので、思っていた通り、夜でも常に誰かがいるのだろう。
地下なので足元が反響しないようにと、ゆっくりと歩いていく。
先日通った道のりを歩いて、闘技場まで辿り着いた。闘技場の客席入口から中を探るが、誰もいないようだったので客席へと足を進めて、どこか先へ進める場所を探す。
視界に入ったのは昨日、黒い布を被った人物が出てきた箇所だ。あの先に闘技場で使うための物がいろいろと収められているかもしれない。
通路を見ると更に地下へと繋がっているようだった。見えている通路には別荘からこの闘技場までの通路よりも篝火の数が少ない。ケスター達のような主人が通る通路ではなく、裏方の人間が使う通路なので設備は必要最低限なのだろう。
通路自体も狭く、今まで以上に足音が響きそうだ。
注意深く進んでいくと、いくつもの横道が現れた。どの道を進むべきか悩んでいると、人の気配を感じたので隠れるために一番近くの横道へと入る。篝火が焚かれていない薄暗い通路のなるべく奥で身をかがめる。
足音と共に話し声が近づいてきた。
「明日は今まで以上にすごいことになりそうだな」
「儀式かぁ。悪魔だろ? 正直、不安なんだぜ」
「確かになぁ、貴族のお坊ちゃま方の遊びにしちゃ、危険度が今までとは段違いだろうさ。でも、どうせ儀式の本は偽物だろ。本物があるとしても厳重に封印とかされてるもんさ。遊びで手に入るもんじゃない」
「……となると儀式が失敗するってことだろ? その場合、この奥にいる連れてきた姉妹はどうするんだ? いつも通り、戦いの見世物にするのか?」
「そうなんじゃねぇの? 正直、もったいないがな。二人共、街の看板娘らしいしよ」
黒い布で顔を覆った二人組が通り過ぎていくのを待って、俺は隠れていた横道から出てきた。
「この奥……」
具体的な場所までは分からないが、進んでいく方向は決まった。俺は二人組が歩いてきた方向へ歩き出す。
しばらく歩いていると血の匂いが漂ってきた。壁や床には黒い染みがあり、飛び散った血の痕の可能性がある。血の匂いがして、すぐに通路が終わり、開けた場所に出た。
ボロボロの武器や防具などが、無造作に捨て置かれていることから闘技場で使う道具の置き場なのだろう。
道具置き場の奥に施錠された扉を見つけた。近寄って扉に耳を当て、中の様子を伺ってみる。
すすり泣くような声と泣き声に対して慰める声が聞こえた。
俺は部屋の扉を小さく叩くと声が止まった。
「この部屋の中にいるのは、クローセ・エッケンとリヒテだな」
「……そ、そうです。誰ですか。なんで私達はこんなところに?」
「俺が誰かは言えないが、君達を助けに来た者だ」
「助け……本当ですか!?」
「静かに」
クローセさんが叫んでしまったので、俺は周囲を警戒する。通路の奥から誰か来ないかと聞き耳をするが、足音は聞こえてこない。
「静かにしてくれ。誰かが来てしまったら、助け出すのが大変になる」
「ごめんなさい……」
「謝らないでくれ」
謝らないといけないのは、本当ならクローセさんを助けられなかった俺の方だ。
「今、扉を開けるから。待っていてくれ」
「分かりました」
俺は周囲に置いてある道具の中に部屋の鍵が無いかを探し始めた。鍵が見つからない場合は強引に剣で扉を破壊することになるが、その音を聞いて、誰かが来てしまうかもしれないので、扉を破壊するのは避けたい。扉の破壊は鍵が見つからなかった場合の最後の手段だ。
周囲の壁やテーブルの上を隅々まで探すが、扉の鍵らしき物は見つからなかった。そのうちに誰かが来てしまうかもしれないので、あまり悠長に探し続けることも出来ない。
俺は最後の手段として扉を壊そうと剣に手をかけた。
「探しているのは鍵かな?」
首筋に剣を当てられて、全身の動きを止める。
ゆっくりと唾を飲み込みながら、視線だけを動かして姿を確認する。
わずかに見える服装と声から誰か分かった。フレスの護衛役のエーブだ。
「君が今、考えてることは二つ、いや、三つかな?」
唾を飲むために喉を動かすと剣先と僅かに触れた。
「一つは私がどこから現れたのか。二つ目は不意を付いて殺すことが出来たのに、なんで悠長に話をしているのか。そして三つ目はどうやって、この状態から抜け出そうか」
考えていることを全て読まれていた。
「安心しろ、全部答えてやる。後、三つ目はすぐに解決する」
エーブが俺の喉から剣を離す。その瞬間、反射的に剣を抜き、背後のエーブに向かって振り抜いた。
俺の剣は空を斬り、視界の先でエーブがやけに嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「迷いがない攻撃だ。引くが遅れていたら首が斬られた」
「早く答えろ」
言葉を投げながら、剣を構えて体勢を整える。
「せっかちだな。じゃあ、一つ目、私がどこから現れたのかだが……ずっと君の後ろに居た。いや、これは意地悪な言い方だな。より正確に言えば、君が地下へ入った時からだ」
「っ!?」
地下に入ってから、基本的に前方へ注意を集中させていたとはいえ、まったく気付かなかった。
自分の情けなさに奥歯を噛む。
「で、二つ目は必要がなかったからだ」
「……まさか殺すつもりがないとか言わないよな」
エーブから感じる殺気は本物だ。この場で俺を殺そうという意思がはっきりとしている。
「必要が無いのは、結果が変わらないからだ。後ろから刺そうが、正面から刺そうが、私は君を殺せる。変わらないなら、多少は剣で斬り合いをしたいと思うは普通だろ」
「油断していると痛い目を見るぞ」
「ぜひ、見せてくれ。ああ、そうだ。君に少しやる気を与えよう。探している鍵だが、ここにある」
エーブが見せつけるように鍵を懐から取り出した。
「明日は私が二人を連れて行く予定になっているんだ。欲しいだろ?」
「言えば貰えるのか?」
「言うだけじゃ駄目だな。私を殺して持っていけばいい」
「……始めからそうするしかないだろうな」
実力差は、はっきりしとしている。エーブの方が上だ。全盛期のラティウスとしての俺だったら勝てる自信はあるが、今のグリオットの体では経験差と技術力である程度は補えても、体が出来ていない。
クローセさん達を助けるため、死なないために実力差が分かっていても、やるしかない。
「では、始めようか。あんまりゆっくり戦っていると、誰かが来てしまうぞ……っと」
先手必勝と放った一刀は余裕で躱されてしまった。
「最初の攻撃から思っていたが、慣れているな。人を斬るのに。顔は見えないが、見た感じはウチのお坊ちゃんと同じくらいの歳だろ。その若さで人を殺すのに慣れてるなんて……ひょっとして私と同じ趣味があるのかな?」
「……趣味?」
「そうだよ、人を殺す趣味。私は定期的に人間を殺さないと駄目な人間になんだ。いやはや、我ながらに駄目な趣味だとは感じているよ」
「駄目なんて言葉で片付けられる趣味じゃないな。人として最低な趣味だよ」
「自覚している。自覚しているからこそ、この職場を選んだ。天職だね。貴族の保護の元に人を殺せるんだから。ただ少し不満があるとすれば……私は無抵抗の人間を殺したいわけじゃないんだ。ある程度、抵抗してくれないとただの作業になってしまう。それだとつまらない」
エーブは過去に闘技場でやってきたことを思い出して、つまらなそうにため息を付いた。