語るしかできない
心臓を鷲掴みにされたような間隔に耐えて口を開く。
「誰だと? グリオット・フォレノワールだが? 急に何を言っているんだ、アントル」
「士官学校に行かれる数日前からですね。以前のグリオット様とは物腰を始め、異なる部分が多いと感じることがありました。若いゆえの変化することもあるでしょうか、それにしては、きっかけすらなく、急でした」
何か反論しようと思ったが何も言葉が出てこない。
「別人と感じることもありましたが、声や体の特徴は間違いなくグリオット様。私も混乱いたしました。なので、いくつか確証を得たかったのです。あなたが私の知るグリオット様なのかどうか。知っておりましたか。グリオット様とご当主様は手紙のやり取りなどしておりません」
「なっ!?」
士官学校へ来る際のアントルとの会話を思い出し、あの時点でほぼ確信を持って怪しまれていたのだと気付く。
「失礼とは思いましたが、あなた様が書かれたご当主様宛の手紙を確認いたしました。確認したかったのは手紙の内容自体ではなく、文字です。私は幼少の頃からグリオット様のお世話をしており、読み書きを教えておりました。なので、グリオット様の文字の特徴は存じております。……違いましたな。随分と大人な落ち着いた文字でした」
苦笑いが漏れてしまうほどのアントルの追求に冷や汗をかく。同時にやはり俺が思っていた通り、いや、思っていた以上にアントルが優秀な人間だと実感した。
「もう一度、お聞きます。あなた様は誰なのでしょうか? グリオット様に成りすますにしては失態が多い。必死の取り繕っているという印象です。仮にフォレノワールを乗っ取るが、目的だったとしたら稚拙すぎる」
ここから反論して、俺が本物のグリオットだとアントルを納得させる自信は無かった。
なので、俺はグリオットを演じるを諦めて、俺の身に起こったことを全てアントルに話すことにした。
「アントル、全部話すよ。信じられないだろうが、聞いてくれ」
俺は抵抗しない意思と諦めたことを示すために両手を上に上げた。
「手をお下げてください。お話、聞かせていただきましょう。そうですね、お茶をお入れしますので少々お待ちを」
アントルが手際よく用意してくれた紅茶を一口飲み、なるべく気持ちを落ち着かせてから話しを始める。
「俺の名前はラティウス・バルシュネーという。気が付いたら、グリオットの体に乗り移っていた。本来、俺は天寿を全うして死んでいる。だが、死んだと思っていたら、グリオットとして目を覚ましていた」
「ラティウス……グリオット様の御学友に同じ名前の方がいますが、何か関係がありますか?」
「そのラティウスと同一人物だ。だが、そのラティウスとは意識は違う。この俺は未来……約八十年後の未来のラティウスなんだ」
自分で説明していて、話の荒唐無稽さを実感する。三流小説だって、もう少しマトモな設定で物語を書いているはずだ。
「未来のラティウス殿ですか。それを証明することは出来ますか?」
「今はない。この先に起こることを言い当てればいいのだろうが、俺にとって何十年も前の時代だからな。大きな出来事以外はほとんど覚えてない。ラティウスとして、個人的なことなら多少は思い出せてはいる」
「本当のグリオット様はどうなっているのですか?」
「分からない。意識が眠っているだけなのか、消えてしまったのか。俺自身、何故、グリオットの体に乗り移っているのか、分からないんだ。明日、目を覚ましたら、俺の意識が消えて、グリオットが目を覚ますかもしれない。いつどうなるか、分からない」
ずっと抱え込んでいた不安を言葉にする。本来、俺は死んでいる。いつ、何のきっかけで全てが無になるか、分からない。せめて明日、起きる時までは俺の意識でいて欲しいと今は願うしかない。
「これが俺が今、理解している出来事の全て。これ以上は俺も手探りで原因を調べている最中だ」
「……なるほど。現状はご自身も殆ど分かっていないのですね」
「そうだ。毎日、落ち着かない日々だよ。でも、正直なところ、アントルに話すことが出来て、ほっとしている気持ちもある。誰かに俺の現状を知ってほしかったんだ。誰にも分かってもらえないから、話さなかったんだけどな」
「話したとしても小説の読み過ぎか、頭がおかしくなったと思われるだけでしょうな。あなた様の行動を不審に思って、問いただしている私でも困惑を隠せません。理解の外の話をされましたから」
「……だよな」
アントルも言葉通り、自分の中で許容出来る内容の話では無かったようで、眉間にシワを寄せて考え込んでいる。
「あなた様は今後、どのようなことをなさる予定ですか?」
「現状の原因究明と、将来起こる……ある事件までの間、グリオットとして過ごす。俺の知っている歴史通りに道が進むように」
「フォレノワール家にとって、害ある行動をする予定はありますかな?」
「……さっき言った通りだ。俺が知っている歴史通りになるよう行動するつもりだ。グリオット自身の行動の全ては知らないが、終着点は知っているから。その行動がフォレノワール家にとって、どうなのかは……察してくれ」
「……」
話し終えた俺はつい先程、紅茶を飲んだのにも関わらず、喉がカラカラになっていた。
アントルは両腕を組み、深く考え込むように目を閉じた。
「信じられないのは当然だ。逆の立場だったら、俺も信じるなんて無理だからな」
「話を聞いたばかりで、今は混乱しており、気持ちの整理も付いておりません。信じる、信じないについては、気持ちを落ち着かせてからですな」
「アントル、お前の立場なら今すぐに俺を捕まえて、状況をより調査したいのだと思う。だが、明日一日、待ってくれないか。どうしてもやらないといけないことがあるんだ」
「どのようなことでしょうか?」
「俺の記憶では近いうち、いや、明後日。ある女性が妹を助けようとして亡くなってしまう。俺は彼女を助けたいんだ」
「あなた様の話が全て真実だとした場合、そのようなことをすると、歴史が違う道を辿ってしまうのではないですか?」
「その通りだ。だが、亡くなると分かっているのに、俺は見て見ぬ振りは出来ない。彼女を助けて、かつ、可能な限り、俺の知っている歴史通りに道を進ませる。そう決めた。だから、明日、一日でいいんだ。彼女を助けるまでは俺を自由にしてくれ」
俺は頭を下げる。
アントルにお願いすることしか出来なかった。
彼が断ってきた場合、俺はこの場から逃げるしかない。
捕まえようとしてくるアントルと戦うという選択肢はない。彼が戦闘においても、並外れた実力を持っていることは俺の記憶に刻まれている。素手で完全武装の騎士達数人相手に勝つ瞬間を俺は目にしているのだ。
今の俺の実力で勝てる相手ではない。たとえ勝てたとしても、俺は無傷ではないだろう。そうなったらクローセさんを助けにいくことがより難しくなる。
アントルの小さく息を吐く音が部屋に響いた。