計算は必要?
「次の問題を……ラティウス君」
「えっ!?」
教師から指名されるとは思わなかったのだろう。ラティウスは素っ頓狂な声を上げた。その様子にクラス中からクスクスと苦笑が漏れる。
最近、平民から貴族となったラティウスは『元平民』と蔑称され、この貴族クラスの生徒達全員から蔑まれている。
これも貴族社会の歪みだ。
当時の俺はこの差別を絡まれたら面倒だと思っていたくらいで、それほど気にしてはいなかった。
しかし、当時俺、現在のラティウスの幼馴染トルテは違った。
彼女は鋭利に研ぎ澄まされたナイフのような目つきと殺気をクラス中に振りまくことが常だった。今もラティウスが笑われたことに反応して、クラス全員を殺すつもりなのかと思わざるを得ない殺気を放っている。これで萎縮する貴族生徒だけなら良かったのだが、生意気だとより攻撃的になる貴族生徒もいたのでラティウスとトルテの学校生活は騒動に満ちていた。
トルテの殺気に気付いているラティウスが教壇へ移動する際に、トルテを窘める。トルテは不満そうな顔をラティウスに向けつつも、殺気を抑え込んでくれた。
トルテの態度にやれやれとでも思っているのかラティウスはため息を付きながら肩を降ろした。
未来のことやトルテの気持ちを分かっている俺からすれば、全部お前のためにやっているのだから感謝する態度をしたらどうだと昔の自分に言ってやりたい気持ちがでかい。
黒板の前に立ったラティウスはチョークを手に取るだけで何も書こうとはしない。
そのまま少し時間が経つ。
「すいません、分からないです」
クラス中から笑い声が漏れ出た。
今度のトルテからの殺気はクラスメイトの方ではなく、ラティウスに向けられている。笑い者にしているクラスメイト達よりも笑い者にされているラティウスが気に入らないのだろう。
「休学中も勉強はするようにとテキストは渡していたぞ。これはその範囲だ」
「目は通したんですけどね」
「見ただけで勉強の方はしてなかったか。いいか、ラティウス。体術ばかりが上手くてもいかんぞ。この学校を卒業するということは士官になるということだ。士官がこの程度の計算式も出来ないようではいかん」
「……いかんついでに質問いいですか?」
「なんだ?」
「こういう計算って兵士には必須なんですかね」
「少なくとも上に立つ者には必要だ。兵力や補給の計算、行軍の予定日数など現場を指揮する者には計算をする場面が多い」
「そういうのは出来る人に任せればいいんじゃないですかね」
「一番の適任者に任せるのは良いだろう。だが、いつもその適任者が側にいるとは限らない。自分でやらなければいけない場面が発生した場合、学んでないから出来ないと、部下達に言えるのか。そんな情けない言葉を。仮にも貴族なら死んでも言えない言葉だ」
数学の教師の言葉は正論だ。出来るヤツがいるから自分は出来なくてもいいだろうと手を抜いて取り組まないのは、万が一の場面で困ることがある。
というか、教師の言葉で実際に困ることが数年後に起こるのを思い出した。
軍事行動中の補給計画を誤ってしまい、自分を含む部下達にかなり苦労をかけることになる。
思い出してしまったからにはどうにかしたいと考えてしまう。
ラティウスが多少計算を出来るようになったからと言って、未来の出来事に大きな変更は発生しないはずだ。
未来の部下達が苦労しない別の未来へ導く程度のことは問題はないはず。
問題があるとすれば、グリオットである俺からは何を言ってもラティウスは聞き耳を持たないだろうということだ。