第81話 これもうヤバそうだし逃げようぜ、相打ちだろ
コノハがバロールに尽くすようになったのは、それはもう非常に深くて長い話がある。
それをすべて思い出してもいいのだが、今にも自分たちを殺そうとしているゴルゴーンを目の前にしてそれをするのは、あまりにも愚かな行為だった。
要は、コノハもまたバロールという男に救われたということである。
アシュヴィンも、イズンも、アルテミスも、そしてコノハも。
アポフィス家で働くメイドは、誰もが目をそむけたくなるような凄惨な過去があり、その際にバロールに救われた者たちである。
アシュヴィンは異民族で奴隷という立場。イズンは忌み子として捨てられたことから。アルテミスは暗殺者という血なまぐさい過去から。
では、コノハは何から救われたのか?
それは……。
「ゴルゴーンの魔眼かあ……」
ポツリと呟いたコノハ。
長い緑髪の合間から、怪しく目が輝いた。
「あたしの邪眼と、どっちが上かなぁ?」
コノハは、邪眼持ちである。
生まれながらにして呪われた存在が、邪眼と一緒に誕生すると言われている。
魔眼が魔物やそれに類するものが持つ強大な魔の力だとすると、邪眼は人間が生まれる前から呪われた際に生じる力。
それは、世間一般でも知られていることで、邪眼を持っていると知られた赤子は、その時点で殺されることさえある。
また、仮に殺されなかったとしても、その先の人生は非常に暗くつらいものになる。
コノハもまたそうだった。
邪眼は明らかに見た目が普通の目とは違うため、どうしても隠すことができない。
悲惨な人生を歩んでいた彼女を救ってくれたのが、同じく特異な眼を持つバロールだったのだ。
「あたしと同じ眼をもって、あたしをたすけてくれたバロールちゃん。今度は、あたしが助ける番だよねぇ」
「ちょおおおおおお!? ごちゃごちゃ言っていないで、さっさとどうにかするにゃ! 石になってきてる!」
「…………」
「お~。パキパキだア」
のんびりしているコノハを見て、アルテミスが絶叫する。
すでに、彼女の足元が石化している。
防ぐことも解呪することもできないゴルゴーンの魔眼がしっかりと発動している。
徐々に上に侵食してくるそれを見て、平常でいられるはずがなかった。
アシュヴィンも何も言わないが冷たい目をコノハに向けている。
平然としてキャッキャしているのはイズンだけだった。
そんな彼女たちのことを一切無視して、コノハは自身の邪眼を使った。
「さあ、死んでちょうだいねぇ」
◆
コノハの邪眼が光った瞬間、劇的に変化が表れた。
まず、アシュヴィンたちの身体を襲っていた石化が、解かれた。
決して解呪されない呪いであるゴルゴーンの魔眼が、解かれたのである。
唖然とするゴルゴーン。
今まで一度も経験したことがないことに、完全に空中で硬直してしまっていた。
「ッ!?」
衝撃を強烈に受けていたため、自身の身体に起きた変化に気づくことも遅れてしまった。
強靭な身体が、ボロボロと崩れていくのである。
痛みも感じない。苦しみもない。
ただ、最初からそうなっていたのを無理やり持たせていたのが、限界になったように。
自分の意思に反して、身体が自壊していく。
当然、それはコノハの邪眼の力だった。
「……ゴルゴーンの身体が崩れていく理由を聞いても?」
「別に隠していることでもないし、バロールちゃんは知っているからいいわよぉ? それに、説明と言ってもすぐに終わるしぃ」
自分の石化していた部分が元通りになったことを確認し、アシュヴィンはコノハに問いかけた。
仮に石化の呪いが解かれなければ、進行さえ止まってもすでに侵された部分がそのままだったならば、彼女はコノハを殺していたかもしれない。
いまだ愛しのご主人様から愛してもらっていない身体を、そのように使い物にならなくさせられるのは、許容できないからである。
そんなことを考えているんだろうな、と思いつつ、別に何とも思わないコノハは怖気づくこともなく平然としていた。
「あたしの邪眼は、対象を消滅させることができるのぉ。今回やったのは、ゴルゴーンの魔眼の力に対してと、ゴルゴーンそのものに対してねぇ」
その力の強大さを理解したアシュヴィンとアルテミスは、顔を見つめ合った。
本当だとすると、それはとてつもなく強力だ。
どこまでを対象に含めることができるのかなどと確認することは多いものの、少なくとも今まで対策が取れなかったゴルゴーンの魔眼に対抗できる時点で、十分すぎる。
「それほどの力が……。代償とかはあるのかにゃ?」
「ううん、特にないかなぁ」
「…………」
さらに、コノハの言葉を信じるとすれば、代償すらもない。
もちろん、魔力などは消耗するのだろうが、それ以外がないということになると……。
はっきり言えば、危険因子すぎる。
彼女がバロールのメイドでなければ、即刻この場で殺していたほどに。
「でも、あたし自身は大して強くないから、こんなふうに前線で戦ってくれる人がいないとあまり役に立てないのよねぇ」
「すごーイ!」
きゃいきゃいと楽しそうにしているのはイズンである。
自分が忌み子として凄惨な過去を経験しているからか、同じような差別される邪眼持ちには、思うところがあるらしい。
そんなことは気にしないアルテミスは、いざとなれば暗殺するしかないにゃあ、などと思っていた。
「まあ、ともかく……」
アシュヴィンの目が、崩れていくゴルゴーンを見る。
「これではゴルゴーンもひとたまりもないでしょうね」
「……なんか嫌な言い方だにゃ」
アルテミスの目が細められると同時に、その嫌な予感は的中する。
崩れ落ちていくゴルゴーン。
その眼が、最後にギラリと強く光った。
「なっ!?」
直後、ゴルゴーンが召喚していた蛇が、一斉に身体を持ち上げた。
大量の蛇たちは、コノハたちに襲い掛かるのではなく、ただじっと彼女らを見た。
ゴルゴーンと同じく、怪しく光る魔眼で。
「召喚した蛇に、魔眼を移して……!?」
コノハは邪眼を使ってそれを消し去ろうとするが、あくまでも彼女の視界に入っているものしか消せない。
大量にあふれ出ていた蛇たちは、それこそ四方八方に散らばって、彼女らを見ているのである。
コノハの邪眼のみでは対応できなかった。
「こ、こんなの、知らな……!!」
徐々に石化に侵されていくコノハたちの身体。
彼女が経験した未来では、起きるはずのなかったゴルゴーンの悪あがき。
これでもって、ゴルゴーンが生き延びるわけではない。
彼女の死は確定している。
伝説の魔物が、敵を道連れにするためだけに生み出した、新たな力だった。
コノハたちの身体が石化し、完全に石になる。
その直前だった。
「ぬああああああああああああ!?」
これもうヤバそうだし逃げようぜ、相打ちだろ。とかふざけたことを考えていたバロールが、この場に飛び込んできたのであった。




