第79話 真っ白な人間
「ガァァッ!!」
怒りの咆哮と同時に、ゴルゴーンは自身の額に突き刺さった槍を引き抜いた。
いらだたしい、いらだたしい。
固い頭蓋骨に覆われた頭部は、脳を傷つけることはなかった。
そのため、ゴルゴーンは今も健在ではあったが、しかしダメージがまったくないわけではなかった。
皮膚は避けて血が流れているし、衝撃はもろに伝わったため、いまだにくらくらとする。
怒りのままに、槍が飛んできた方向に突撃できないのは、これが理由だった。
「グゥゥゥ……ッ!」
回復を図りながら、いったい誰がこんな腹立たしいことをしたのかと思考を巡らせる。
ゴルゴーンは非常に知性の高い魔物だった。
一般的な魔物とは、比べものにならない。
だから、すぐに答えに行き着いた。
おそらく、人間たちの討伐部隊だろう。
昔もそうだった。好き勝手に暴れ、人間を貪っていたら、大多数の人間が現れて攻撃を仕掛けてきた。
その中には、当時の英雄と称されるほどの強者もいた。
そのために、ゴルゴーンは封印を施され、今になってようやく外の世界に戻ってこられたのである。
しかし、逆を言えば、封印することしかできなかったのだ。
英雄たちがどれほど集まろうと、ゴルゴーンは決して敗北しなかった。
自身が人間などに後れを取ることなんてありえないという自負がある。
すぐにでも回復をして、愚かな人間どもを八つ裂きにしてやる。
人間同士の会話が聞こえてきたのは、そんなときだった。
「はーあ。にゃぁんでみゃあが褐色おっぱいなんかと一緒に共同戦線を張らないといけないのにゃ……。帰りたいにゃあ……」
「なら、帰ればよろしいですわ。バロール様には、しっかりと報告させていただきますが」
「ご主人なら、そんなみゃあでも見捨てないにゃ」
「そうだったらいいですね」
「…………」
「…………」
スタスタと綺麗な姿勢で歩いてきたのは、二人の人間だった。
とても鍛えられているのだろう。歩いていて体幹がぶれていない。
ゴルゴーンは知る由もないことだが、二人ともメイド服を着用しており、少なくとも伝説の魔物であるゴルゴーン討伐のメンバーに入るにはおかしい衣装の二人だった。
しかも、その二人はゴルゴーンよりもむしろお互いに敵意と殺意をぶつけあっていた。
ゴルゴーンの前に、まずはお前から殺すぞと言いたげな感じでにらみ合っている。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
だが、相手の都合なんてゴルゴーンからすれば知ったことではなかった。
片割れの武器を見れば、自分の額に突き刺さった槍と同じもの。
すなわち、あの愚かな人間二人が、自分に歯向かってきたのだ。
断じて許されることではない。徹底的にいたぶって殺す。
しかし、頭部に突き刺さった槍の衝撃は、いまだゴルゴーンに自由な動きをさせなかった。
では、何の反撃もできずに倒されるのか?
そんな雑魚ならば、伝説の魔物として歴史に名を遺すことはなかっただろう。
「うにゃっ!?」
アルテミスが驚きの声を上げたのは、ゴルゴーンの咆哮に呼応して飛び出してきた、無数の蛇のせいだった。
どこからか召喚された蛇は、どれもが大きくて長い。
そして、問題はその数だった。
地面を覆いつくさんばかりにあふれ出た数多くの蛇に、アルテミスは露骨に顔を歪めた。
「うにゃぁぁ……。別に蛇が怖いわけじゃにゃいけど、この数は無理にゃ……。気持ち悪くて吐きそう……」
うぞうぞとうごめく蛇は、見ているだけでも悍ましい。
何よりも、ゴルゴーンが召喚した蛇だ。そこらにいる普通のそれとは、当然違うだろう。
「私の故郷で見た種類がいくつかいますね」
「ふーん。おとなしい蛇?」
「はい。獲物をおとなしくさせるのが得意な蛇ですね」
「あ、ふーん……」
平然と宣うアシュヴィンを、白い目で見るアルテミス。
獲物をおとなしくさせる蛇。
すなわち、猛毒を持つ蛇である。
中には、巨大な魔物でさえも、一噛みで死に至らしめるほどの毒を持つ蛇もいた。
多種多様な蛇が召喚されているが、おそらくはどれもが猛毒を持っていることだろう。
噛まれるだけで終わる。
そんな悍ましい生き物が、大量に向かってくる。
「死んだらご主人には報告してやるにゃ。何の役にも立たずに死んだってね」
「死んだら尻尾くらいは切り取ってバロール様にお届けしますわ。役立たずでしたと付け加えますが」
「「…………」」
ぎろりとにらみ合う二人。
すでに、その傍に蛇が迫っていた。
毒を滴らせる恐ろしい牙をむいて襲い掛かり……。
「「邪魔」」
ザッ、とその身体をバラバラに切り捨てられた。
一本の長い身体を、複数に切り分けられる。
ボドボドと重たい音を鳴らしながら地面に崩れ落ちていく。
同胞があっさりと命を落としたことで、大して知性を持たない蛇でも一瞬ぴたりと止まってしまう。
蛇の津波ともいえるような悍ましい波が、止まった。
その隙に、アシュヴィンとアルテミスは戦場を駆け巡る。
彼女らの戦闘スタイルから、これだけの多数の蛇を相手に、立ち止まって戦うのは明らかに不利だった。
ゆえに、彼女らは機敏に動き続ける。
蛇が追いかけてきたら、また別の場所に移動する。
そうしながら、突出してきた蛇をバラバラに切り裂く。
高度な移動手段と卓越した武器の扱い方を持っているからこそできる行動だった。
「…………」
召喚した大量の毒蛇を躱す二人の人間は、ゴルゴーンから見ても驚くべきものだった。
だが、彼女にとってもこの状況は悪いものではなかった。
ゴルゴーンが自分で動かないのは、頭部に受けた衝撃のダメージが残っているからである。
それさえなければ、手ずから八つ裂きにしてやるところだ。
そして、そのダメージは彼女の強靭な身体により、急速に回復していっていた。
身動きを取らずにいるため、その回復速度は速い。
激しい動きにも耐えうるほどに回復したゴルゴーンは、次の行動に出る。
「げっ……。あの急速な魔力の集まり具合は……。これ、マズいんじゃにゃいか?」
アルテミスは露骨に嫌そうに顔を歪める。
その際にも、毒蛇を両断することは忘れない。
彼女が見る先には、口の周辺に急速に魔力を集め始めた、ゴルゴーンがいた。
口の端から漏れ出ているのは、真っ赤な炎。
そして、すぐにそれは二人に向かって吐き出された。
「――――――イズン!!」
「はーイ!」
二人の前に突如として現れたのは、真っ白な人間だった。
 




