第72話 絶対にあたしが守るからね
「……あなたを外に連れ出したことは、失敗だったかもしれませんね、コノハ」
アシュヴィンがコノハを睨みつける。
絶対零度の視線は、向けられる者が背筋を凍り付かせる。
しかし、コノハは相変わらず人を不安にさせる笑みを浮かべながら、それを平然と受け止めていた。
「えぇ? あたしは楽しいよぉ? バロールちゃんとも久々にお話しできたしぃ。やっぱり、直接話すと幸せになれるねぇ」
「あなたの言葉の節々から、ご主人様に対する敬意は感じられます。ですが、あの日はどういうことですか? ご主人様に対する数々の愚行、見過ごすわけにはいきませんわ」
アシュヴィンが問題にしているのは、コノハがメイドとしての仕事を放棄し、バロールを街に連れ出した事件である。
そもそも、バロールと街に出かけるということ自体が羨ま……許されないことなのに、仕事を放棄するとは何事か。
しかも、彼からは何度か危ない思いをしたと話された。
苦笑していたことから問題にはしておらず、話のタネとして伝えた情報だったのだろうが、アシュヴィンには許すことができなかった。
……なお、バロールは彼女がそのような反応をすると見越してチクっている。
自分で文句を言えないからメイドに言わせる。
クソである。
コノハがバロールを嫌っていない、害を与えようとしているわけではないことは、アシュヴィンも分かっている。
そういった者は、言動ににじみ出るものだ。
コノハのそれは、自分たちと同じく、バロールを慕っている者だ。
だからと言って、許すことはできないが。
「くっ……私も何とか止めようとしたのですが……」
「ナナシは何もしていなかったよねぇ。後ろからついてきて、たまに笑っていたよねぇ」
無表情で何かを悔やむしぐさを見せるナナシ。
バロールが翻弄されて悲鳴を上げているのを、後ろからクスクス笑っていた女である。
「愚行って言われても困るわぁ。だって、あれはバロールちゃんのためになるんだものぉ」
「は? 命の危険にさらすことがですか?」
怪訝そうに眉を上げるアシュヴィン。
バロールの言い方からすると、とてもじゃないがそのようには考えられない。
だが、コノハは真摯に、普段の退廃的な笑みを消して言う。
「違うわぁ。あたしがバロールちゃんを守っていたのよぉ」
「なにを……」
バカなことを。
そう言うことは簡単だし、実際客観的に見ればその評価が正しい。
だが、アシュヴィンが口をつぐむほどに、コノハの表情と声音には、真剣さが混じっていた。
「もし、あそこであたしが介入しなかったらって考えたことはないかしらぁ? たとえば、あたしが何もしなければ……バロールちゃんが命を落としたとは考えられない?」
「あなたがご主人様を守っていると? わたくしからすると、あなたがご主人様を危険な目に合わせているようにしか見えないのですが?」
「えへへぇ」
真摯な表情を消し、またあの陰気な笑みを浮かべるコノハ。
その態度にイラっとしつつも、先の言葉を促す。
「あたしからすると、アシュヴィンの方がダメだと思うなぁ。バロールちゃんが求めていないのに、勝手に変な立場まで押し上げようとするのはよくないよぉ」
「……あなたもアルテミスと同じ考えですのね」
チッと舌打ちをしたくなる。
どいつもこいつもバロールの価値を分かっていない。
あの人は、世界の頂点に立つことができる。
そして、そうすることで彼自身と、何よりも周りの人々のためになる。
それなのに、アルテミスもコノハも、彼を自分だけのものに囲い込もうとする。
宝の持ち腐れだ。
「目立つと敵も増えるんだよぉ? バロールちゃんがそうしたいって言うんだったらまだしも、勝手に押し上げておいて危険な目に合わせるのはどうかなってぇ」
「…………」
アシュヴィンの考えは変わらない。
だが、バロールを危険な目に合わせたいというわけではない。
それは事実だ。
彼女の策略とバロール自身の力によって、少なくともこの王国内では、彼の影響力は非常に大きなものになっている。
一般的な貴族が持つには、あまりにも大きな。
それを超短期間にやったものだから、それは当然目立つ。
「ま、あなたは違うみたいだから、好きにしたらいいと思うよぉ」
ひらひらと手を振って、コノハはこの場を去ろうとする。
自分はアシュヴィンに協力しない。
だが、邪魔もしない。
不感症の立場を明言して去ろうとして……。
「待ちなさい」
アシュヴィンにがっしりと肩を掴まれる。
さすがのコノハも、バリバリ戦闘をこなすアシュヴィンに力では敵わない。
「あなたがサボってメイドの業務を教えられませんでしたので、今から教えます。寝られるとは思わないことですわ」
「だって。大変だねぇ、ナナシ」
「おや、おかしいですね。私はインテリアになっていたはずですのに……」
ナチュラルに押し付ける。
コノハ、思いがけずバロールを見習う。
先ほどから息を殺していたナナシが悲鳴を上げる。
「ナナシも家事は万能なんですから、手伝いなさい。いきますわよ」
「しまった。ここは気配を殺すのではなく、こっそり部屋を後にするのが正解でしたか……」
ずるずるとアシュヴィンに引きずられていくナナシ。
加工場に送られる家畜のよう。
小柄なナナシが抵抗する間もなく去って行くのを見送るコノハ。
「あとちょっと……。大丈夫、ちゃんと準備したんだからぁ」
ポツリと呟く。
その声音には、多少の緊張と脅えがあった。
あのコノハが発しているとは、誰も想像できないだろう。
だが、彼女の目には強い光が宿っていた。
「絶対にあたしが守るからね、バロールちゃん」
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