第63話 ……ご主人?
ルブセラと、最初に激突したあの日。
彼の片目を奪うという大きな戦果を上げつつも、アルテミスは命からがら逃げだすことしかできなかった。
その理由こそが、この電気。
自然現象にある雷というほどではない。
いくら強大な魔法を使えるからと言って、自然をも凌駕するほどの影響を与えることは不可能だ。
可能だとするならば、それこそ歴史に名を刻むような偉人レベルしか考えられない。
もちろん、ルブセラにそれほどの器量と能力はない。
だが、電気というのはほとんどの生物にとって弱点である。
強烈なまでの痛みと衝撃。
そして、恐怖を刻み込むのが電気だ。
それほど身体的なダメージはなくとも、その恐怖は非常に大きなもので、身動きすらとれなくなることだってある。
アルテミスは、この電気に負けたのだった。
「おらっ!」
「ちっ……!」
身体に帯電させつつ、拳を振るうルブセラ。
帯電させて体当たりするだけでも、相手に大きな痛みを与えることができる。
ルブセラは暗殺組織のトップだが、アルテミスのように卓越した技術を持っているわけではない。
それが必要ないほど、帯電という能力は強かった。
ただ近づかれるだけでもバチリと痛みが走る。
アルテミスはしっぽをぶわっと膨らせながら、ダメージを負う。
直接攻撃を受けなくても、ただ近づかれるだけでも苦痛がある。
ルブセラが迫り、アルテミスが逃げる。
それが繰り返される。
一方的にダメージを負っていくのはアルテミスだ。
じわじわと体力はもちろん、蓄積されていく痛みに身体が悲鳴を上げる。
「弱い、弱いな! 記憶にあるお前の方が強かったぞ、アルテミス! やはり、お前には生ぬるい表は似つかわしくねえなあ!」
猛威を振るうルブセラ。
反撃を受ける心配なんてない。
そんな隙を与えないほどに、ひたすらに攻撃をし続ける。
相手は自分に触れられず、自分は相手に振れただけで勝つのだ。
圧倒的に優位な立場に立っていた。
「バロールを殺しておくべきだったなあ、アルテミスぅ!」
大人しくあの時にバロールを殺していれば。
組織から抜けることなく、今も所属し続けていれば。
彼女はここで死ぬことなんてなかっただろう。
勝利を確信し、狂喜の笑みを浮かべるルブセラ。
「いえ、全然違うわよ」
アルテミスは身体中がルブセラの攻撃で汚れながらも、表情は冷めたものだった。
弱いと、あの時バロールを殺しておけばこんなことにならなかったと、ルブセラは言う。
だが、それは彼が勝つこと前提の言葉である。
「お前の方が弱いにゃ、ルブセラ」
「がっ……!?」
パッとルブセラの身体から鮮血が吹き上がる。
正面にいたはずのアルテミスは、彼の背後にナイフを振り切った状態で立っていた。
一切見えなかった攻撃に、目を丸くして膝を屈するルブセラ。
痛みはあるが、それ以上に驚愕が強かった。
「な、なぜ……!?」
「ご主人、清廉潔白でさあ。しょっちゅう暗殺者とか送り込まれてくるのよね。多分、領地の治世を領民から比べられる貴族が送ってきているんだろうけど。だから、実戦経験はお前の組織にいた時よりも積んでいるし、基本的にふんぞり返っているだけのお前より強くなっているのは当たり前でしょ」
バロールは敵が多い。
アポフィス領の領民たちからは、もはや崇拝というレベルで慕われているが、他領の……それも、貴族である領主たちからは驚くほど嫌われている。
自分たちの領民が、他所の領主と比べて不平不満を言ってくるのだ。
その比較対象を恨んでも仕方ないだろう。
実際はそんな彼ら以上に下劣な性格をしているのだが、そこは神のみぞ知る世界である。
そんな彼には、頻繁に暗殺者が差し向けられる。
領民たちからの評判が悪化するだけならまだしも、それを原因に中央から査察が入り、取り潰しとなれば最悪だ。
自分たちの改善をせずに原因のバロールを殺そうとするところにこの国の貴族たちの底が知れるというものだが……。
そんな彼らを未然に処理していたのが、アシュヴィンの指示を受けるアルテミスだった。
つまり、常在戦場。
常に命のやり取りをしていた彼女は、昔よりも能力が向上しているのも当然と言えよう。
一方で、ルブセラは組織のトップ。
そう簡単に危険な前線に赴くわけではなく、実力はかつてアルテミスと戦った時より進化していない。
むしろ、落ちていないだけ、彼の研鑽が窺えるというところだろう。
だが、その程度では、今のアルテミスを上回ることはできなかった。
「くっ、くくくっ……! 否定したいところだが、この状況を見れば、お前の言う通りかもしれねえなあ……」
怒りを抱いているが、しかし否定はしない。
笑いながら、ルブセラはアルテミスを睨みつける。
「ああ、だけどなあ、アルテミス。戦いって言うのは、こうして直接殴り合うだけじゃないってことは、知っているよなあ?」
「まぁた卑怯な手段でも考えたの? 嫌な方向に頭の回転が速いんだから」
「裏の……それも、暗殺組織の人間に何を期待してんだよ」
くっくっと笑う。
正々堂々と戦うのは、表社会の騎士だけで十分だ。
裏社会の暗殺者が、そんなことをする理由はどこにもなかった。
対アルテミス用に、しっかりと切り札を用意している。
それを準備するために、自分の手駒はここにはいないのだ。
その切り札を使おうと、声を張り上げようとして……。
「そっか。じゃ、死ね」
「…………っ!?」
パッとルブセラの喉から血が噴き出した。
また、アルテミスだ。
彼女の動きは見えなかった。
恐ろしいほど冷たい声音が、彼の耳に届いた。
「面倒くさいことをされる前に、殺せばいいにゃ。うーん、みゃあってばさえてる!」
一転してポップな声音に変わる。
しかし、ルブセラがそれを聞くことはなく、すでに命を落としていた。
これにて、ようやく因縁が終わった。
アルテミスは意気揚々とバロールの元に戻ろうとして……。
「ぼ、ボス!?」
「あん? さすがに時間をかけすぎちゃったか。うーん、どうしたものかにゃあ……」
飛び出してきたのは、暗殺組織に所属している暗殺者だろう。
血の海に沈むルブセラを見て、驚愕している。
そんな彼を見て、アルテミスは思案に暮れる。
主目的のルブセラを殺せた。
ならば、この場にとどまっておく必要もなく、さっさと逃げ出すのが吉だろう。
しかし、彼らの部下に怨恨を残せば、後々自分たちに牙をむくかもしれない。
しばらく考えて……そういえば自分が考えたりするのがあまり得意ではないことを思い出したアルテミスは、思考を放棄した。
「よし、殺すにゃ」
とりあえず殺そう。
悩んだら殺そう。
死はすべてを解決してくれる。
とんでもない冷徹思考にたどり着いたアルテミスは、ルブセラの部下も殺そうとナイフを構え……。
「ひっ!? ち、近づくな! こいつがどうなってもいいのか!?」
男は建物の陰から、何かを引っ張り出してきた。
それは、人だ。
血だらけで、ボロボロになった、人だ。
ああ、暗殺組織ならば、被害者はこのような状態になることも多いだろう。
アルテミスもよく見てきたものだ。
それが……。
「……ご主人?」
自分のよく知る、バロールでなければ。




