第62話 俺の下に戻ってこい
「そんなバカみたいな自己紹介をするために戻ってきたのか? 冗談だろ?」
ルブセラは笑みを消すことなく、アルテミスを見る。
今までの……アルテミスが2号と呼ばれていた時の彼ならば、これだけで一瞬で沸騰し、怒りに支配されていたことだろう。
数年という月日は、アルテミスはもちろんのこと、ルブセラという男も変えていた。
短絡的でないなら、扱いづらい。
そう思い、彼女は内心で舌打ちをした。
「もちろん、冗談にゃ。お前をぶっ殺しに来たんだから」
「マジかよ。俺は謝罪の一つでも貰えるとばかり思っていたぜ。ほら、見てみろよ。お前のせいで、俺の片目は一生光を見ることができねえんだぜ?」
そう言ってルブセラが誇示する片目。
そこには一本の傷跡が走っており、開かれることはなかった。
アルテミスが組織を抜ける際、ルブセラと戦闘になったときにつけた傷跡だ。
命からがら逃げだしていたが、やることはしっかりやっていた。
ただ、逃げなければ殺されていたことから、勝負としてはルブセラが勝っていた。
「ご愁傷様にゃ。というか、あの時はお前もみゃあのことをさんざん痛めつけたわよね? お互い様よ、お互い様」
「にしても、俺の方がダメージでけえだろうがよ。……だからよぉ、償いってもんをしてもらえねえか?」
「は?」
ルブセラの言葉に、怪訝そうに眉を上げるアルテミス。
もちろん、そんな殊勝な気持ちは微塵も持ち合わせていないが、ルブセラが何を要求してくるのか。
「俺の下に戻ってこい、2号」
それは、自分の下に、暗殺組織に引き戻そうという提案だった。
「あの時、俺とまともにぶつかって、逃げ延びた力はさすがだ。お前の能力の高さを、改めて再認識させられたよ。あれから、どうにも組織の評判も悪くてな。まあ、お前のあの依頼拒否もあるが、それ以上に【百パーセント依頼を達成する】っていう暗殺者がいなくなったのが大きい」
アルテミスの存在は大きかった。
彼女がいるだけで、暗殺組織としての格があった。
なにせ、失敗はせず、確実に暗殺を達成してくれるのである。
人気が出ないはずがなく、だからこそ暗殺組織としての地位は高かった。
だが、彼女が抜けたせいで、その触れ込みもできなくなる。
アルテミスがいなくなってから、凋落の一途をたどっていた。
「だから、みゃあを?」
「ああ。お前の性格、そしてあの時のことはかなり気に食わないが……だが、水に流そうじゃねえか。あの時以上にお前に自由も与えよう。だから、戻ってこい、2号。お前に表の水は合わねえよ」
ルブセラにとって、これは非常に大きな譲歩だ。
彼を知る者は、このような勝手を許すような言動をしていることが、信じられないだろう。
自由を愛するアルテミスが、魅力を感じないと言えば嘘になる。
2号と呼ばれていた時ならば、嬉々として食いついていたかもしれない。
だが、もうそんな時代はとうに過ぎ去っている。
「ざけんな、ばぁか」
アルテミスは一切迷うことなく、切り捨てた。
「お前の下につくわけねえだろうが。みゃあがここに来た理由は、お前の下に戻るためじゃないわよ。今度こそお前をぶっ殺すためにゃ」
出戻りする?
それこそありえない。
必要なければ絶対にルブセラとは顔を合せなかっただろうし、必要なことは彼の死である。
決して同じ道を歩むことはない。
「それに、今のみゃあはアルテミス。ちゃんとかわいい名前があるのよ。ただの番号だけじゃない、個としてのみゃあができているの。ご主人のおかげでね」
薄く頬を染めて言うアルテミス。
暗殺者としての冷徹な彼女からは想像もできない、穏やかでほわほわとした空気。
それを感じ取り、ルブセラは噴き出す。
「くっ、くくくっ。素直に戻ってくるとは思ってなかったが……随分と変わったじゃないか、2号。いや、アルテミスって呼んだ方がいいか?」
「別にお前に名前を呼ばれても嬉しくないから、どっちでもいいにゃ」
「誰かのために戦う? お前が? くっ、くははははっ! 似合わな過ぎて面白いぞ!」
腹を抱えて笑う。
こんなにも滑稽なものを見るのは、久しぶりだ。
「お前は自分勝手に、自分のことだけを考えて、自由気ままに行動する。それが、今更他人のために? 馬鹿言うな。そんなの、うまくいくはずねえだろ。いつか破綻するぜ、お前の在り方」
因果応報。
自分がしてきたことは、必ず自分に返ってくる。
暗殺者が、今更人の温かさを知ったから、脚を洗う?
そんなふざけたことは、許されない。
今はそれでいいかもしれないが、必ず報いを受けるだろう。
「は? 生き方を変えて、何がいけないの? っていうか、説教とかおっさん臭いにゃあ」
「お前は変わって、弱くなったよ」
アルテミスの言葉を無視する。
聞いていないのだろう。
自分の言いたいことを、ただつらつらと言っているだけだ。
アルテミスのいら立ちが増していく。
「まだ戦っていないのに、よくわかるにゃあ。いやいや、凄いわね」
「バカ、戦う能力のことを言ってんじゃねえよ。俺が言ったのは、ここだ」
軽薄な笑みを浮かべながらルブセラが叩いたのは、自分の頭だった。
「一人で来たのは、下策としか言いようがねえよ。しかも、堂々と正面から。周到に準備をしないといけないのに、それすらできてねえみてえだ。着の身着のまま飛び出してきたのか? それは、バロール・アポフィスを関わらせたくなかったから。大切だから。……違うか?」
「ペラペラとよく回る口だにゃあ」
心底不機嫌な様子を隠すこともしないアルテミスだが、言い返すことはしなかった。
確かに、ルブセラの言うことにも一理あった。
本来のアルテミスなら、もっと周到に時間をかけて準備をする。
情報を集め、武器をそろえ、絶対に仕留められると判断してから行動に移す。
そうしなかったのは、時間をかければ、ルブセラが再び仕掛けてくると思ったから。
それが、バロールに少しでも危険をもたらすものだったから、彼女はこうして即座に行動に移したのであった。
「守るものができたら強くなる? それは逆だよ、アルテミス。守るものができるからこそ、人間は弱くなる。それを教えてやるよ!」
「めっちゃ喋るにゃん」
◆
ルブセラとアルテミスの戦闘は、これで二度目だ。
性格が相容れず、お互い嫌いあっていたにもかかわらず、直接的な戦闘はあのアルテミスが組織から離脱した日しかない。
その理由は、お互いぶつかり合えばタダでは済まないと理解していたからである。
実際、アルテミスは瀕死の状態になり、ルブセラは片目を潰されるという甚大な後遺症を被った。
強者と強者は、そう簡単にぶつかり合わない。
その代償は計り知れないものになるからである。
だから、これが最後の戦いになると、アルテミスとルブセラの衝突になると、二人とも理解していた。
もう、次はない。
この戦いで、どちらかが死ぬ。
何か根拠があるわけではないが、そう確信していた。
「おいおい、全然近づいてきてくれねえな。暗殺者なんだから、相手の懐に入って仕留めないとダメだろ?」
簡単な挑発をするルブセラ。
彼とアルテミスの間には、それなりに距離が開いていた。
少なくとも、お互いが腕を振るっても、攻撃が当たることはないであろうという距離。
「お前の近くに寄ると、臭くて嫌にゃ。きっつい」
「血の匂いか? そりゃ仕方ねえだろ。ずっと裏で生きてきたんだからな」
「いや、加齢臭」
「う、嘘だろ……?」
愕然とするルブセラ。
挑発しただけで、メンタルが崩壊するような反撃を受けてしまう。
「そ、そんな詰まらねえ冗談なんていらねえよ」
「冗談……?」
心底怪訝そうに首を傾げるアルテミスは見ないようにした。
ショック死するかもしれないからである。
そんなことよりも、今は距離の話だ。
どうして、二人の間にこれほどの距離が開いているのか。
少なくとも、アルテミスにこれだけの距離で相手に有効打を与えられるような攻撃手段は持ち合わせていない。
しかも、時間をかければ不利になるのはアルテミスである。
いつルブセラの部下たちが飛び込んできても不思議ではない。
すぐさまケリをつけなければならないのに、大きく踏み込むことができない理由。
それは……。
「お前が俺に近づいてこねえ理由は……これだろ?」
「つっ……!」
バチッ! と炸裂音が響く。
人間が本能的に恐れる音だ。
それは、ルブセラの身体……いや、その周りを覆うように発生している電気が要因だった。
「これであの時のお前も負けたもんなあ、アルテミス!」
そう言って、ルブセラは一気に距離をつめた。
 




