第59話 さようならですわ
「今回はうまくいかなかったなあ」
「まあ、生きているし次があるだろ。そいつから奪えばいいさ」
裏路地で話をする二人の男。
彼らは子供に絡み、バロールに威圧し、そして2号によって撃退された男たちだった。
裏に沈むことはないが、表では間違いなく悪に分類される男たち。
2号からは中途半端な連中という評価をされた者たちだった。
「だなあ。そういえば、あいつは……」
「もう死んだ奴のことなんて、どうでもよくないか?」
「手数の問題だよ」
「じゃあ、誰か仲間にするかあ」
「次はうまくやらねえとな」
彼らに懲りるという考え方はない。
決して改心しないし、堅気の仕事をしようとも思わない。
なにせ、効率が悪いのだ。真っ当な仕事というのは。
人身売買なんて、とても効率がいい。
子供なんて簡単に拉致できるし、その少ない労力によって多額の金銭を受けとることができる。
その甘い汁の味を知ってしまった彼らが、堅気の仕事なんてできるはずもなかった。
しかし……。
「次はないですわよ、あなたたちに」
「…………」
そんな彼らに、声が届く。
女の美しい声だ。
そちらを見れば、声音と相違なく美しい女が立っていた。
褐色の肌と長い銀髪は、彼女が異民族であることを明白に表していた。
一瞬眉を顰める男たちであったが、彼らいわく非常に上玉であることを認識したところ、すぐに笑顔の仮面をかぶる。
驚くほど薄っぺらい、虚飾の笑顔だったが。
「どうしたの、こんなところに。メイドさんかな?」
「大丈夫? 道に迷った? 俺たちがちゃんと相応しい場所に送ってあげるからね」
クルリと態度を一変させることができるのは、ある意味才能かもしれない。
彼らはズイッと巨躯を寄せて話しかける。
身体が大きい者は、ただ近づくだけで相手に威圧感を与える。
そうして相手が気圧されたところを、無理やり引っ立てていくのが彼らのやり口だった。
だが、彼らは知らなかった。
そこにいる異民族のメイドが、彼らの想像している女とはまったく異なる存在だということを。
「いえ、わたくしの目的は、あなたたちですの」
「……え? 公的権力みたいな?」
パッと思い浮かぶのが、警察機関である。
治安を維持するための機関は、もちろん存在する。
彼らがしていることは、まさに真っ黒。
引っ立てられれば、有罪確実である。
それでも、彼らはスッとぼける。
「俺たち、何も悪いことしてないんだけど?」
「しましたわ。ええ、しましたの」
「ガキを売り飛ばしていたこと? それ、そんなに悪いことかなあ?」
開き直る。
どう見ても、自分たちの方が強そうだというのが大きな理由だ。
メイドである。
メイドに、自分たちが敗北するとは想像もできなかった。
「いえ、そんなことはどうでもいいですわ。本当に、些事でしかありませんもの」
「……は?」
ブラフではない。
そのメイドは、心の底からそう思っていると理解させられる。
自分たちが悪だとは分かっている。
子供を攫うなんてことは、常識的に考えて忌避されるべき行為だ。
だが、そのメイドは些事と切って捨てた。
これには、男たちも目を丸くする。
「あなたたち、わたくしの大切な大切な……とてもとてもとてもとても大切なバロール様に、害意を向けましたわね?」
メイドは笑っていた。
だが、その得体のしれない雰囲気は、男たちの背筋に直接氷柱を突っ込んだような寒気を覚えさせた。
「やっべ」
すぐさま反転し、駆け出す。
その状況判断と危機察知能力は見事なものだ。
だからこそ、彼らは裏の領分を侵しながらも、今まで生きてこられたのだろう。
だが……。
「イズンも怒っているんだヨ!」
異民族のメイドの反対側には、真っ白な忌み子のメイドが頬を膨らませて立っていた。
彼女からも、異質な雰囲気は漏れ出している。
それを見て、彼らはようやく理解した。
自分たちが、完全に詰んでいることを。
「うっわあ……え? これ、俺たち終わり?」
「はい。さようならですわ」
輝くばかりの笑顔を最後に、彼らの意識は闇に飲まれていくのであった。
◆
2号の気分は非常に悪かった。
しかし、今からは想像できないが、少し前まではかなり上機嫌だった。
なにせ、脚をぶらぶらと振りながら、鼻歌まで歌っていたのだから。
それは、明らかにバロールとの散策が影響しているのだが、もちろんそれを知る者は組織に誰もいない。
広い情報網を持っている裏の組織であるが、そんな探るような気配を放つ者がいれば、2号が分からないはずがない。
だが、彼女がこんなにも不機嫌になっている理由は、誰もが知るところだ。
彼女の傍に立ち、詰問するように睨みつけている男――――ルブセラが原因である。
「なあ、おい。俺がお前に命令したのは、バロール・アポフィスの暗殺だったよなあ? 俺、何か間違っているか?」
「えー、知らにゃいけど」
彼女の直属の上司である、暗殺組織のボス。
そんな彼に対しても、2号はいつも通りの態度を崩さない。
敬意などは微塵も感じられない応答。
尋ねたこともはぐらかされ、男は苛立ちを露わにする。
2号が相手でなければ、すでに首が物理的に飛ばされていても不思議ではない。
しかし、それを許される……いや、許容される程度には、2号の功績は大きかった。
「おいおい、じゃあ命令を伝えさせたあいつが失敗したってことか? じゃあ、あいつも痛めつけないといけねえみたいだなあ」
「そうだね。頑張れ頑張れ♡」
「……おい、いい加減にまともに話をしようぜ。俺はこれでも、今かなり我慢してんだからよぉ」
媚び媚びの声。
2号がやれば、あからさまなぶりっ子も大変可愛らしくなるのだが、ルブセラには通用しない。
今すぐその首を掻き切ってやりたくなるが、何とか抑え込む。
問答無用で処分してしまうのは、あまりにも惜しい人材なのだ。
「どうしてバロール・アポフィスの暗殺命令を無視した?」
「…………失敗しちゃったからじゃにゃい?」
長い長い間を空けて、2号はそんな言い訳をした。
だが、それはあまりにもお粗末だった。
ルブセラは一切考えることもせず、鼻で笑った。
「嘘つけ。お前が失敗なんかするかよ。お前の能力は、誰よりも俺が認めている。だから、ある程度好き勝手に行動していても、見逃していたんだ」
高い能力。
絶対に失敗しない暗殺者。
それがあるからこそ、2号はある程度気ままに生きることができていた。
そうでなければ、他の組織の人間のように、完全に支配下に置いていたことだろう。
「能力的に失敗することはない。大貴族でもないし、護衛が過剰に強かったわけでもねえだろ。なら、考えられるのは……」
ギロリとルブセラの目が光った。
嘘や偽りは許さないと、目で伝えていた。
「お前の意思で、バロールを見逃したっていうことだ」
「…………」
2号は答えない。
ただ、金の瞳でルブセラを見据えた。
「お前はバカじゃなかっただろ。なら、こういうことをしたらどうなるか、分からねえはずないよな?」
問いかける。
話している間にも、ルブセラのいら立ちは増していく。
「俺たちは裏で、しかも暗殺なんて非合法なもんを請け負っている。だから、表以上に信頼っていうのが大事になってくるんだ。依頼したら、情報は洩れない。絶対に成功する。その信頼が、俺たちという組織を確固としたものにしている」
ルブセラの暗殺組織に依頼をすれば、必ず達成され、また情報が漏れない。
その信頼があるからこそ、彼のもとに暗殺依頼が舞い込み、裏社会での地位を確固としたものにしているのだ。
だというのに……。
「お前は、それを揺るがしたんだよ。ただ失敗しただけの方がマシだ。お前は、そもそも実行にすら移していないんだからなあ」
気まぐれに、やりたくなかったから暗殺しなかった。
そんなことが、依頼者にばれてみろ。
いや、依頼者だけでなく、もし第三者に漏れたら……。
ルブセラの組織の信頼は、一気に地に落ちる。
裏社会での地位も容易く崩れ、再び同じ場所に戻るまでに、どれほどの労力が必要になるだろうか。
「なあ、どうしてだよ。何も分からねえバカな俺に、教えてくれねえか?」
この返答に誤れば、殺される。
そう悟ることができるほど、ルブセラは強烈な殺意をまき散らしていた。
隠密に人を殺す暗殺者組織のボスとは思えないほど、分かりやすく濃密な殺気。
それを受けて、2号は……。
「気まぐれだけど?」
「…………あ?」
誤った選択肢に、全力で突っ込んだ。
もうわき目もふらず、一気に。
ビキリとルブセラの額に青筋が浮かんでいるのも構わず。
「だから、気まぐれだって。なんか殺す気になれなかったから、見逃したの。何か文句でもあるの?」
あまりにも堂々とした言葉に、ルブセラは怒りを抱きつつも言葉を発することができなかった。
マグマのように燃え盛る憤怒を、御しきれていないからという理由もあるが。
「もともと、みゃあがそういう性格だって、お前も知っているでしょ? っていうか、今までさんざん組織とお前に貢献してあげたんだから、一度くらいのことでギャアギャア言われる筋合いはにゃあい」
ケラケラと笑う2号。
言い訳や命乞いはせず、挑発までしてしまう。
明らかに自殺行為だが、彼女は心底楽しそうに笑う。
「(気のせいかもしれないけど、もしあのまま暗殺に踏み込んでいたら、マズイ気がしたんだけど……)」
あの場でバロールを殺しにかかったとする。
おそらく、殺すことはできただろう。
護衛だって、あれほど離れていたら、2号の身のこなしを考えれば余裕がある。
だが、第六感ともいうべき本能が、それを踏みとどまらせていた。
バロールに戦う力はないという情報なのに、彼自身に警鐘が鳴り響いていた。
「ま、それは言う必要はにゃいか」
そう思っていたが、馬鹿正直にルブセラに教えてやる必要もない。
2号は性格のこともあるが、あっさりとそれを忘れ去った。
「何が言う必要がないんだ? 一から百まで、全部全部説明してくれよ。じゃないと……」
当然、納得できないのはルブセラだ。
彼は強烈な殺意を、もはや隠さない。
「お前を、納得して殺せないじゃねえか」
「えー。どうせ殺すつもりだったら、いちいち話してあげにゃあい」
ケラケラと笑う2号。
他の者ならば、すでにルブセラは殺しにかかっていただろう。
それでも何とか我慢しているのは、彼女が本当に有能だからに他ならない。
「俺が納得できる理由だったら、考えても――――――」
「っていうかさあ」
しかし、そんなルブセラにも、限度というものがある。
「お前、みゃあに勝てんの?」
「ちょおおおっと調子に乗りすぎだよなあ、2号おおお!」
嘲りを多分に含んだ笑みと共に発せられた2号の言葉に、ついにキレる。
ルブセラは怒りのままに、彼女に襲い掛かったのであった。
 




