7月21日
短編小説たるものを書いてみました(゜∀゜)
私の書く長編小説とは雰囲気が全く違いますが、
「傘花ってこういう文章を書くんだなあ」という取っ掛かりになれれば良いかなと思っております。
短編小説を気に入っていただけましたら、是非傘花の長編小説も読んでいただけたらと思います( ´ ▽ ` )
ーーーだからこれは、紛うことなきただの愚痴の物語なのだ。
「夏休みの宿題って、いつやるタイプ?」
レストランでパスタをくるくると巻いていると、目の前に座る菜穂子が突然そう言った。
菜穂子とは中学生からの付き合いで、その歴はもう18年にもなろうとしている。だから私は、家族よりも彼女の事を知っていると自負している。
高校生までは中高一貫校で、菜穂子とは毎日嫌でも一緒だった。卒業し別々の大学に入り、お互いに就職し、学生の頃のように毎日会えなくなっても、1ヶ月に一度は最低でも遊びに行っていた。そんな関係は、4年前を皮切りにすっかりなくなってしまっていたけれど。
4年前、菜穂子が結婚し、出産したからだ。
子育てというのは噂で聞くより何倍も苦労ごとが多いようで、その凄まじさは、菜穂子から日々送られてくるメッセージでおおよそ学んでいた。夜泣きだったり、イヤイヤ期だったり、仕事に復帰した頃には、繰り返す子どもの風邪に菜穂子が随分悩まされていたのを覚えている。
子どもが1歳の誕生日を迎える頃には、1、2時間程度、子ども連れではあれど、年に数回は菜穂子と食事ができるようにもなったが、こうして2人でゆっくりと腰を落ち着けて夜まで遊びを楽しめるようになったのは、実に4年ぶりのことだった。
「何の話?」
「だから、美聡って夏休みの宿題、いつやるタイプ?」
私と言えば、そんな菜穂子が経験している人生とは程遠いところにいた。
彼氏がいたことは何回かあれど、出産子育ては勿論、結婚もしたことがない。実のところ、他人と一緒に住んだ経験もない。
だから、菜穂子の突然のその質問に、私はいまいち頭の整理が追いつかなかった。
菜穂子の子どもはまだ3歳になったばかり。彼女が仕事に復帰してからというもの、子どもは保育園に預けているようだが、齢3歳の児童に宿題を出す保育園が、果たして世の中にあるのだろうか。
「どうだったかな。でも、8月31日に全部慌ててやるタイプだったかも」
「やっぱり?私もそうだった。てか、今夏休みって、今8月25日くらいまでらしいよ」
「え?それ、一周回って31日までになったんじゃないの?」
「え?そうなの?」
「いや、知らんよ」
巻き終えたパスタを口に運ぶ。それで結局、何の話がしたかったんだと、心の中で呟く。
「じゃあさ、家事は?」また突拍子もないことを菜穂子は言う。
「は?」
「家事は、いつやるタイプ?」
ますます菜穂子が何の話をしたいのかがわからなくなる。どうやら、子どもの宿題の話をしたいわけではないらしい。
「家事って、例えば何よ」
「じゃあ、皿洗い」
「皿洗い?」
「うん」
「食後とか」
「すぐ?」
「割とすぐ」
「何で?」
何で?それは、何故食後にすぐ皿洗いをするかどうかという話だろうか?
そんなこと、深く考えたこともない。食事を終えた後、すっきりした机でお茶を飲みたいからだろうか。置きっぱなしにしてカピカピになった茶碗を洗うのが面倒だからとも言える。所有している食器の数が多くないから、なるべく早く片付けておかないと次のご飯の器がなくなってしまうからというのも1つの理由だ。
「宿題は後回しなのに、何で皿洗いはすぐやるの?」
「だって後が大変じゃん」
「宿題だって、計画的にやらないと後が大変じゃん」
確かにその通りだ。学生の頃、毎度のこどく宿題を休みの最終日に必死になってやっていたのに、今やそんな面影はない。
宿題も皿洗いも、面倒なことに変わりはないはずなのに。
「というかさ、それ、後天的に学んだからじゃない?」
私の言葉に、菜穂子は首を傾げる。カットフルーツが入った透明なティーカップに紅茶を注いで一口飲んだ後に、彼女は口を開く。「どゆこと?」
「だからさ、学生の時に宿題を後回しにして辛かった経験を経たから、今は後回しにしないというか」
「なるほど?」
「掃除もさ、やりたくないけどやるのよ。例のGの人を見たくないから」
「例のGの人と戦ってきた経験が、今、活かされているのね」
「そうやって、学生から積み重ねてきた経験が、今の面倒だけどやる私を生成したのよ、たぶん」
まぁ、私自身はゴキブリと戦ってきてはいないけれど。これまでゴキブリと対峙してきたのは家族であって、私はおおよその場合、離れたところから「早くやっつけて!」と指示しかしてこなかった。一人暮らしを始めてからは絶対にゴキブリなど見るものかと、生ゴミの処理はこまめに行い、コロコロを寝る前の習慣とした。
「まぁあと、先を見通す力?っていうのが培われた?的な?」強いて言えばね、と私は言葉を付け加える。
「先を見通す力か…。でもそれも、結局は今までの経験の上に成り立ってるよね」
虫が嫌いな私は、ゴキブリがでないためにはどうすべきかを考える。掃除、ゴミの処理。万が一出てしまった時に備えて、殺虫剤も用意する。これらは全て、ゴキブリと出会って対峙してきた過去の経験が、先を考える糧になっている。
宿題も同じだ。なるべく早めに処理しておいた方が後々楽ができるという点において、ある意味仕事に活かすことができているように思う。まぁ、宿題と仕事では、抱えている責任の重さが段違いのような気はするが。
「で、何の話なの?これ」
結局、私の思考はそこに戻る。
一体この会話は、何のための話なのか。宿題を休みの最終日にやることと余裕を持って家事をやることの何が関係あるというのか。
「いや、旦那がね」
「旦那?」
菜穂子の旦那と言えば、確か大企業勤めで若くして係長を任された将来有望な男だったはずだ。義実家が名家で、菜穂子はそんな旦那の家に嫁ぐ形で結婚したのだ。
金持ちの男と結婚したと言う話を菜穂子から聞いた時、全く羨ましく感じなかったことを思い出す。名家の長男と結婚したら、義実家との関係で色々と苦労するに違いないと思ったからだ。墓だとか、土地だとか、相続だとか。考えるだけで頭が痛くなる。
「いつまでも7月21日なんだなって話」そう菜穂子が言う。
「全然意味わかんない」
「終業式が終わって、夏休み1日目」
「わくわくどきどき。これからいっぱい遊ぶぞー!ってこと?」
「今までの私の話、聞いてた?」
そうでなければなんなのか。私にとっての夏休み1日目は、これから何して遊ぼうか、誰と遊ぼうか、遠出の計画、楽しいことを考えるので忙しい日だった。
いつまでも7月21日気分の旦那。菜穂子の旦那も、宿題は沢山遊び終えた8月31日に慌ててやるタイプなのだろうか。
そして、皿洗い。
「何?旦那が皿洗いしてくれないって話?」これまでの話から推理して、私は思いついたことを口にする。
「いや、皿洗いはしてくれるのよ。いつも、俺がやるから置いといてって言ってくれる」
「はい。ご馳走様」
「惚気たいわけじゃなくて」
「皿洗いをしてくれる旦那の気分は、いつもわくわくるんるん7月21日って話?」
「何か全然違うんだけど」
「じゃあ何よ」
「私にとっては、家事っていつも8月31日なわけよ。おしりが迫っているのに、まだやらなくちゃいけないことが沢山残ってる。だから、7月21日であっても早めに宿題をやろうって思うのよ」
「うん」
「でも旦那にとっては、いつまでも7月21日。まだまだ余裕があって、遊んでても大丈夫」
言いたいことは何となくわからなくはない。けれど私は恋人と同棲をしたことも友人とルームシェアをしたこともないから、これはあくまで想像でしかない。
菜穂子にしてみれば、夏休み初日の7月21日から宿題を始めておくことで、後々の楽を得たり、トラブルに備えておきたいのだろう。それは、家事、育児、仕事を両立していく菜穂子が先を見通す力を発揮しているからとも言える。それなのに、菜穂子の旦那は目の前にある家事や育児しか見えていない。先を見通して、宿題を早めにやろうとは思わない。後でやる。やるけれど、今すぐにはやろうとしない。後でやれば大丈夫だと思っている。
確かに、7月21日はそう思いがちだ。今すぐに宿題をやらずとも、まだまだ夏休みは沢山あると思っている。だから、遊ぶ。遊んでからやる。先に宿題をしてから遊ぼうなどという思考回路にはならない。
つまりは何だ。菜穂子の話したいことは、ただの旦那の愚痴か。だからこれは、紛うことなき菜穂子の愚痴の物語だったのだ。
「え?何これ、愚痴?」
「え?何、悪い?」
パンをちぎりながら菜穂子が私を睨みつけてくる。だから半ば笑いながら、私は答える。「それなら普通に愚痴ってよ」
「だって」
「しかもなんで7月21日なのよ。例え、もっと他にあったでしょ」
「今、夏休み期間でしょ?学生多いなって思ったから」
「この時間にいる学生は、宿題に追われる小中高校生じゃなくて、たぶんお気楽大学生なのよ…」
時刻はそろそろ夜の8時半を迎えようとしている。お洒落なカフェでまったりと夕食を取っていた私達も、ラストオーダーですと声を掛けてくる店員の姿を見て、慌てて食後のスイーツを平らげる。
私が伝票を持って立ち上がると、菜穂子が「私の分いくら?ペイペイで送金すれば良い?」と聞いてくる。私は「別にいいよ。奢るよ。4年分の誕生日プレゼントってことで」と応える。元々そのつもりだったのだ。
「ありがとう」と菜穂子が照れくさそうに笑う。私はそんな彼女の笑顔がたまらなく好きなのだ。
「あー、なんかカラオケにでも行きたいな。美聡、まだ時間大丈夫?」
デパートから外に出ると、空は当然だが真っ暗になっていた。デパートに足を踏み入れた時は、まだあんなに明るかったはずなのに、やはり菜穂子と一緒にいると、時間の経つ速度が全く違う。
洋服、コスメ、雑貨。沢山の買い物袋を持った手を持ち上げて、菜穂子は背伸びをする。
「私は全然だけど、オチビさんは大丈夫なの?」
「今日は旦那が寝かしつけする!って意気込んでたから。最近、空前のパパ期に突入してるから。何でもパパじゃないと駄目なの」
こういう話を聞くと、愚痴を言っていても何だかんだで仲の良い夫婦なんだろうなと思う。義実家との関係も、私はどう考えても遠慮したいと思ってしまうが、菜穂子のことだから、そこそこ上手くやっているのだろう。
幸せな結婚生活が送れているようで、何よりだ。4年前、突然「妊娠したから結婚する」と報告を受けた時はどうなることかと思ったが、度々会う彼女は、色々あれど充実しているように見える。菜穂子が幸せそうにしているだけで、私も嬉しく思うのだ。
「ねぇ、美聡」カラオケ店に向かって歩いていると、また菜穂子が私に聞いてくる。「お年玉って、貯めておくタイプ?」
あぁ、けれど、まだまだ4年間で溜まりに溜まった愚痴が続く夜になりそうだ。
終