終幕と告白
屋敷に駆け込んだシャルルとレベッカは、待ち構えていた使用人たちに抱え込まれるように保護された。
ローラの家の者たちの伝令が素早かったため、公爵家にもすぐに連絡がいっていた。
クロエは立腹して、プリプリしていた。
だが、忠実なメイドのクロエは蜂蜜入りのハーブティーをもってきて、レベッカの体調を気遣ってくれた。だが、恨みがましくこう言った。
「本当に、何というデートだったんでしょう! まったく!」
花火が得意で血の気が荒いエレーヌの家の者は大活躍だった。
火薬を巧みに使用し、夜の戦場を鮮やかな光で照らし出していた。
ローラの実家の諜報団は、異民族の指導者の動きを事前に読み取っていた。
そのため火薬集団は、ヴァレリアン家にとって有利な位置に守りを固めることができた。
ジャンは巧妙な機動で異民族の進撃を妨害していた。
シャルルとレベッカの後方支援をしながら、馬術の腕をいかんなく発揮していた。
こうして主人たちのデートを計画していた3人の若い使用人たちは、本人たちが想像していなかった方面において、各々が活躍ぶりを見せることになったのだった。
こんなときでも冷静さを失わないクレマンが言った。
「諜報によれば、黒幕はカンパニアのマルーニ伯爵です。以前我が家を訪れたときに嫌な感じはありましたが、まさかこんな大胆なことを企てるとは思いませんでした。火薬集団がいて助かりましたが、そうじゃなかったら思うとぞっとしますね」
「今は状況はどうなっている」
リビングのソファに座ったシャルルが、足を湯につけながらたずねた。
「賊は火薬集団が対処しています。まあ……ここからでも閃光が見えるほどの大爆発でしたから……もう収まっているのではないかと思いますが。公爵邸に突撃してきた無法者もおりましたが」
「なんだと。けが人はいなかったか」
「ええ。シャルル様も私の能力はおわかりでしょう」
レベッカは、以前、聖女の試験を受けさせた義理の娘アデルのことを思いだした。
そのときにクレマンは、魔力が見えるのだと話していた。
魔力持ちの力を利用して、独学で訓練をした彼は、屋敷の塀の後ろの人間の存在や、目視できる程度の距離であればある程度、侵入者のオーラを見たり感じたりして察知することができる。
そして、普通の魔力持ちとクレマンが大きく違うところは、彼には魔力が使えるということだ。
どのような訓練をしたのか、魔力を見るだけでなく、対象者や対象物に魔力を流すことができる。
クレマンはにっこりと微笑んだ――目は笑っていなかったが。
「もう二度と侵入する気をおこさないくらいには、お灸をすえておきました」
「殺してはいないよな」
「……はい」
「今の間は何だ? どうしてもの場合はしかたないが、屋敷内ではあまりな。寝覚めが悪い。だが、そんなことよりおまえたちが無事なのが一番だ」
レベッカは、クレマンだけは敵にまわさないようにしようと決意を新たにした。
クレマンが言った。
「マルーニ伯爵は姿を隠しているようですね。先ほどクロエが大聖堂に使者を出しました」
クロエはいらだちを隠すことも無く、口をはさんだ。
「騎士団を動かして頂きます。ええ。迅速に! 一秒でもはやく、あのいまいましいマルーニ伯爵を引きずり出してやりたい。大聖女様にもレオ兄様にもお手紙を書きました」
クロエはさらっと言ったが、王家のレオというのは先代王のレオポールだ。
無言で驚いたレベッカに、クレマンが囁いた。
「クロエはレオ様の、腹違いの妹御なのですよ」
「えっ……じゃあ、クロエさんって……」
「ええ。ですから、レオポール先代王が時々来るんです」
(そんなすごい人が来ていたなんてちっとも気付かなかったわ)
レベッカは素直にそう思った。
が、実際のところ何度も顔を合わせている、庭師のレオ爺がレオポールその人であることに、レベッカ
はまだちっとも気が付いてはいなかった。
「あんなものの酒を飲んでいたなんて忌々しい」
と、シャルルが吐き捨てるように言った。
レベッカは、シャルルと飲んだあの酒のことを思いだした。
そして、隣に腰掛けるシャルルの熱をもった背中に、そっと触れて言った。
「シャルル様。良いことだけを覚えていらしたらいいです。どんなものを食べたって、今はシャルル様の血肉になっているのですから。それにお酒に罪はありませんわ」
シャルルは自分を落ち着かせるように、ふうとため息をついた。
「……そうだな。今は味方の無事と、マルーニがはやく見つかることを願おう」
「ええ。きっと高額な報奨金がかかりますわ。それに、私は思いました、シャルル様」
「なんだ? デートを台無しにしてしまった俺への不満だったら、早いうちにぶつけてくれ。悪かったとレベッカに謝る準備はできている」
「違いますわ、シャルル様。あなたが私を守ってくれました」
レベッカの蜂蜜色の瞳が、まっすぐにシャルルを見た。
シャルルの銀の瞳に、柔らかな表情をしたレベッカが映る。
見つめ合う主人たちを見て、クレマンとクロエは示し合わせたように、そっと滑るように部屋を出た。
シャルルの足湯を淹れた洗面器に、新人の下男が湯を足した。
彼は下がるときにシャルルの手に小さな封筒を押しつけた。
シャルルにはすぐ分かった。ジャンからだ。
だが、レベッカの目に気をとられていたシャルルは、封を開けようとは思わなかった。
レベッカは穏やかに言う。
「シャルル様は不思議ですね。私もあなたのために何ができるか考えていますけど、自然とシャルル様のもとには人が集まるのですね。どんなことをすればあなたのためになるか、みんなが考えています」
「優秀な使用人たちがいるからな。皆には感謝している。だが、レベッカ」
「はい」
シャルルは冷え切った足を湯にひたしながら、レベッカにすねるような視線を向けた。
氷の美貌が温度を持って、年相応の素顔が覗いた。
「俺は、すごく頑張ったんだが」
「はい」
レベッカはくすくす笑った。
「何がおかしいんだ」
「シャルル様が子どものようなので」
「子どもでいい」
「何を言っているんですか」
「レベッカの前では子どもでいいから、わがままが言いたい」
「仕方ありませんね、シャルル様は」
見つめ合った二人の距離は、二人が意識しない程度ではあったが、会話の一言一言ごとに、少しずつ近付いていった。
「何をして欲しいのですか」
レベッカは、楽しそうに目を細めた。
艶やかな美貌がとたんに色を増す。
「……抱きしめて欲しい」
シャルルは小さな声だった。
人が見れば、これが誰もが怖れる裁判官、ヴァレリアン公爵だとはとうてい信じられないだろう。
レベッカの口角があがる。
「それだけでよろしいのですか」
「……いやだ」
「どうすればよろしいのです? シャルル様が嬉しいことをおっしゃって」
シャルルは一瞬、言いよどんだ。
手の中の封筒がカサッと音を立てる。
(だが、今、ここでジャンに頼るのか?)
シャルルは少し考えて、封筒を開けないことにした。
今の気持ちを伝えるのだ。
情けなくて、格好が悪くても、レベッカはきっと受け入れてくれる。
「俺を好きになって欲しい」
真剣なシャルルの表情はこの王国中の女性を卒倒させそうな色気に満ちていた。
だが、彼の意中の妻の反応は冷たかった。
「それは無理ですわ」
とレベッカは言った。
「そうか……」
とシャルルは肩を落とした。
その肩に、レベッカの頭がこてんと乗っかった。
「もう好きになっているものを、新しく好きになることはできません」
「レベッカ、それって」
「恥ずかしいですからあまり見ないで下さい」
「いやだ、見るぞ」
「恥ずかしいのです」
「好きといってくれ」
「いやです」
「どうして」
「恥ずかしいですもの」
「俺だって恥ずかしい。でもレベッカの顔を見たいんだ、いいだろう」
「もう……」
「お願いだレベッカ。領地を守ったんだぞ。少しご褒美をくれたっていいんじゃないか」
「ひどい方ですね、シャルル様」
レベッカは頬を染めて、だがはっきりと言ったのだった。
「好きですよ、シャルル様」
じっと見つめ合った二人はゆっくりと近づいた。
そして、鳥の羽が触れるような口づけをした。
シャルルの手から、ジャンからの封筒が滑り落ちて、中身が床に飛び出た。
そこには、きちんとした字でたった一言だけ書いてあった。
『お幸せに!』
END
緩やかな告白でした。これにて終幕です。
おつきあい下さり、ありがとうございました!




