涙と筒音
「誰の仕業だろうか」
冷え冷えした声でシャルルが言った。
「このヴァレリアン公爵家に手出しするとは良い度胸だな」
この国では貴族は領地を代々世襲する。
それが貴族社会の完成されたシステムなのだ。
だから、相手自身を攻め滅ぼすことはない。
小競り合いになるときの方法は一つで、貴族本人を誘拐して身代金を得るのだ。
(私怨か、血迷った者か、山賊か、あるいは。)
シャルルはレベッカを自分の前に座らせた。
レベッカを鞍に座らせると、自分は後ろに座る。
二人乗りの後ろ側になったことはなかったが、小さな頃、乗馬の教師がこうしてくれた。
裸の馬の体温が太ももに伝わってくる。
頼んだぞ、という気持ちで軽く蹴ると、馬は気合いを入れるように小さく鳴いてくれた。
ジャンが後からものすごい速さで追いかけてきた。
早馬を乗りこなす領民たちを率いてきたとあって、さすがに身のこなしが別格だ。
「ご無事ですか! このまま屋敷に戻りますよ」
「相手は誰だ」
「異民族の者が狙っていたという情報だけです」
レベッカは、先の緑の瞳のウエイトレスを思い出した。
あの瞳は異民族の色だったのかもしれない。
少しさみしそうで、何かを諦めたようなあの色を、レベッカは思い出した。
「今、ローラの家の手の者たちが情報を集めに散っています」
「ジャン、相変わらず仕事が早いな。いや、早過ぎないか」
「おそれいります」
ジャンはそう言うにとどめた。
さすがに四方八方に諜報部隊を張り巡らせて、主人たちの恋愛模様を監視していたとは言いがたかったのだが、そうとは知らないシャルルはジャンの手腕に改めて感服していた。
馬車を引いていた馬は、野生に戻ったかのように道を駆けた。
レベッカはシャルルの腕の中でなるべく小さくなって身を隠している。
必死に鞍にしがみついているレベッカをシャルルはしっかりと包み込んだ。
もうすぐ公爵家の敷地内だ。
小さな森の入り口が見えてきた。
その時だった。
「すまねぇな、あんたらに恨みはないが、ちょっと来てもらおう」
闇夜に乗じて、五人、いや六人の山賊のような出で立ちの男たちが現われた。
シャルルは身構えた。
(武器を持っている)
賊たちは手にナイフやらハンマーやら、物騒な物を持っていた。
シャルルとレベッカに危害を加えるつもりはないようだが、馬を殴り殺してしまおうという算段なのかもしれない。馬も荒い鼻息をして、敵意をむき出しにしている。自分の身の危険を本能的に察知しているのかもしれない。
シャルルの前に馬を寄せて立ちはだかったジャンが言った。
「お前たちは何者だ!?」
「ふん、素直にしゃべると思うか? おい、おまえら、公爵夫妻は傷つけるなよ」
「へい」
「わかりやした」
賊はじりじりとこちらへ近寄る。
馬に乗ってはいないが、そのぶん小回りがきくし、武器をもっている。
シャルルは腕の中のレベッカを抱きしめた。
そして、レベッカの耳元に顔を寄せて低い声でささやいた。
「レベッカ。俺が飛びおりる。その瞬間、馬にしがみつけ。この馬は賢いからまっすぐ屋敷に戻るだろう。絶対に振り返るんじゃ無い」
「シャルル様」
「このままでは俺たちは二人とも連れ去られる」
「嫌です。私も一緒がいい」
「だめだ。どんなことがあるかわからない。屋敷は安全だ」
「嫌……」
レベッカの目から涙がじわとにじんだ。
「泣かないでくれ」
シャルルはレベッカを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。
「俺は君の涙に弱い」
「嫌です……」
「だめだ。聞き分けてくれ。きっとすぐ会える」
「シャルル様ッ!」
シャルルが手綱を引いた。
馬がいななく。
そして、嵐の中を舞う枝から千切られた若い葉のように、シャルルはひらりと地面へ飛び降りようとした。
その瞬間、闇を切り裂いて
パンッ!
と、鋭い音が響いた。




