計略と算段
ヴァレリアン公爵領の壮大な屋敷は、美しい庭園に囲まれ、高い塔が夜空にそびえ立つ。
屋敷に住むヴァレリアン公爵シャルルと彼の妻レベッカのため、使用人たちは夫妻の心をより深く結びつけるべく、緊密な協力を始めた。
普段は屋敷の中で、精を出して仕事をしている面々は、今日は私服で町中に集合していた。
とはいっても、平民たちの集う商店ではない。
良家の貴族が馬車で乗り付けるような、観劇のための劇場だ。
入り口に併設されたカフェ・サロンの前で、すらりとした長身の男性が待っていた。
ぴったりと身体に合った、流行のラウンジスーツを着こなしている。
誠実そうなまなざしは知的で、育ちの良さを感じさせる。
「お待たせ、ジャン」
「お待たせしました」
と、現われたのは二人の――若い紳士だった。
二人ともスーツに身を包み、小柄ではあるが颯爽としている。
髪はウィッグで短髪に見せているが、公爵家の侍女のローラとエレーヌだ。
二人が男装しているのは、未婚の男女が好き勝手に出歩いているとなると、良くない噂が立つからである。そして、そんなリスクをおかしてまで、ヴァレリアン公爵の使用人である彼らは集まっていた。
貴重な休暇にもかかわらず、である。
「と、いう感じでここからがスタートね」
細身のジャケットを身にまとったエレーヌが優美に微笑む。
「ああ。馬車は裏へ回して、シャルル様たちは観劇に間に合う時間にここへ入る」
ジャンが後を引き継いだ。
「観劇なら任せて下さい。今の時期は最高のラブ・ロマンスと名高いオペレッタがありますから」
観劇が趣味のローラが胸を張った。男性に見えるよう陰影をつけた化粧をしているが、穏やかな雰囲気は女性の姿のときとさほど変わらない。
「自慢ではありませんが『恋の妙薬』を今日で観るのは五回目です」
エレーヌが呆れて言った。
「よっぽど好きなのね……」
「はい! これは十年に一度の名作です。二人で観劇すればきっと頭が恋愛一色になっていいムードになること請け合いです」
三人は事前に予約していたボックス席に座り、二階から『恋の妙薬』を観劇した。
響き渡るアリアに、使用人たちは日々の疲れをつかの間忘れた。
そして、劇場を出た三人は、ジャンが待機させていた馬車へと乗り込んだ。
御者はジャンの実家の者だ。早馬家業を生業としているジャンの領地は、馬の使い手で優秀な者が多くいる。確かにほとんど揺れない馬車は信じられないくらい乗り心地が良かった。
一同を乗せた馬車は、劇場から離れ、ジャルダン庭園へ向かった。
剪定された林檎の木や、立ち枯れた紫陽花など、冬の訪れを感じさせる風景だ。
馬車が止まると、エレーヌが先に飛び出た。
「さて、ここまでレベッカ様たちが来たら、いよいよ私たちの出番よ」
エレーヌはジャケットのすそをはためかせながら、地面に降りた。
エスコートなど無くても平気と言わんばかりに、ひらりとした身のこなしだ。
今日は男の振るまいを存分に楽しむらしい。
ローラはゆっくりと馬車を降りて言った。
「当日ジャンはこの庭園に待機していて、そして、アレが始まるということですね?」
ジャンは頷いた。
事前に許可はとった。
準備はもうできている。
木立の奥から生き物たちが立ち上がる音がした。
ジャンは合図の指を鳴らした。




