クロエとクレマン
「最近、妙な動きがありますね」
クロエはずばりと言った。
過去、遠縁ながらも王族の一員であったクロエは何に対しても物怖じすることがない。
結婚して王室を離れた今となっても、その出自は彼女の聖職に対する使命感と結びついていた。
大聖女と親しいという強力なつてを使って、クロエはこの国どころか大陸全土の情報を得ている。
かと思いきや、あの侯爵とあの男爵令嬢が仮面舞踏会で乳繰り合っていたらしいと噂されているというような、非常にくだらない貴族のゴシップまで仕入れてくるのだから、恐ろしい。
「今、何か失礼なことを考えていませんでしたか、クレマン?」
「いいえ、何にも」
言い当てられて、本当のところクレマンはほんの僅かにためらったが、ティーカップを傾けてやり過ごした。クロエは第六感があるのかもしれない。
「どうせ、あなたのことだから、お節介おばさんもここまでくればすごいとか何とか、そんなところでしょう。ええ、いいんですよ。どうせ私はお節介おばさんです」
と、ぶちぶち言って、クロエはマロングラッセを頬張った。
クレマンが事務作業をするお供にと自分で持ってきたのだが、たくさんあったのでクロエにも分けたのだ。クロエがわざわざお茶を淹れてくれたので、こうしてまたクロエの自室の片隅の『相談室』でお相伴にあずかっているわけである。
他の使用人よりもほんの少し人生経験の多いクレマンは知っている。
女性が『いいんです』と言うとき、彼女はティースプーンひとさじほども本気で『いいんです』などとは思っていない。むしろその真逆ですらある。
「クロエ。あなたのことを誰も、お節介だと言ってはいません。それに私たちはあなたを素晴らしい淑女だと思ってますよ」
「それならいいんです」
と、まんざらではなさそうにクロエは言った。
クレマンのティーカップの前に、小さなタンジェリンが置かれる。
「貰い物ですがよかったらどうぞ。ターリア産のタンジェリンですよ」
果樹栽培で有名なターリア領のタンジェリンというオレンジ色の実だ。
待遇が良くなったことにクレマンは人心地ついた。
やはりフォローは大切である。
クレマンには物固有の魔力が見える。
生まれつきの物なので、人に比べてどうかと考えたことなどないが、不便なときもあれば便利なときもある。瑞々しいタンジェリンにはあふれ出しそうなエネルギーのオーラが満ちている。
一つ実を持ち上げて、クレマンが
「今年はターリア領は豊作だったようですね」
と、言うと、クロエはタンジェリンの実を指で剥きながら頷いた。
「ええ。例年になく好天が続いて、日照条件が良かったそうです。タンジェリンは日差しを好みますから。ですが、山を越えた先では大変だったようですよ。ホーヨキ地方やらマルーニ領やら、葡萄の産地ではなぜか逆に不作だとか」
「植物も呼吸をしていますからね。寒暖差がなさ過ぎると、葡萄は実が駄目になってしまうんですよ。朝や昼はしっかりエネルギーを使い、夜は休ませてやらないと甘くならないのです」
「あら、そうなのですね」
「ええ。寒暖差があればあるほど葡萄は美味になるのです。最近は夜になっても暑いですからね。ところでクロエ、先ほど言っていた妙な動きというのは」
クレマンは先日の一件を想い出していた。
あてつけのように不作の年のワインを贈ってきたマルーニ伯爵。
確かに無礼ではあった。
だが、あれはシャルルがあまり酒に耽溺する性質ではないと知っていたから、あのような振るまいができたのではないか。ワインの高級な物と最高品質とは、通でなければ分からない微妙な違いだ。もともと普段から嗜好品としている人間ならばともかく、つきあいで飲むようなシャルルには、たいして重要ではないのかもしれない。さらに言えば、あの瓶を開けた日は、レベッカに見とれてシャルルは食事どころではなかった。レベッカにしてみても、これまで実家で虐待に近い生活を送っていたのであれば、あの品質のワインでも十分に美味と感じられただろう。
価格でいえばマルーニが送ってきた物だってそれなりに高級だ。味も悪くない。
しかし、最高級ではなかった。
公爵家にとってそれが何を意味するか?
クレマンは思った。
考えすぎだろうか?
「最近、屋敷の中であの3人が何かまた企んでいるようなのですよ」
クレマンの意識はクロエの声に引き戻された。
「あの三人というと……」
「決まっているでしょう。ジャン、エレーヌ、そしてローラですよ」
「ああ、あの……」
「何かまた坊ちゃんをダシにして、よからぬ楽しみでも計画しているのではないかと」
よからぬ楽しみ。
酒瓶が見つかったときのジャンたちの表情を想い出して、クレマンはほくそ笑んだ。
あれは傑作だった。
「まあ、大丈夫ではないですか。彼らは」
「クレマンはまたそんないい加減なことを言って。いいですか、私は使用人の心得というのを……」
右から左へとクロエの言葉を耳に通過させながら、クレマンは二つ目のタンジェリンを剥き始めた。




