滋養と金曜日
箱に入った指輪を持って、ヴァレリアン公爵家が当主シャルルは家路に就いていた。
昨日ジャンに連れられて入った店で悩みに悩んで決めたデザインの指輪だ。
(レベッカは気に入るだろうか)
華奢な彫刻が入ったシンプルな指輪だが、希少なディアマンが細かく意匠に沿って埋め込まれており、見る者が見ればとんでもない品であることが分かる一級品だ。
だが、シャルルとしては、価格などは正直なところ二の次で、レベッカが喜んでくれるかどうかというただ一点が気になっていた。
(まさかプロポーズをするなんて思ってもみなかったが、きちんと自分の思いを告げておかなければ)
シャルルは密かに思っていた。
レベッカがジャンの横に並んだ時に見せる笑顔に胸が焦げるようになることを。
そうではなくとも、自分以外の人間と話す横顔の美しさに、どうしようもなく切なくなることを。
結婚という契約で繋がっていても、心を繋げられなければ意味がない。
(俺以外のところに行かないで欲しい)
シャルルは腹をくくっていた。
ジャンによると、使用人のエレーヌ、ローラは全面的にシャルルに協力してくれるらしい。
仕事から戻ったシャルルは遅い晩ご飯を食べ、簡単に湯浴みを済ませると、ジャンに見送られていつもの週末の隠れ家へと赴いた。
普段と違うのはシャルルの手に、純白の箱が握られていたことだけだった。
「おかえりなさいませ」
と、レベッカはいつもの小部屋でシャルルを迎えた。
夜着の上にガウンを羽織り、リラックスした様子のレベッカは、裏庭にあるシャルルのお気に入りの小屋の中で待っていた。
ローブ・ド・ヌイと呼ばれる夜用のガウンはゆったりとして、レベッカの体を優しく包み込んでいた。
その下の締め付けの無い夜用のシフト・ドレスをちらりと想像して、シャルルは咳払いをした。
(違うぞ。そういうことを考えるんじゃない。集中だ)
何ということはないが、前回のフォークを落としたときの心中を思い出し、シャルルは気合いを入れ直した。
今日こそはかっこ悪いところを見せてはならない。
(法廷や判所ならばどうということはないのに……)
レベッカの前では一番かっこいい自分でいたいのだ。
なのに、不思議とかっこ悪くなってしまうのはいつもレベッカの前だ。
(恋というのはままならないな)
ふわふわした夜着に包まれるレベッカは高級な猫のようだ。
ソファでクッションを抱きかかえている愛らしいレベッカを、シャルルはぼんやりと眺めた。
「シャルル様? どうなさいましたか。お疲れでしょうか」
レベッカは首を傾げる。
心配そうな顔をさせてしまった。
シャルルが慌てて、いや、そうではないと言いかけると、レベッカは立ち上がった。
「今日はローラとエレーヌが、シャルル様への癒やしグッズを用意してくれたのです。まずは、こちらのコイン型のルショコラ」
「おお。かの有名な、王族も口にしたという……あー……薬だな……」
「ええ。滋養強壮の類いのお薬なのだそうですわ。ローラが一番効くものだと言っておりました」
シャルルは遠くを見た。
レベッカは意味を分かっていない。
つやつやと光るコイン型のルショコラは特別な薬局でしか買えない。
世継ぎを生むことを使命とする王族にとって必要な、つまりそういう薬だ。
(ローラめ!)
シャルルはこれを食べた場合、非常に強固な理性が必要になる気がした。
第六感が働いたといってもいい。
シャルルはキリリとした精悍な顔つきで言った。
「残念だが最近歯が痛むので今日はやめておこう」
嘘である。
南蛮渡来のペーストまで使ってきちんと歯を磨くシャルルの歯肉は健康そのものだ。




