自覚と月曜日
使用人の談話室にて。
「最高だったでしょ? 今夜のレベッカ様は」
とにんまり笑っているのはエレーヌだ。
勝ち気そうな顔が自慢げにほころんでいる。
「ええ。エレーヌが得意になるのも分かります」
「得意になんて……いや、なったわ。認める。だってレベッカ様の仕上がりったら! 最高に艶っぽかったでしょ? 歴史に残る艶やかさだったわよね」
向かいに座ってハーブの茶を飲んでいたジャンが、ため息をついて言った。
「やり過ぎです」
「あら。何が?」
「あれは確信犯だ、エレーヌ。分かっててやっただろう」
「美しいものをさらに美しくして、いったい何が悪いというの」
「あんな……存在だけで青少年を殺すような女性を作り上げて、今日の晩餐がどうなるか、考えなかったわけないだろ? シャルル様があれだけ取り乱されて」
「だって、レベッカ様って本当に磨きがいがあるお方なのだもの」
「あのな。見た目は傾国の美女、中身は5歳幼女……ってのは、男にとってはある意味で最強の兵器みたいなもんだぞ」
3人は今日の晩餐会の様子を思い浮かべていた。
これまで様々な令嬢に言い寄られても、氷の凍てついた瞳をついぞ溶かすことのなかったシャルルが、今日はまるでだめだった。
「フォーク落としておられましたね」
「そうね。しかも二本目のフォークも落としそうになってたわね」
「使用人全員が途中からかわいそうなものを見る目になってたわ」
「だけど、一つ良いことがあった」
と、ジャンが言った。
「部屋に戻るシャルル様が俺に言ったんだ。『ジャン、あの小説の全てに合点がいった』と」
「ジャン、本当にあれをシャルル様に読ませたのね……」
「有言実行の男だ俺は」
ジャンはニヤリと笑って言った。
「シャルル様は今日、はっきり自覚されたのだ」
まさか。
女性陣に、歓喜の前特有の、今にも弾けだしそうな沈黙が広がる。
満を持して、ジャンが言った。
「レベッカ様を特別な女性として見ている。つまり……『恋』をしているのだと」
わぁっと喜びの声があがった。
ジャンの吉報にエレーヌとローラは両手を打ち合わせた。
「これは俺たちも飲むしかないな。ちょうどさっきの酒の残りが瓶に余っていたのを、シャルル様がくれたんだ」
「まあ。ちょうどグラスに3杯分くらいだわ」
「良いですね。偶然にもここに三人の善良な使用人が」
にっこりした三人は、それぞれのグラスをあけた。
休憩用のそれぞれの私物のマグカップだが、中身は高級ワインだ。
「よし、それじゃあシャルル様とレベッカ様の」
「前途を祝して……」
「乾杯!」
三人がマグカップに口をつけた、そのとき。
「お疲れ様です」
と、部屋に入ってきた人物がいた。
ヴァレリアン公爵家の使用人の頂点。
執事長という栄誉ある職である男。
クレマンその人だった。
思わずブーッと吐き出しそうになるジャン。
咳き込むエレーヌ。
マグカップの中身を絨毯に零しかけるローラ。
灰色の髪をぴったりとセットしたクレマンは、あくまでも物腰柔らかに入ってきた。
クレマンに魔力があるということは、長く勤めているヴァレリアン公爵家の使用人であればみんな知っている。
「おっ……お疲れ様です」
「お疲れ様です、クレマンさん」
「お疲れ様です」
挨拶をしながら、三人の心は通じ合った。
(まずい。ものすごーくまずいことになった)
(やばっ……クレマンさん魔力持ちだから物固有の魔力が見えちゃうのよね。ってことは)
(私たちのカップの中身もクレマンさんには筒抜けってことですよね)
「ああ。やはりここにありましたか」
クレマンは穏やかな雰囲気をいつも保っている。
いつもというのは文字通り、『いつも』だ。
朝も晩も雨の日も雪の日も、どんな特別な事態が起きても、クレマンが感情を表に全面に出しているところを見た者は誰もいない。
クレマンの瞳がすっと三人のカップに注がれた。
魔力のない三人には、クレマンの目にどう映っているのかは分からない。
だが、今はクレマンのその優しそうな目が怖かった。
(魔力持ちっていったって個人差があるっていうしな)
(聖女だって力に強弱があるらしいもの)
(まさかカップの中身が何かあてるなんて魔術師のようなこと)
「やけにおいしそうな物を飲んでいるのですね」
クレマンが微笑む。
そして、ジャンに向けて手を出した。
ジャンは諦めて、テーブルの下に隠していた酒瓶を出した。
クレマンは空の瓶を手に取り、じっくりと眺めた。
ジャンは諦めつつ言った。
「シャルル様が下さったんです。残りは好きに飲んで良いと」
「ほう。しかし、勤務先の邸宅の談話室で酒盛りとは、良い度胸ですね」
「すみません」
素直に謝ったジャンに続けて、ローラとエレーヌも
「申し訳ありませんでした」
と、頭を下げた。
クレマンは何も言わずに三人を見て、その後、回収した酒瓶に視線をうつした。
いつになく鋭い視線でじっと酒瓶を見ている。
「これは私がしかるべき場所に持って行きます」
と、クレマンが厳かに言った。
(終わった)
(終わったわ)
(終わりました)
三人の心は共通していた。
業務の終わった時間とはいえ、勤務先の家の談話室で酒を飲むなんてあまり褒められた話ではない。
罰則か、もしくは罰金か。
がっくりとうなだれた三人を見て、クレマンは微かに目を細めた。
「しっかり戸締まりしておくように」
と、クレマンは言った。
(えっ、それだけ?)
拍子抜けしたエレーヌは思わず立ち上がった。
「あっ、あの、クレマンさん」
「何ですか、エレーヌ」
「あー……あの、クレマンさんはここに何をしにこられたんですか?」
「酒瓶を回収しに来たのですよ」
「それだけですか?」
「ええ」
クレマンは穏やかな目をして言った。
「もうすぐ聖夜祭ですね。ジャンは恋人へのアクセサリーはもう手に入れたのですか?」
「えぇ……そんな、俺に恋人なんていませんよ」
「はは、そうでしたか。人気の指輪やネックレスはすぐに売り切れてしまうようですよ。まあ、その時が来たら早めに注文することをおすすめします。私は妻の指輪のサイズを間違えてしまって、散々泣かれて
しまったことがありますからね」
(妻!?)
ローラとエレーヌは顔を見合わせた。
無言だったけれどお互いに言いたいのは同じことだった。
まさかクレマンさんに妻がいたとは。
でも、年齢を考えてみればクレマンさんが結婚していないことの方が不思議だ。
孫がいてもおかしくない年齢なのに、何となくクレマンさんに『恋愛』の要素を感じていなかった。
ジャンはのんきに言う。
「ええ、クレマンさんにもそんなことがあったんですか。何でもそつなくこなせそうなのに」
「恋愛と仕事は全く別ですよ。自分ではない人間がいるようになることすらあるのですからね。まあ、私にとっては数十年前の昔話ですが、皆さんやシャルル様にとってはこれからの物語です。幸運を祈っていますよ」
クレマンは微笑みを絶やさずに、音も無くドアを閉めた。
流麗な動作に執事長はさすがだと一同は感嘆した。
「そうよ、指輪だわ!」
と、声をあげたのはエレーヌだった。
さっきまでの元気のなさはどこへやら、興奮してキラキラと瞳を光らせている。
「指輪ってなんだ?」
「さっきクレマンさんが話してたじゃない。シャルル様よ。シャルル様がレベッカ様にプロポーズなさったらどう? 書状だけの婚姻ではなくて、恋愛している者同士がするような、ロマンチックなやつよ」
「ああ! それはいい考えですね、エレーヌ! そうなると、指輪というのも」
「ええ。もちろんレベッカ様とシャルル様のご趣味に合う特別なものを特注するのよ。もちろん、公爵家に代々伝わる結婚指輪があるにはあるわ。だけどレベッカ様は畏れ多いといって普段は身にお付けにならないでしょう?」
「つまり、ヴァレリアン公爵家とは関係なく、レベッカ様とシャルル様だけの、二人だけの指輪を作るということですね」
「その通りよローラ。お二人の『好き』をめいいっぱい詰め込むの。流行の最先端の人気店は?」
「いいえ。伝統と格式です」
「とにかくシャルル様に進言してみよう。今日のこの感じなら聞いてくださるはずだ」
こうして使用人三人の全面プロデュース、『ヴァレリアン公爵シャルルのための一世一代プロポーズ大作戦』が始まった。




