お舟と義父母
悲しみにくれるお舟を気遣う安であったが、人の心は一様ではない。
つまり、皆が皆お舟を気遣うばかりではなかったのだ。
段助が絵を安にあげる約束をした日から数日後のことである。
「お前はこれからどうするのだ?」
舟の前に座るは、芳平の親。
「もう芳平はおらぬ。お前は、この家とはなんの関係もないのだ。子がおれば良いのだが、しかし……」
「はい。おりませぬ」
言いにくいように言う親に向かって、舟は慎ましく言った。
「あなたたちはまさに天の定めた縁。連理の枝、比翼の鳥と思っておりましたのに、こんなに芳平を早く失うことになって……」
芳平の母も嘆かわしそうに言った。舟は首をゆるゆるとふった。
「この家をお暇致さなくてはいけないことは重々承知しております。夫婦といえど、血の繋がりが生まれるわけではございません。もともと、芳平様と私を結びつけるものは何もなかったのです。いえ、夫婦とは、そもそも結びつかないものなのかもしれません」
舟は、近頃の泣き様とは打って変わって、少し力を込めて話していた。
まるで自分に言い聞かせているようにも見えた。
「枝葉がつながって一本の枝のように、翼を並べて一つの鳥のように。そう見えていたとしても、ただ見えていただけのこと。決して私と芳平様は同じではないのでしょう」
舟はしっかりと芳平の親を見据えた。
「子もおらず、この家とも何の間柄もない私であること、だから出ていかなくてはいけない。それくらいの道理はわきまえております」
袖を濡らしながらも言葉をはっきりと言葉を紡ぐお舟だった。
そこで、慌てたように。
「いいえ、そのような話ではありませんわ」
「昔馴染みのお前のことだ。このまま、この芳平の家にいてはくれまいか」
畳み掛けるように、芳平の両親が言う。驚いた顔で舟は二人を見つめる。
「と、おっしゃいますと?」
父親の方が腕を組んで話し始める。
「さっき言ったようにお主らには子供がおらぬ。儂らは、この家が断絶することは避けたいのだ。しかし、運が悪いことに芳平は我らの一人息子。世の人のように兄弟に家を継がせることはできぬ」
父親が頭を下げる。
「じゃから、このまま芳平の家のものとしていて欲しい。新しく婿を迎えてもよい。ただ、こちらの親戚から誰か養子としてこの家に迎え、育てていただきたい」
なるほど。お家存続。大きな家とはいえないが、それなりに思うところがあるようだった。しかし、それ以上に、舟には気になることがあった。
「ありがたいお言葉ですが……でも、直接どなたかをあなた方の養子にお迎えなさればよろしいでしょう。わざわざ私をこの家につなぎとめ、私の子供とするよりも」
「わしらはもう年なのだから……」
父親が口ごもるが、お舟はそれをかき消した。
「いいえ、本当のことをおっしゃってくださいませ。」
「お舟さん。本当のことと言われましても―――」
「私の実家のお金がお目当てなのでしょう」
義理の両親は下を向いた。舟の家は、和泉の隣、摂津にあるものの、有名な呉服屋である。
対する芳平の家は、傾きかけた武家。有力な商人との婚姻で金を得ようとするのは別段珍しいことではなかった。
しどろもどろに弁明する老夫婦。
「そんな。ただ、私は芳平のためを思って。お舟さんも住みなれたここに一緒にいた方がよろしいでしょうに」
「お前の親類は、そのままいて良いと言ってたぞ」
うんざりだ、と舟は思う。芳平を亡くしたことは悲しかったが、以前から彼らは自分を金蔓のように扱う、そう思っていた。
しかし、このまま実家に帰っても無駄だろう。舟の両親は武士の親類が欲しいのである。
舟は、何か言おうと口を開けては閉じてを繰り返した。
一向に承諾しないお舟に、言い聞かせるように、義父は言う。
「婿には武士ならば誰を迎えても良い」
「そのようなこと、まだ私には早すぎます」
「どんな者でも。貧乏だろうが位が低かろうが構わぬ」
「誰でも?」
「ああ。誰でも良い。お主の好きな者を選ぶが良い」
舟は考える様子を見せた。ここに残らざるを得ない以上、少しでも自分の味方が欲しいのである。
「誰でも良い。それでしたら、この家に残りましょう」
「もし、お舟さん。どなたか芳平が亡くなってまだ百日と言えど、もう百日。どなたか良い人はいるのですか?」
態度を変えた舟に、喜色をにじませながら、義母が言う。
舟は意を決したように答えた。
「では、香太様と結婚したく思います」
「何、香太だと?」
芳平の両親が見開いた。
「はい。どなたでもよろしいのでしょう? 香太様であれば、芳平様の、はとこ。どこか、似通うところもございます。それに……」
舟は心底嫌だ、とでもいうように言った。
「養子をお迎えになる手間も省けますでしょう?」
虚を突かれたように唸った両親であったが、先に折れたのは母親の方だった。
「あの人ならば、芳平様に遜色ありませぬ」
「昔馴染みであるしなぁ」
「それに仕事もできるだとか。今までは縁がなかったが、せっかくだ。芳平の代官の役を引き継がせてみては」
「そう言うことなら仕方がない。そうと決まれば結婚だ」
お舟が気を変えては大変、とばかりに、とんとん拍子に、新たな婿を迎えることが決まってしまった。
※※
安は芳平夫婦の仲の良さは堺一と思っていた。安は夫婦を自分の親のように思っていた。
幼い時分に両親を失って以来、芳平の家で使用人と言えども、子供のように可愛られていた。
近頃の舟は心も晴れているようで、前のように芳平のことを思い出していつまでも泣いていることもなくなった。安は嬉しかった。
だから、舟が新しく香太に嫁ぐことも、前をむくためには必要なことだと分かっていた。人間、めそめそとどうしようもないことを思い出して、立ち止まってはいけないのだと思っているのだ。
しかし、一方でなぜあんなにも芳平と相愛だった舟が新しい男と共にならなければならないのか、少し苛立ってもいた。
芳平の両親と結婚話についてあらかた決まったのち、舟と安は香太の元を訪れていた。
「香太様!」
普段は安が声をかけるのに、今日は舟自らが香太に話しかける。
その珍しさに香太は何か戸惑ったような反応をした。
「お舟、何かあったンか」
もしや何か差し迫った、不都合でもあったのか、と心配そうな香太であったが、喜色に溢れるお舟の声に、そうでもないようだと察したようでもあった。
「香太様。私はこれからもずっと芳平の家にいることになりました」
「なんと。それは……おめでとう」
「いいえ、それだけではないの。私はこのまま芳平の家にいて、あなたと結婚をしても良いと。あなたを養子に迎えると、そうおっしゃったのよ」
嬉しそうな舟と裏腹に、香太は不安げであった。
「……本当にそれでええンか」
「何がでございますか」
「その……俺がお前の夫になって」
舟はするり、と香太の隣に座り手を握ろうとした。しかし、香太は何かに怖気付くように手を引っ込めた。
見かねて安が口を挟む。
「確かにお舟様と芳平様は良い夫婦でしたけれど、お舟様はこう言ってはるのです」
「お安。ありがとうね。あなたはいつも私の味方になってくれる……」
お舟は嬉しそうに安頭を撫でた。
それから、香太の方を見つめ、もう一度お舟は手を伸ばした。今度こそ香太は手を動かさなかった。