疑惑のお舟
同心の朝は早い。代官・芳平の死を聞きつけ、話を訊こうと早朝から作業を始めていた。
舟と安は、例の橋のたもとで同心に昨晩のことを聞かれていた。傍には、友の死を聞きつけた香太もいる。
そしてその周りには野次馬たち。
二人組の同心のうち、しかめ面の方が聞く。
「芳平には何か狐憑きの前触れでもあったんか。どうや」
「ありませんわ。そんな急に狂うことなんて。ありえません」
お舟はうんざりと言った調子で言った。
それもそのはず、朝から何度も同心に聞かれ続け、しかし一向に何もわからないばかりで、どうどうめぐりをしているのであった。
「じゃあ、何で川に行ったんや」
「それを明らかにしてくださるのはあなた方でしょう」
「まずは死体が上がらぬことには……」
しかめつらが口ごもる。もう片方――どちらかと言うと神経質そうな男が、気を取り直したように聞く。
「どんな服やったか覚えとるか?」
「白。白の寝巻きです。こう、夜の中でもパッと目を引くような」
隣で安も頷いた。
「いつも白の寝巻きか?」
「いえ……いつも、と言うわけではありません。でも……ここ最近は白が多かったような気がします」
「いやいや、白の寝巻きくらい、ちょっとええとこの家の者なら持ってはるもんや。そんなに意味があるとは思われへん」
同心の片割れが口を挟む。
「水に落ちるところは見たんか? 誰かが押しているとかはなかったんか?」
「そんなの。誰もいませんでした。すれ違ったりもしませんでした」
しかし、同心たちはせせら笑った。
「ンなら、たまたま芳平は酔っ払って、たまたま川へ向かって、たまたま川に落ちて、たまたま占い通りに死んだとでも言うのか」
「ひどい偶然や」
「お舟さん、まさかあんたが連れ出して押したんじゃないのか。」
舟はそれを聞いてワッと泣き始めた。
昨日から泣きっぱなしで、真っ赤な目になっている。
それを傍の香太が肩を抱く。
香太は、芳平よりは幾分小柄だが、それでも舟を慰めるには十分な広い胸だった。
舟が、香太の腕の中から安に助けを求めるように見る。
「安、安は私がやったんじゃないって知ってるでしょう」
頷く安。しかし、同心は信じない。
「使い女の言う事など、所詮主人の言いなりだろうに」
「本当にお舟さまは違うんや」
同心は首を振る。所詮子供の言うことと侮っているのだ。
どうしよう。舟は何もやっていないのに。安は焦って手で額を抑えた。
何か、証拠はないか。舟がやったんじゃない証拠が。何か。その時安は思い出した。
「手に土がついた」
「何?」
安の言葉に、同心が聞き返す。
「欄干に手ェついた時、土がついたんや」
「だから?」
「間違えて落ちたり、突き落としたんなら、土はつかんやろ。腰から落ちるやろ。欄干に一回登らんと土はつかへん。舟様は押してない」
「お安!」
感謝の目を向けるお舟。欄干に駆け寄る同心。
芳平が落ちた例の場所をしっかりと見ると、少しだけ土がついている箇所があった。
同心はため息をついた。となると、芳平はきっと自分で欄干に登ったと考えるべきである。
しかし、だからと言って、舟が怪しいことに変わりはない。
「では、話を変えよう。昨日、お主はどこにおった?」
「主人の部屋の前に」
「誰と。そんなところで何をしとった」
「お安と寝ずの番を。占いが当たるのでは、と思いまして」
同心はまた深いため息をついた。らちがあかない。先ほどから、何度聞いてもお舟の答えは変わらなかったのだ。
「本当に、変わったことは何もなかったんか? よう思い出してみい」
「そんな、きつい言い方をしないでおくれ。思い出すのも辛いんやから」
厳しい口調になった同心から庇うように、香太がさえぎる。下をむき涙を拭うお舟の肩をさする。
「こりゃあ事故や。事故。それとも、なんや。お主らは誰かに殺されたとでも言いたいのか?」
香太のとがめるような声に、同心は冷ややかに言った。
「やったら、占いが実現するのは、なんでなんや。本人が知らぬ間に、占いの通りに動くか」
「誰かがそうなるように仕組むからだろう」
口々に同心が言うが、香太は怯むことなく続けた。
「占いごときで、人を疑われても困る」
「そうです。主人の部屋に誰かいたとも思いませんし、そんな急に頭がおかしくなるようなこと、あり得ませんわ」
お舟も口を挟んだ。同心は何度目かのため息を吐いて頭をかいた。
「分かった分かった。今後も調べるとしておこう」