お安、段助を引っ張り回す
「芳平様」
安がさっと頭をさげると、芳平は頭をあげるように促した。
芳平は、大柄で柔和な顔つきの男だ。
奢ったところのない、謙虚で心優しい人物で通っており、安や段助にも気軽に話かけてくれるのだ。
「お安、お前、今日は何しに市に来とるん?」
段助が聞く。段助は、安よりも少し年上だが、安とは長い付き合いである。
歳は十三。
安は幼い頃から芳平のもとで世話になっており、段助もまた早くから絵師として仕込まれてきており、芳平が絵を頼みにいくたびに鉢合わせしていたのである。
はじめこそ、互いに人見知りをしていた二人だったが。
安が口を開こうとしたところで、段助が手をヒラヒラと振った。
「ああ、やっぱ、答えんでええわ。どうせ、お使いのついでに、見せ物か芝居でも見に行っとったんやろ」
今や互いに軽口を叩く仲。安は不満げに、プクリと口を膨らませた。
「今日は、私休みやねん。寄り道とちゃうわ──そう言うあんたはどうなん?」
「そりゃ、芳平様が、また新しい絵ェが欲しい言うて、俺ん師匠とこに注文しに来はったんや」
何を分かりきったことを、と段助の顔が言う。
安はそんな段助を小突いた。
大袈裟に痛がる段助をよそ目に、安は言った。
「それで、どんな絵なん?」
「それは……」
ちらり、と芳平の方をみる段助。
段助の隣にいた芳平はにっこりと笑って口を開いた。
「床の間の掛け軸を新しいのに変えようと思っとるんや。それと、段助、今日の見送りはここまででええぞ」
そう言って段助の方を見て、芳平は片目をつぶって見せた。
「段助は私と一緒にいるより、お安と一緒に市を見て回りたいやろ?」
芳平はしっかりせい、と段助に声をかけてバシン、バシンと肩を叩いた。
芳平と段助、二人の目が合う。
段助は少し赤くなって、何か言いたげな顔になった。
しかし、時すでに遅し。芳平は大きな体にもかかわらず、もう人混みの中へ紛れていた。
安は戸惑って段助の袖を引っ張った。
なんだ、さっきの二人だけの秘密めいた目配せは。
そのまま、ちょっと背伸びをして段助の耳もとへ口を寄せる。
「なんやねん。今の」
段助は慌てたように安から身を離した。
「な、なんもない。なんもないってば」
安はジッと段助を見回した。顔と耳が赤いくらいで、他は何もいつもと変わりない。紺の着物もいつも通り着古されていて、所々に目立たない墨がついているくらいだ。
まァいいや。最近、段助が熱でもないのに赤くなることがあるから、きっとそれだろう。
安は一人頷いた。
一方の段助は、何かを誤魔化すように咳払いをして、続けた。
「芳平様のご注文はカワセミの絵なんやけど、師匠が忙しくってな、俺に色つけをさせてくれるって言うねん」
「うん。カワセミってあれやな。綺麗な鳥やな」
安は相槌を打つが、絵の話は全くわからないのだった。
道端の見せ物や、人形劇、歌舞伎なんかは好きであったのだが。
段助は気にせず続けた。
「でな、お安、お前、水って何色やと思う?」
「薄い青やないか?」
「せやろ。でも師匠と芳平様はちゃうって言うねん」
安は目をぱちくり。
「じゃあ、何の色なん」
段助はため息をついた。頭をかく。
「それを考えろって、言われたんや」
そう言って首を振り、少し黙り込んでしまう。
こうなってしまった段助は、しばらく考えっぱなしになってしまうだろう。
段助というやつは、一つ心を奪われれば、そればっかりを気にしてしまうタチなのだ。
つまらない。
何か、段助の気を引けるような話はないか考えた時、安は先ほど見た見せ物を思い出した。
「さっきな、何もないとこから銭ィ取り出せるおっちゃんが居ったんやで」
「うん」
聞かぬ段助。
「あんなんできたら、今頃金持ちや。毎日遊んで暮らす」
安は空に手を伸ばし、ギュッとつかんだ。そうして手元に持ってきて、手をあける。
「こうやってやるとな、小銭が出てきたんやで。チャリンって」
ちらりと見る段助。
「な、すごない? 何もないとこから、銭!」
どうやら段助の興味を得ることができたのだろう。彼も見よう見真似で真似をする。
手を伸ばしてつかむ。開く。何も出ない。
どれだけ力を込めて握っても、念を込めても、何をやっても銭を出すことはできなかった。
「何でェ、あんなんができるんやろなぁ」
と、安。しかし本当のところ、仕組みなんぞはどうでもよく、あの時面白かったのだから、それでいいと思ってもいた。
面白かった。それで十分なのである。
「そこの空気でしかできへんとか?」
と、眉をひそめたのは段助。もう一度空をつかむ真似をしてみる。
やはり、段助は何事も、いろいろ考え込んで納得しないとどうにも進まないのだ。
これじゃあ、らちが明かない。
「段助ェ、やっぱり、小銭ンことはもうええから」
うーん、と眉をしかめる段助。安はため息をついて奥の手を出した。
「なんか甘いもんでも食べ行こうや」
最近、外にいく時はお舟さまがたくさん小遣いをくれるんや。
だから、私おごるから、と懐の小銭をチャリチャリと鳴らすと、段助もパッと顔を輝かせて頷いた。
小難しいことを考えるのが好きと言っても。食い意地には勝てぬ。
もうすぐ……もうすぐやっと予言ターンが来ます