お安、口達者に言い負かす
主人公の少女、お安の登場回です。
大坂、和泉の国、堺にある大鳥の社の前には市がたつ。
うまそうなアメ屋から、ヒエにアワを売る農民の屋台、女子好みのかんざし屋まで。
そこで、社に参拝に来た人から、主人の用で来た下女、関所を越えてきた旅人、皆、必要なものを買い求める。
「サァサァ、よってらっしゃい、見てらっしゃい」
ちょっとした人だかりの前で少女が足を止めた。
この辺りの侍に仕える下女、安である。
無理もない。奉公の身とはいえ、齢はまだ十一。
目の前では軽業師がヒョイヒョイとトンボ返りをして飛び跳ねているものだから、どうしても気になる。
「さぁさぁ、この身の軽さは堺、和泉だけでは飽き足らず、日の本一! これを見逃したら、もう二度と見られない! 人のご縁は一期一会、私とお客さん方も一期一会、これを見られるのも全ては天の定め、と申すのは言い過ぎか。何はともあれ、さ、さ、ご覧あれ!」
フム、と眺める身のこなし。人間業とは思えぬ軽さ。横で流れる流暢な口上。
安は人だかりをかき分けて、見える場所を探した。
「わぁ」
スタスタと大技の逆立ち段登りを決めたのをみて、安はまん丸な目を見開いて、歓声をあげた。
「さあ、エエ技やと思うたンなら懐にお持ちの銭を。ちょいとここへ入れておくれ。ちょいとと言わずに、有り金全部でもええでェ!」
男がニヤニヤとしながら客に近く。そのまま少しひしゃげた茶釜を差し出して、金を集めだした。
ジャラジャラと手持ちの金を入れ始める見物人。
もれなく安の前にもやってくる。金の入った袂に手を伸ばして目を瞬いた。
「おっちゃんは何かできるのん?」
安は口を尖らせながら言った。軽業師もすごいが、この、ただ達者に口をきいているだけの、この男はどうなのだろう。
能ある鷹は爪隠す。
本当はこの男も何かできるのかもしれぬ。
「何や。嬢ちゃんは厳しいのぉ。賢い、エエ大人になりそうや」
「褒めても何もやらんで」
男はますますニヤニヤをした。
「じゃ、おひとつお見せいたしましょか」
ひしゃげた茶釜の中の金を巾着に移して、空にしたらしい茶釜の縁をつかむと、皆にこれみよがしに掲げながら傾けた。
「お嬢ちゃん、この中には何も入っとらん。せやな?」
確かにさっき中身をうつしているのを見た。しかも、今は中身が見えない。だから。
「空や。ほんまに空や」
安の答えに、見物人たちは一斉に頷く。男は満足げに笑った。
「空の茶釜は空の茶釜。中にはなぁんもございません。何も無いとこからは、何もできない。皆様、それが当たり前やと思ってはるやろ。ところが、あっしの手にかかれば―――」
突然男は空中でぱっと何かを捕まえるように握った。そのまま茶釜の中へ手を突っ込んだ。
チャリンッ!
「なんや、今のは……」
安は小さな目を見開いた。確かに、今、茶釜から金の音がした。人間、金の音を聞き漏らすはずがない。
ほう、と他の客もため息をつく。男は、まんざらでもなさそうにもう一度宙に手を伸ばした。
宙をつかんで茶釜に入れて、チャリンッ!
「おっちゃん、なんもないとこから、銭ィ作れるんやな!」
安は喜んでパチパチと手を叩いた。
空をつかんでチャリン、チャリン、チャリン。
茶釜をふればジャラ、ジャラ、ジャラ。
安は夢中になって見入った。
「どうや。嬢ちゃん、俺もすごいやろ。何もないとこから金が出て来るんやで」
茶釜を後ろ手に、サア、と手を突き出し期待を向ける男。
「うん、すごい」
安は改めて袂から巾着を取り出した。行きがけにお舟がくれた小遣いだ。安はよく働くから、市に行くついでに何か買いなさい、と言って。
安の仕える夫妻―――舟と芳平には子がおらず、二人は素直な安をたいそう気に入っている。
金の巾着の結びをほどいたが、ふと安は手を止めた。いたずら心が湧いたのである。
「でもなあ、私から銭とらんくたって、おっちゃんは何もないとこから作れるやないか」
安は思案顔を作って見せた。そのまま、ふい、と横をむいて離れるそぶりを見せる。
男の顔が一瞬間抜けたものになり、ついで大笑いへと変わった。してやったり、とほくそ笑む安。
「嬢ちゃん、堪忍や、それ言われたらあきまへんわ」
「冗談や。おもろいもん見せてもろたわ」
安は、ほいよ、と銭を茶釜へ投げ入れた。男はさらに豪快に歯を見せ笑い、嬢ちゃんに一本取られたわ、とぼやいた。
コロコロと笑っていた安だったが、改めて市をいろいろ見ていくことにした。安の手持ちのお金でも買えるようなお古のかんざしに櫛、可愛らしい巾着。何から何まである。見ているだけで楽しめる。
そこで後ろから声をかけられた。振り返ると、紺の着物を着た男児と、大きな紋の入った上等な衣を着た大柄な侍がいた。
絵描き見習いの段助と、安が使えている侍、芳平だった。
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