02
交易都市フリューゲル。
中央大陸の中心部から東へ約1000キロの辺りに位置する北側は薄暗い大樹海に、南側は緑溢れる大平原に隣接した小さな都市だ。
平たく言えば超が付くド田舎都市。
五年前に突如として誕生したこの都市は、人間を始めとしてエルフ、ドワーフ、獣人に留まらず、魔族や魔獣、聖獣までもが住まう魑魅魍魎の巣窟と呼ばれている。
一か月前、誘拐犯グループから助け出された私はマオさんに保護され、このフリューゲルにあるマオさんの自宅に連れてこられた。
マオさんの自宅は平原に作られた都市部から大樹海に入った少し奥地にある。
鬱蒼とした樹海の中にぽっかりと空いた空間にひっそりと建つ大きな洋館がそれだ。
その洋館の二階一番奥の部屋がマオさんの寝室になっている。
「マオさーん、朝ですよ~」
私――アイシャ=ランドールフの仕事は、マオさんの部屋のカーテンを開け、部屋の主を起こす所から始まる。
現在、私はマオさん付きのメイドとして雇用される形で保護されています。本来であれば客人対応で迎えられるらしかったのですが、働かざる者食うべからずという大ボスの一声で今の状況に落ち着いた。
そして保護……つまるところ私を取り巻く問題が解決されていないという意味です。
あの日、私が誘拐されたのは偶然ではなく必然……あの誘拐は仕組まれたものだったということ。その犯人は私の父親。誘拐犯に金銭を渡して私を誘拐させ……あとは煮るなり焼くなり、勿論それ以外の方法を行うなり、最終的に殺害するなら好きにして良い。
そんな感じの契約だったそう。
まさか、そこまで父親に嫌われているとは思ってもみなかった。
恨みつらみを通り越して逆に清々しい。
今は世界一安全な場所で、今後の方針を考えているところです。
「あ、あと5分だけ……」
絶望の象徴と言われる我が主様は朝が苦手です。
力づくでは絶対に起こせません。起こせるワケがありません。400キロという距離を10分足らずで駆け抜け、ワイバーンを小物と言い、誘拐犯達を瞬殺する化け物を……力技で起こせるワケがない。
でも、起きてくれないと私が大ボスさんに怒られてしまいます。
あの人だけは絶対に怒らせてはいけません。
「マオさん、起きないとエーベルさんの朝ごはん無くなっちゃいますよ? 良いんですか?」
「……それは、ダメ」
マオさんは眠そうな眼を擦りながらのそのそと起き上がり、ベッドの上に可愛らしくぺたんと座る。寝ぐせまみれの頭を傾け、こちらに物言いたげな視線を向けてくる。
何この可愛い生き物。危険な世界に踏み込んでしまいそうになるじゃないですか。私はショタコンじゃないです。
頭を振って迷いを振り切り、私は自分の仕事を全うすべくブラシを手にしてマオさんの髪を梳かしていく。
しばしば、無言の時間が続き――
「……アイシャさんの意地悪」
全ての身支度が完了した頃にボソリとつぶやくのでした。
まあ、そんな訴えは聞こえません。
だって、この家の大ボスことエーベルさんを怒らせるのが一番ヤバイですから。
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エーベル=リンクス。
ゆるふわウェーブの長い金髪が特徴的な貴族のご令嬢を思わせる美少女で、家事全般はプロ顔負けの技術を保有している。特に料理に関しては一流レストランのシェフより美味しい。そして忘れてはならないのが彼女はマオ家の頂点に君臨する女性で、彼女が黒と言えば白でも黒になります。
暴君の称号が相応しい。
「アイシャ、失礼なこと考えてるわね?」
「今日も料理が美味しいなと考えていただけです。決して、失礼なことなんて」
「そう。ならいいわ」
危ない。マジであの人は危険です。
エーベルさんが不服と思う回答をした場合、サバイバル生活が始まるのも不思議なことではないからだ。まさに今現在、サバイバル生活の罰を与えられてる方がいるくらいですから。
「うわーん、また虫に刺されましたぁ。もう野宿は嫌ですぅ~」
窓の外から泣き声が聞こえてきます。
声の主はサリア=ウィンダム。金髪碧眼巨乳の超美人エルフにして天然失言女です。
一昨日、洗濯物を色物と分けずに行い衣類をダメにした罰として三日間のサバイバル生活の刑に処せられています。3月の寒さに対しては魔法を使って適応している様子ですが、虫などには対応しきれていない様子です。
なんて可哀そうなことでしょうか。まあ、私の仕事を増やしてくれましたし当然の罰と言えば当然でしょう。むしろ、色移りした衣類の処理がどれだけ大変か……それを加味すれば三日のサバイバルはぬるいくらいです。フリューゲル限定販売のエルフ謹製の洗剤があったから良いものを……無かったらと思うと背筋が凍ります。
改めて食堂を見まわします。
巨大な丸いテーブルを7人が囲んでいます。
マオさんを基準にして時計回りに、
ゆるふわ系大ボスのエーベルさん、
人懐っこい笑顔のティアさん、
陰湿眼鏡のクロムさん、
名前通りのスキンヘッドおじさんハーゲルさん、
物静かなセーラ服のユーリィさん、
その隣はサリアさんの席で空席、
最後に私が座りテーブルを一周する形だ。
合計8名+魔獣2匹、霊鳥1匹がマオ家になる。
情報量が多すぎて最初は名前を覚えるだけで手一杯でしたが、一週間も一緒に暮らしていれば勝手に覚えるものです。魔獣2匹と霊鳥に関しては普段から帰ってこないので気にしなくていいです。一応、犬、鳥、鳥で名前はポチ、焼き鳥、照り焼きチキンです。
「そういや、出発は明日だったか? 寂しくなるなぁ」
思い出したかのようにハーゲルさんが食卓に言葉を放り込む。
あからさまに嫌そうな顔をするマオさんに対して、隣にいるエーベルが頷くように頭を縦に振る。
「ええ、そうよ。長期休みとかには帰ってこられるだろうし、それにマオなら小一時間もあれば走って帰ってこられるでしょ?」
「……まあ、帰れなくはないけど。本当に行かないとダメなの?」
「まだそんな事いってんの? 諦めなさい。あの鬼からの仕事なんだからさ。それにアンタにとっても都合が良いんだから」
「むぅ」
むくれるマオさんはとても可愛い。
そんなマオさんの可愛さにエーベルさんの表情はトリップしたかのように蕩けています。
エーベル=リンクス。マオさんを愛するショタコン女。何を考えているのか分からない。底の知れない超危険な人です。
ハーゲルさんが言った出発というのはマオさんの留学のことです。入学するのはボロス帝国にある高等教育機関――スーリヤ魔法学院。三年生の全寮制学校になります。
マオさんの庇護下にある私も偽の戸籍を使用して付き人として同行します。年齢としては私は一つ上になりますが、学院ではマオさんと同じく新一年生として一緒のクラスで授業を受ける予定です。
「駄々をこねてもわたしが引きずっていくから大丈夫」
と、頼もしいセリフを言うのはティアさんです。
ティア=リンドヴルム=フォルテシア。元フォルテシア王国の王女様で、今は自称ただの人懐っこい美少女らしいのですが……その戦闘能力はマオさんに匹敵します。背丈はマオさんと同じくらいでスタイルは拳による近接格闘術。
あのお二人がどれだけ強いのかというと――南にある大平原に巨大な二つの湖があるのですが、それはマオさんとティアさん喧嘩をした際にできた戦いの痕跡だそうです。大きさは一つ50キロくらいだそうです。
考えただけで寒気がします。
そんなティアさんも付き人として同行する予定です。
「最近のティア、ちょっと真面目過ぎない?」
「わたしは前から真面目」
「ダウト! うそだー! この前、おやつのプリン食べたら凄い起ったじゃん!?」
「それとこれは話が別」
「何それ……きべんだぁー!?」
「マオ、詭弁ってどういう意味か知ってるの?」
「知らないよ!?」
マオさんが得意気に胸を張ると、
「胸を張って言うセリフではないですよ、マオ君」
眼鏡のブリッジを押し上げながらクロムさんが微笑む。
「え、そうなの?」
「バカマオ……」
素で驚いたような顔をするマオさんに対して、呆れて食事に戻るティアさん。
御覧の通りですが、マオさんはお馬鹿さんです。よく言えば純粋なのです。
「あ、マオ君。帰省する時に稲荷印のいなり寿司セット買ってきて」
静かに食事をしていたユーリィさんがマイペースにお使いを頼むのでした。
ホント、この一家は掴みどころがない。
でも、ここでの生活は今までの人生の中でとても充実していて楽しい。
ああ、それからこの家には大きな秘密があります。
それは私とマオさん以外――エーベルさん、ティアさん、クロムさん、ハーゲルさん、ユーリィさんの5人はマオさんと契約している死霊。
つまり、故人です。