01
第4クォーツ歴1715年。
この世界は3度、繁栄と滅びを繰り返している。
高度な魔法や科学文明の発展の末、戦争が勃発して滅んだ……のではなく、ある一定の発展レベルに達すると次元の壁の向こう側から神の御使いとやらが現れ、圧倒的な力をもって文明を破壊して消え失せる。
これは子供でも知っている世界の常識。
まあ、そんな事はどうでもいい。
机の上に広げられた教科書を眺めながら僕は憂鬱な溜息をつく。
「マオ君、再来月から学校なんですから、これくらいは覚えておかないと恥ずかしい思いをしますよ?」
「だって……別に行きたくて行くワケじゃないし。それに――」
勉強は好きじゃない。覚えて何の役に立つのか分からないんだもん。体を動かしてる方が何百倍も楽しくて好きだ。
それでも百歩譲って勉強は良いとしたとして……、
「学校行くのに、なんで女装しないとダメなの? 僕、男なんだけど?」
そう。最も憂鬱な原因は再来月からボロス帝国とかいう国のスーリヤ魔法学院という高等教育機関に入学することが決定している。そこは全寮制なので住み慣れた実家を離れないといけない。で、問題は女生徒として入学しないといけないという点だ。
意味が分からない。
僕は正真正銘、男の子だ。
今年、15歳になるけれど5年前から身長が1ミリも伸びておらず120センチしかないし、小さいころから女の子に間違えられるような顔立ちだし、去年負けたゲームの罰で生涯後ろ髪は伸ばして三つ編みにしないといけないし……いやまあ、客観的に見て女の子にしか見えないんだけど。
「まあ、半分は仕事ですから我慢するしかないでしょう」
「他人事だと思って……」
「いえ、他人事ですから」
「クロムの薄情者!?」
グイっと眼鏡のブリッジを押し上げながらクロム=ハヴォックがケラケラと笑う。
クロムは僕の大切な家族で一般教養と魔法の先生であると同時に一緒に色々な悪戯を企てる悪友でもある。二十代半ばの陰湿そうなイケメンで、昔はとある国で教師をしていたらしい。正確な素性は分からないし、どうでもいい。重要なのは今、心から信頼できる家族であるということだけ。それ以外は些末な問題だ。
「でもさ、なんで女の子で入学なの?」
「ラクリス共和国からボロス帝国への留学生の男子枠が埋まっていたんです」
「他の国は? 来年じゃダメなの?」
「現状、フリューゲルはどこの国にも所属していませんからね。他の国と言われましても……ラクリスだってあの手この手でねじ込んだんですから。苦労したんですよ? それに今年じゃないとダメなんです」
理由は散々聞かされましたよね? と、クロムがウインクをしてくる。
男のウインクはちょっと勘弁してください。
「…………」
「さあ、授業の続きを始めますよ」
クロムが教科書の続きを読み上げようとした時、部屋の扉が叩かれた。
コンコンコン。
「どうぞ」
「授業中、ごめんなさい」
クロムが入室を促すと扉が開き、セーラー服姿の女性が身体半分だけ扉から覗かせた。
ユーリィ=サフィオン。我が一家唯一の常識人にして調停役。所謂、問題が発生した場合において仲裁役として絶対の権限を持っている人だ。怒らせると超怖い。
そんなユーリィが申し訳なさそうな顔で言いずらそうにしていると、
「何かありましたか?」
「えっと、授業を中断させてしまって申し訳ないのだけど……マオ君に仕事が入ったの」
「なるほど。どちらからの依頼ですか?」
「……鬼」
ユーリィがそういうとクロムは肩を落として溜息をついた。
鬼。この家でそう呼ばれる対象は一人しかいない。
ブラッド=ナイトメア。世界最強と呼ばれる吸血鬼の王にして僕の師匠であり、直属の上司。
「それは仕方ありませんね。マオ君、体育の時間ですよ」
「体のいい言い方しないでよ……どうせどっかの尻ぬぐいでしょ? 嫌だよ、面倒くさい」
「まあ、そうでしょうね。ですが、座学と尻ぬぐいで身体を動かすの、どちらが良いですか?」
その二択であれば考える必要もない。
教科書を閉じて重い腰を上げ、窓を開ける。
「……はぁ、行ってくるよ。ティソーナ、コラーダ行くよ」
僕が名を呼ぶと壁に立てかけてあった紅い剣と蒼い剣が嬉しそうに舞い上がり、僕の後ろ腰に交差して収まった。
「宿題、作っておきますね」
「え゛っ……行ってきます。ユーリィ、どこ行けばいい?」
「場所は北に約400キロ、フォルテシア王国の国境付近。詳細はマオ君の端末に送っておいたから確認して欲しいんだけど……あと30分くらいでフォルテシア王国領内に入られるから、それまでに対処しろって」
「えぇー、そう言う系? 生死は関係ないんだよね?」
「……うん」
「了解」
窓から飛び出し、雲を抜けて夜空を舞う。
満月が煌々と輝き放つ。
空を蹴り、北へ向かって疾走する。400キロ……5分くらいかな、と考えながら携帯端末を取り出して詳細を確認した。
誘拐犯グループの取り逃しの処理。数は人間5名と大型魔獣1匹。フォルテシア王国領内に入れると法律的に面倒な事になるので、中立域にいる間に処理すること。また、確実に殺害すること。
「へぇ、そう言う系か」
僕の口元が勝手に緩む。
本当に面倒ごとは持ち込まないで欲しい。
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中央大陸の中立域には5年前から殺戮の小魔王が現れると噂される。
紅と蒼の剣を振るう少女の姿をしていると言われている。
犯罪者は容赦なく殺され、罪なき者は安全な場所まで案内され、救いを求める者はどこかへと連れ去られる。
殺戮の小魔王の強さは出会えば分かると、救われた者が口を揃えて語る。
素人目にも分かる絶望的なレベルの強さだと。
とある誘拐犯グループの残党5人と1匹は、目の前に降り立ったソレが紛れもなく殺戮の小魔王であると確信した。
10歳くらいの小柄な少女だ。服装は黒いジャージ。長い後ろ髪を三つ編みにし、紅と蒼の曲がった剣を両手に携え、死んだ魚のような目をしている。
退屈。とてもつまらなさそうだった。
少女は誘拐犯達が連れている茶色い鱗を持つワイバーンを見上げて肩を落とす。
「大型の魔獣って聞いてたからドラゴンとか思ってたのに……ワイバーンか。小型の雑魚じゃん……しかも、美味しくない種類だし。せめて、美味しいレッドワイバーンにしてよ」
どさり、とワイバーンの首が落ち、その身体が地面に倒れる。
「ひっ――」
誘拐犯達が悲鳴を上げ、逃げ出そうとした時には――既に肉塊へと姿を変えていた。
何が起きたのか理解が追い付かない。
少女は佇んでいただけなのに……。
不意に少女と目が合う。
「君、だれ?」
少女は首を傾げながら、おもむろに右手に持つ紅い剣を横薙ぎに振りぬく。すると、私を閉じ込めていた檻が粉々になって崩れ落ちる。
「ねえ、君もこいつらの仲間?」
「ち、違います!? わ、私はこの人たちに捕まって……」
「そう」
少女は携帯を取り出してどこかに電話を始めた。
「――聞いてないんだけど? えぇー、面倒くさい。そっちで保護してよ。……え? 使用人? いらないよ……へぇ? 学校? ……何、その設定…………聞いてないし。……分かった、分かりました。こっちで保護すればいいんでしょ、保護すれば、はぁ、面倒くさい」
通話を終えた少女は私の前にしゃがみ込んで覗き込んでくる。
キラキラとした大きな青色の瞳に私の姿が映りこむ。
アイシャ=ランドールフ。平凡な見た目をした冴えない普通の女の子。学力、身体能力、魔力量の全てにおいて平気的で特徴がない。群衆の中の一人でしかなく、特別な価値なんてない。もし私に価値があるとするならば、父親が大きな会社を経営していて資産家の娘であるという点くらいだ。
今回、私が誘拐されたのも資産家の娘だったからだ。
でも、それは勘違い。
父にとって出来損ないの私は不要な存在。
出来の良い妹がいればそれでいい。
「アイシャ、さんで合ってる?」
私が頷くと少女は立ち上がり手を差し伸べてくる。
「僕はマオ=フリューゲル。しばらくの間、君の身柄を預かることになった」
この手を取れば、私は解放されるのだろうか?
この退屈な人生から――。