#2
店は、小綺麗な内装だった。白い壁に、向かい合わせのテーブルのイートインスペースが2対。白い丸テーブルに、柑橘系のカラーが入った白い椅子が配置されていて、店頭には私が食べたショートケーキや、フルーツチョコケーキ、イチゴのムースケーキが各4つずつ売られていた。
あれ、とようやく私はそれを見て首を傾げた。洋菓子店にしては商品数が少ない。
店のドア口のベルを鳴らして後から入ってきた先程の若い店員さんは、私が不思議そうな顔をしているのを見て、苦笑して見せた。
「あんまり種類がないでしょ?」
一言そう答えた。
私は何でですか、と矢継ぎ早にせっついた。
「ここの店長ね…ちょっと味が分からないんだ…」
え、と私は目を丸くした。
味が…
分からない…?
クリームプラス。唯の美味しい味だったケーキが、更に一味美味しいケーキになりますように。
店長は、この店を開店させる際、そう願いを込めてこの店名を作ったという。
開店当時、売れ行きは上々だった。評判が評判を呼び、店員の彼、三添も、その当時の味を知っていた。とにかく濃厚でしかし甘過ぎず、飽きの来ない絶妙な味付けと、フルーツと洋酒を使ったバランスのいい味わいを前面に出したケーキは絶品だったらしい。その頃はお客もひっきりなしに来ていたという。しかし、4年ほど前の事。突然味が変わった。ちょうど、仕入れ先のバターや牛乳等、要となる材料の仕入れ値がガクッと変わり、新しい仕入れ先を探さねばならなくなった頃だった。そしてその頃は偶然にも、店長と三添にとって多忙のストレスと経営の見直しを考えていた頃と同時期で。徐々に徐々に店長の味覚は狂っていった。
店長に待っていたのは、苦労の連続だった。何度もクリームの作成を試し、様々なバターや洋酒の味を、店長は試したと言う。そして、店員である三添さんもまた協力したものの、やはり以前に似た味付けには戻らなかった。当時のレシピを見ても、何の参考にもならない。新しい仕入れ先の材料の味が、正しく店長の味覚に届かないためだ。味が正確に分からないため、思うような味のケーキが作れない。店長は、ただ「待ってほしい」と客に申し入れた。
元の味にきっと戻して、提供できるようにする―――と。
しかし、3年経った今も、味覚は戻ることは無かった。徐々に店を訪れる客は減って行き、注文の予約を入れる客もここ1年は来ていない。
「じゃぁ、さっき食べたあのケーキや…ここに並んでるケーキの味はどうやって?」
私がケーキの並ぶウインドウの前で彼、三添さんに尋ねると、彼は苦笑いを浮かべて見せた。
「彼の味をある程度覚えていた別の店の洋菓子店の店長が、可能な限り再現してくれたんだ。店を開けないと儲けがないから…。せめて味覚が戻るまで、この3品で耐えよう…って」
「じゃぁ…あのケーキの味は店長さんの味じゃ…」
彼は笑みを消すと、真顔で頷いて見せた。
「僕が知ってる味とはやっぱり違うんだ。彼の美味しいケーキにまぁまぁ結構近いけど、商品としては、まるで殻を着たエビと、そうでないエビを噛むくらいに味が違う」
私は眉を寄せて、えぇ、と声を漏らすと、調理室の窓越しに見える、店長と思わしき男性を見つめた。彼は生クリームと思われるものをスポンジに塗っている。
*
ウーっとパトカーのサイレンが鳴り響いている。この日の早朝―――。
川崎市内の橋、鶴見川の袂には黄色い進入禁止のテープが張られ、近所の住宅から出てきた人や通行人による野次馬が集まっていた。そしてそのテープの中、そこから更にブルーシートで覆われた場所の内側に、彼らは集まっていた。鑑識という文字を背負った捜査員が、あちこちに散らばっている。その中心に、その人もいた。
三十路を超えたばかりの彼は、枯れ草と若草の混じったその土手の草地にしゃがみ込み、空を見つめたまま瞳孔を散大させて倒れている一人の女性を見つめていた。彼の視線は、彼女の左腹部にそそり立つ一本のナイフに向けられている。そこへ、数人の捜査員たちが駆けつけた。足音を耳にして、彼は立ち上がると振り返る。
「警部」
「どうだった」
駆けてきた部下の刑事の一人に、彼は尋ねる。
「ダメでした。この辺りの何軒かの住人や野次馬の中の通行人にも聞き込みましたが、昨夜から今朝の間に、この場所で被害者を目撃しなかったか聞き込みましたが、見た人はいなかったです」
もう一人の刑事も言い添える。
「こちらも同じでした」
冴えない報告を受けた彼、乙山警部は一つ溜息をついた。
「…仕方ない。この被害者の財布にあった保険証から名前は分かってる。急ぎで身辺を調査しろ」
被害者の保険証を渡しながら命じた乙山の指示に威勢よく返事を返すと、部下の捜査員たちは散って行った。
お読みくださりありがとうごじました。