第42話 思考
「グゲッ!」
そんな短い断末魔をあげ、2mはある筋骨隆々なボブゴブリンがバタリと倒れる。
「ふぅ……片付いたみたいだな」
「はい、和彦様」
額の汗を拭い、右手に持った鉄パイプに付いた返り血を払う。
辺りには数匹の頭を潰されるか、脳天を貫かれたゴブリンと、今まさに紬の水魔法によって死んだボブゴブリンが倒れていた。
警察署を出た俺は既に何十匹ものゴブリンを殺している。最初こそ手が震え、心臓の鼓動が高鳴ったものの、今では額に少し汗をかくぐらいで済んでいる。
武器は基本鉄パイプ一本。腰には交番で死んでいた警察からそのまま拝借した拳銃と警棒がある。他の武器は状況に応じて空間内から取り出せばいい。
鉄パイプは使い勝手が非常にいい。
俺が持っている戦闘知識などライトノベルくらいのものだが、包丁などの刃物は血が付着するとすぐに切れ味が悪くなると言うし、自作の武器を作れるような知識や手先の器用さは俺にはない。
鉄パイプは運良く工事現場が近くにあった為、大量に置いてあり、代わりはいくらでも効く。
硬くて長くて手頃な太さの鉄パイプは、武器もろくに持たず、石ころを投げるくらいしか知能のないゴブリンを一方的に殺せる手頃な武器だった。
しかし、ボブゴブリンには勝つことは不可能だろう。そんな時は紬の水魔法に頼るしかない。
一撃必殺。
紬の鉄砲水の威力には舌を巻く。
情報が共有されていないのか、大抵のホブゴブリンは紬が指先を向けても、小娘がイキってやがると言わんばかりにゲヒゲヒと笑っていた。
その行動と隙が命取りになるのが、彼らの低い知能で理解できないらしい。こちらとしては楽に倒せてありがたい限りである。
「凪! もういいぞ!」
陰から周囲への警戒をしてもらっている凪を呼ぶ。
「ひゃー、相変わらずえぐいっすねー」
「命掛けてるんだ。綺麗に殺す配慮なんて出来ないよ」
渚は少し嫌そうな顔をしながらも、それ程拒絶反応を見せない。
紬も同様で、何を考えているのかいまいち分からない微笑のまま眉一つ動かさない。
この二人は修羅場を潜ってるだけあってスプラッタな場に慣れているのだろう。
「さて、必要な物資をもらっていくか」
「「はい!」」
コンビニの前にたむろする不良さながらに居座っていたホブゴブリン達を片付け、俺たちは今日もコンビニ内を物色する。
日持ちするカップ麺や飲み物などを中心に小物類や衣類なども空間内に入れていく。
そしてお金を支払うことなくコンビニを後にする。受け取る人間も機械もないので当たり前だが。
一応財布の中には硬貨が少しと、お札が何枚か入っている。
普段はクレジットカードやキャッシュレス決済を使う俺が現金を持ち歩いているのは、未だに電子決済に対応していないお店や自動販売機が少なからず存在し、現金がないと不便だからだ。
とはいえ、既に硬貨は単なる金属と化し、紙幣は同じ長さのトイレットペーパーよりも価値がなくなってしまった。
俺が死ぬ気で稼いだ銀行預金も無事かどうかも既にわからない。0になっていたのだとしたら流石に心にくるものがある。
何十連勤もしてやっとの思いで稼いだ金なのだから。
しかし、俺には空間魔法がある。こんな世紀末並みに荒んだ世界でも生きていけるのはこの力のおかげだ。
貯金を全て消費して空間魔法使いという職業を買った、と思えばまだ周りよりも恵まれている方だ。
「こんなものか。二人とも、もういいか? そろそろ出発するぞ!」
「はい、和彦様」
「はいっす!」
必要な物資を漁り終え、俺達はまた移動を開始する。
あてのない旅……ではない。だが、これと言った目的地があるわけでもない。
ーー。
「はぁ、次はどこに行こうか……」
ゴブリン達を掃討したコンビニから歩いて30分程離れた場所にある壊れた一軒家に入り、一度空間内に戻る。
そこで、凛の入れてくれたコーヒーを片手に、コンビニで拝借した東京都の地図を見ながら悩む。
区民館やスポーツセンター、はたまた別の警察署。自衛隊の駐屯地などもありだ。
「人がいそうな場所……」
「こことかいいんじゃない?」
地図を見ていた俺の後ろから澪が指で一点を指す。
ふわりとした良い香りに一瞬どきりとし、視線が泳ぐが、背後からなので澪に悟られることなく指された場所を見る。
そこは自衛隊駐屯地であった。
ほぼ確実に人がいる場所というのなら自衛隊駐屯地だろう。
「んー、それは俺も考えたけどなぁ。戦力的には申し分ないけど、水がないのは変わらないだろ」
「それはそうだけど……」
言い淀む澪に俺はため息をこぼす。
まさかこの日本で飲み水に頭を悩ませる日が来るとは。
今でも俺は夢を見ているのではないかと時々感じてしまう。
目が覚めたら五日も経っていて、そしたら世界はファンタジーの魔物に滅ぼされていて、自分は特殊能力に目覚めていたなど、妄想こそすれ現実になるとはついぞ思ったことはない。
しかも眠っていたと思われた五日間、実はちゃんと活動していて、四方八方に移動しながら、敵のアジトを突き止め、そこで謎の組織と戦ったのだという。
全くもって信じられないことだ。
俺は面倒事には首を突っ込まないことなかれ主義者だったはずだ。
会社でサボっている奴がいたって別に注意なんてしないし、いじめられている人間がいたって「やめろ!」などと正義感溢れる様な行動はしない。
澪を助けたのも連勤のイラつきを笠原にぶつけただけだ。
そんな人間がたかが女子高生に万引きを注意されたくらいで変わるのだろうか。
空間魔法を持っていたことを思い出したのも、幸男に監禁され、あわやオークの餌になるところだったこともあり、逃げること以外考えもしなかった。
改めてすごい力を持っていると知っても、だから世界を救おうだとか、困っている人々に手を差し伸べようなどという心境にはならない。
ただ少し、平凡に生きたくないな、という欲求は生まれている。俺だって元は超能力や魔法に憧れる男子学生だったのだ。
しかし、いつの間にかそんなありもしない夢は見なくなっていた。
小学生の時に憧れ、中学生の時に思い込み、高校生になって現実を知り、大学生になって大人になる準備をした。
自分は特別である。
大人になってそんな夢の様な妄想は捨てたのだ。
だがしかし、今の俺には特別な能力が備わっている。
それによって浮かんできたのは、漠然とした、「何かしたい」という欲望だった。
記憶を無くす前の俺はこんな感情を胸に行動していたのだろうか。
社会人になって三年。俺は小学生の時に抱いた妄想などとうに捨て、大人になったはずだ。
塗り固められた常識や固定観念はそう簡単に拭えるものではない。それを粉々にしたきっかけ。
それはきっと凪に万引きを諌められたからであろう。
あの日どんな思いをしたのか、今の俺には想像もつかない。
「和彦さーん! そろそろ午後の探索に行くっすよー!」
「ああ、今行く!」
凪の声に軽い腰を上げる。
水問題は早々に解決しなければならない。だとすればこの日本で豊富に水が取れる場所。
行き先は決まった。
あとは行動に移すのみ。