第96話 和解
息子アレクシスとダンスを踊るように勧めるリゼットに、ミランダは驚いて、
『えっ、貴女じゃなく私から?』
婚約者や恋人と踊るのがファースト・ダンスなのに、自らその権利を放棄してしまうのかと暗に尋ねたのに、
『お二人ともいい加減、素直になって仲直り、お願いします!』
リゼットはそう言って、二人を無理にダンスするよう押し出した。
振り返ってみると、応援するように胸の前で握った拳を上下に小さく振っている。
ミランダはその様子を見て、吹き出した。
『おかしな娘ね』
『否定しない』
アレクシスも、呆れて笑った。親子は手を取り、ダンスを始めた。
『上手なのね。これもダ、ダウン……何だっけ?』
『転記?』
『そう、ダウンロードしたの?』
『した。セイレーンになってから王国語もした。帝国語も母上としか喋ってなかったから、難しい用語は転記で済ませた』
『便利なのね』
視界の隅で、リゼットがこちらをを見て、祈るように胸の前で手を組んでいるのが見える。
〈やめろ! ものすごく目立っている!〉
リゼットには聞こえているはずの思念通話だが、リゼットは祈りのポーズをやめない。
アレクシスは溜息をついた。
仕方なく、ミランダに以前リゼットから聞いた話を振った。
『リゼから聞いた。俺は小さい頃、体が弱かったんだって?』
『そうよ。私は貴方の子育てで「看病」っていうのが得意になったの』
ミランダは懐かしそうに微笑んだ。
『俺は、セイレーンになる前の記憶が殆ど無いんだ。ぼんやりと厳しくされたことしか覚えていない』
『……そうなの。親としては悲しいわね』
まぁ、子は育てた親ほどは、子供時代を覚えていないものだろうと、ミランダは軽く受け止めた。自分だって、幼少期の記憶が鮮明とは言えない。
だが、アレクシスにとっては違うようだった。
『その代わり、セイレーンとして目覚めて以降のことは、忘れなくなった。……だから、それ以前のことは、もう別に思い出せなくてもかまわない……と思っていた』
それを聞いて、ミランダも言った。
『……私も、貴方が前を向いて、元気で生きているならば、それでいいと思ってたわ……』
そう、ミランダも、アレクシスとの関係は、このままでいいと思っていたはずだった……。
『でも、熱を出してる彼女の看病をしているうちに、色々思い出したのよ。……彼女、いじりがいがあって、楽しくて……』
『いじめがい、の間違いだろ? 色々聞いたぞ?』
フフフと意地悪そうに笑うミランダを見て、お互いに良い趣味をしているな、とアレクシスにも笑みがこぼれた。
……リゼットが「親子そっくり!」と吠える訳だ。
ミランダは、リゼットを通して、アレクシスとのことを考えるにつれ、彼にしてしまった自分の過ちを、謝りたい、謝らせて欲しいと思うようになった。
心神喪失状態であったとはいえ、あの時のことを心底悔いていることと、もうひとつ、どうしても伝えたいことがあった。
ミランダはダンスのステップをやめて、じっとアレクシスを見た。
『……あの時の貴方の目が、私と同じ貴方の目が怖かったのよ。しばらく鏡を見ることも、怖くて出来なかったわ……』
アレクシスは、真剣な顔をして、ミランダを見た。
その怖いと言ったアレクシスの目を、母ミランダはしっかりと見つめながら言った。
『言い訳になるけど、私は貴方を部屋から出さないでとは言ったけど、食事を与えないでとは言ってないの。貴方の部屋に私も、侍女たちも近付けなくて……。貴方に食事を届ける役目の使用人が、貴方の食事を食べていたことに、誰も気付けなかったの。これだけは信じて欲しい……』
アレクシスは息を呑んだ。
『……そう……だったのか。……いや、例え食事を与えられても、俺は食べなかった、……たぶん、食べられなかったと思う……』
そう告げるアレクシスに、ミランダは、長年認められずにいた自分の過ちを認めて、悔いた。
『……エアデーン語を話さない貴方は「口のきけない王子」と陰口を叩かれていたわ。これ以上、誰にも貴方を馬鹿にされないようにしたくて、やり過ぎてしまった私のせいなのよ』
ミランダはギュッと目を閉じ、潤んだ瞳を戻した。
──鬼姫ミランダは、公衆の面前で泣くほど弱くはない!
『……あの時はごめんなさい』
ミランダは小さな声でそう告げた。
アレクシスは驚いて母親を見つめた。
……自分は食事を与えられない罰……「虐待」を、母にされたのではなかった……。
母の謝罪の言葉に、心の中に巣くっていた澱が、すうっと溶けて、消えていくのがわかった。
『俺の方こそ、あの時はごめん』
意外なほどするりと、謝罪の言葉が口をついて出てきた。そして、そこから先も、すらすらと話せた。
『ずっと家に戻らなかったのも、セイレーンの祝福を消す方法を探していたからなんだ。……結局、そんなものは見つからなかったけど……』
ミランダは、アレクシスが家に帰らず、塔から出て来ないのは、自分と会いたくないからだと思っていた。アレクシスが、セイレーンの祝福を消そうとまで、思い詰めていたとは知らなかった。
『……祝福はもう完全に制御出来るようになったんだ。もうあんな失敗はしない。怖い思いをさせて悪かった。それと……』
リゼットに「アレクシスがジーラント人の良いとこ取りが出来たのは、ミランダ様のお陰かもね」と聞いてから、ずっと伝えたかった言葉……。
『……今、ジーラント人と変わらない活動が出来るようになったのは、母上のお陰だとリゼットに言われた。……俺を厳しく育ててくれて、……ありがとう』
今度はミランダの方が、息を呑む番だった。
***
息子とのダンスから戻ってきた鬼姫ミランダは泣いていた。
途中でダンスをやめてしまった二人を見て、リゼットはハラハラしていたが、こちらに戻ってくる時、アレクシスは泣く母の肩を、優しく抱いていた。
ミランダに抱き付いたリゼットは、『良かったですぅ』と言いながら、もらい泣きした。
アレクシスは、そんなリゼットの腕を引っ張った。
〈次はお前だ!〉
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げ、ダンスに強引に誘われたリゼットは、足をもつれさせながら、アレクシスに付いていった。
──アレクシスとの初めてのダンス!
「最初に謝っておくわ。足を踏んだらごめんなさい!」
アレクシスがリゼットの体をホールドし、踊り始めてすぐに告げた。
リゼットは感動の和解を目にした直後で、心の準備が全く出来ていなかった。
〈リゼのダンスが「馬鹿にされないように」なってるか、チェックしなきゃな!〉
ミランダの教育モットーを掲げて、意地悪く笑うアレクシスは、正しくミランダの息子だった。
リゼットは、アレクシスとのダンスを楽しむどころか、手に汗ぐっしょりかいて、足を踏まないように、いつも先生に注意されていることを思い出しながら、集中して踊った。
意外にもアレクシスのリードは上手で、身長の低いリゼットに合わせてくれて、踊りやすかった。
だが一曲終わっても、〈全然駄目だ、全く出来てない!〉とやり直しをくらった。
鬼教官は、何曲も連続して、リゼットを踊らせた。
そうしてクタクタになったリゼットを見て、なぜかご満悦になったアレクシスは、「神の石」を取り出して、リゼットにかざした。
「神の石」に写し出したリゼットは、息を整えるために薔薇色の唇を軽く開き、ダンスで上気した頬は、パウダーピンクのドレスよりも濃いピンクをしていた。
抗議するような、潤んだ瞳でアレクシスを睨んでいて……。
……アレクシスにとって、いろんな意味で、とても良い画像になった。
『お疲れ。これでもう他の者と踊れないだろう? 後は母上の話し相手でもして、ゆっくり過ごせ』
と、アレクシスはご機嫌でミランダの元にリゼットを返し、夜会会場から出て行った。
ミランダは、
『私が前代未聞の事態に陥ってる隙に、連続で何曲も踊らせて、自分の婚約者アピールは忘れなかったわね! してやられたわ……』
と悔しそうに呟いた。
ミランダは、リゼットをアレクシスの婚約者として認めてくれているのか、いないのか……。
リゼットの疲れた頭では、もうどちらなのか、分からなかった。




