第93話 親子の溝
アレクシスはリゼットの体力作りのため、歩いてコネーハヴェ離宮までリゼットを送ってくれた。
「えっ、お母様に会って帰らないの?」
〈挨拶ならさっき済ませた〉
「でも久し振りなんだし、食事でも……」
リゼットが心配そうに言うと、アレクシスはリゼットの頭をくしゃっと撫でて微笑み、
〈明日も仕事だからいい。また週末には迎えに来るから、予定は入れるなよ。じゃ〉
そう言ってリゼットにお別れのキスをすると、ヴェータに乗って帰っていった。
***
リゼットが帰って来た気配に気付いたミランダは、離宮の玄関ホールに慌ててやって来た。
『ミランダ様、ただいま帰りました』
『お帰りなさい。ごめんなさい、あの子に貴女の居場所を教えてしまったわ! あの子は貴女の運動の邪魔をしなかったかしら?』
リゼットは、ミランダが何故そんなことを謝るのだろうと思いながら、
『ええ。クラブ活動が終わるまで待っていてくれました。自主練習の途中で声をかけられて……。髪の色も、体格も違ってて、最初は全然気がつきませんでした!』
と笑って言った。それを聞いたミランダは、ホッとした顔をした。
『……そう。ジーラント人相手に何でもやるのかと思っていたけど、一応そういうところはあるのね……』
どうやら、ミランダはアレクシスがジーラント人を好き勝手に暗示支配するものだと、思っていたらしかった。
『アレクは出会った頃こそ、思い通りにする祝福をよく使ってましたけど、今は違います! 今日だって、私の自主練習の相手の男子を帰らせたぐらいで……』
『貴女の練習相手の男子に嫉妬したんでしょうね。やっぱり、ジーラント人相手に、やりたい放題ね』
アレクシスが自分と親しくする男子を、祝福を使って追い払うのは、見慣れたものだったので、リゼットはつい口を滑らせてしまった。
リゼットは、ミランダを誤解させたと思って、慌てて訂正した。
『でも……、それぐらいです! アレクシスは変わりました! 滅多に思い通りにする祝福は使いません!』
ミランダはリゼットの言い分を、鼻で笑って聞き流した。
『わたくしはあの子に、無理やり貴女の居場所を喋らされたのよ? その言葉は信じられないわ』
『それは……』
……ミランダ様が教えなかったから、アレクシスが無理やり聞き出したのでは?
と思ったけど、リゼットは言葉を飲み込んだ。
──私だって、言わずにおこうと思っていたことを、頬っぺたをつねられて、喋らされたし……。
リゼットは、何で彼をかばっているのか、分からなくなってきた……。
***
ミランダは、アレクシスをかばうリゼットの口振りで、彼との過去を知られたと感じた。
目をスッと細めて、リゼットに尋ねた。
『貴女、アレクシスが私を殺しかけたこと、聞いたんでしょ?』
リゼットは、どう答えようか、一瞬言葉に詰まったが、
『……はい。さっき初めて教えてくれました』
と正直に答えた。ミランダはフッと笑ってから、真顔になった。
『わたくしたち親子には溝があるの。誤解もね』
『誤解?』
リゼットが聞き直すと、ミランダはリゼットから目線をツイと遠くへそらした。
『死にかけたわたくしは、あの子を部屋に閉じ込めさせたわ。わたくしの侍女にはジーラント人がいたから。あの人もいなかったし、どうすれば侍女たちを守れるか分からなかったのよ』
あの人とは、夫でアレクシスの父の、エドウィンのことだろう。
リゼットはアレクシスがセイレーンの力を使って、実際に人を殺せるのを知っている。
ミランダを殺しかけたアレクシスが、その力を制御出来ない状態だったのだとしたら、侍女を守るため、そうするしかなかったのかもしれない。
『わたくしはジーラント人よ。今でもあの子のこと、恐ろしいと思うわ。だからこれでいいのよ。さぁ、運動してお腹がすいたでしょう。食事にしましょ』
ミランダは、先に風呂を使いなさいと言って、奥に戻っていった。
***
リゼットは、ミランダのいう「誤解」とは何だろうと思った。
やはり、「食事を与えない」という「虐待」をしたのは、ミランダ様ではないのでは? と思った。
ミランダはアレクシスと同じで、意地悪なことを散々言うが、本質的には優しい人だとリゼットは知っていた。
だから、侍女たちを守るため、アレクシスを部屋に閉じ込めただけなのでは? と思った。
風呂から上がり、リゼットが身支度をしていると、ミランダの侍女が、珍しく手伝いを申し出てくれた。
彼女はミランダと同世代の、お気に入りの侍女だ。リゼットが彼女ならば、「誤解」について知っているかも……と思っていると、
『……あの、リゼット様……。その……、先程のミランダ様のお話のことで……。ミランダ様が仰った、アレクシス様に「誤解」されていることについてなのですが……』
と、侍女の方から、言いにくそうに切り出してきてくれた。先ほどのミランダとの会話中、後ろに控えていたらしい。
『……ミランダ様はお答えにならなかったけど、アレクシスが罰として、食事を与えられなかったことと、関係あるのかしら?』
リゼットの方からも、踏み込んで尋ねてみた。
化粧台の前に立ったミランダの侍女はため息をついて、
『やはり、その事までご存知なのですね……。ミランダ様はアレクシス様に食事を与えなかった、と言われていますが、それはミランダ様の指示ではないのです』
と言った。
リゼットは『詳しく聞かせて?』と頼み、彼女は鏡の中のリゼットにうなずいた。
『ミランダ様は当時、心身喪失気味でして……。アレクシス様のお世話はジーラント人の侍女たちの仕事でした。ですが、みんな怖くて、アレクシス様のお部屋に近付けなかったのです』
ミランダの嫁入りに付いていったのだろう古参の侍女は、リゼットの髪を乾かしながら続けた。
『アレクシス様のお部屋には、バスルームが付いていました。ですので、ミランダ様が立ち直られるまで、お食事さえお届け出来れば、しばらくは問題ないと思われました。なので、わたくし達は、エアデーン人の使用人にアレクシス様のお部屋にお食事を運ぶよう頼みました。そして、彼から空になった食器を受け取っておりました』
『それって……』
『彼が、アレクシス様の代わりに食べていたのです……。アレクシス様を恐れるあまり、確認しなかったわたくし達が悪いのです!』
──なんてこと!
リゼットはしばらく声が出なかった。
『アレクシスは……、ミランダ様から食事を与えられない罰を受けたと思って……。甘んじて受けて……、それで……』
ミランダの侍女は、やはりそうかと、悲痛な顔をした。
リゼットも、やはりミランダは「虐待」をするような人ではないという自分の予想は正しかったと思い、憤慨して尋ねた。
『「虐待」は、そのエアデーン人の使用人のせいだって、ミランダ様のせいじゃないって、どうして伝わってないの?』
『ミランダ様は彼や、わたくし達のせいにせず、ご自身で責任をお取りになったのです。プライドが高く、気難しいお方ですから……。アレクシス様を虐待したとして、糾弾されたミランダ様は、離婚届を残して、この離宮へ引き籠られました』
ひどい……。
リゼットは、当時の生きる気力を失ってしまったアレクシスと、今なお、自分を追い詰めているミランダを思った。
こみ上げてくるやりきれなさを、リゼットは何度も深い息をついては、首を振って逃がそうとした。
そしてふと、新たな疑問が浮かんだ。
『……その使用人はどうしたの? 逮捕されていないの?』
『ハイラーレーン・エレオノーラ様がアレクシス様を神殿に連れていく直前に、行方不明になりました』
アレクシスの受けた虐待の真相を知ったリゼットは、ミランダが何故、リゼットをここに留め置いて、アレクシスを呼び出そうとしていたのか分かった。
──ミランダ様は、口ではこのままで良いと仰ってるけれど、本当はアレクシスと、元通りの親子に戻りたいのね……。
『分かったわ! 私、アレクシスとミランダ様を仲直りさせられるよう、頑張るわ!』
『リゼット様。ぜひ、お願いします! ですが、わたくしが今したこの話は、聞かなかったことにしていただけませんか? ミランダ様は……、素直じゃないというか、気難しいお方ですので……。ミランダ様がご自身でお話しされた方が、上手くいくと思うのです……』
ミランダの性格を知り尽くした侍女が言うことだ。
リゼットがアレクシスに説明するのは、よけい拗れてしまうかもしれない、と言うことらしい。
『了解! 私はミランダ様の「人質」として、二人が落ち着いて、ゆっくり話す機会を作れるように頑張ってみるわ!』
『この事はリゼット様にしか出来ません! どうぞよろしくお願いいたします』
侍女はきれいに結い上げたリゼットの髪と、彼女の返事に満足し、深く頭を下げた。




