第91話 伝わる気持ち
〈何故逃げる?〉
「……びっくりしたから」
アレクシスに会いたい、びっくりさせたい、と思って帝国にやって来たリゼットだが、逆にびっくりさせられて、パニックになり、とっさに逃げてしまった。
呆気なくアレクシスの腕の中に捕まり、後ろから抱きつかれると、思念で伝わる彼の言葉が、耳許で囁かれているような錯覚を覚える。
心臓はドキドキと脈打ち、息が苦しい。大きく呼吸をして落ち着こうとするが、なかなか収まらない。
『おい! リゼットから離れろよ!』
リゼットの練習相手の男子生徒が、逃げるリゼットを捕まえて抱き付いた帝国騎士を不審に思い、近付いてきた。
アレクシスはサングラスを外して胸ポケットにしまうと、男子生徒に帰るよう暗示支配をしたらしく、彼はリゼットに別れの挨拶もせず、帰ってしまった。
リゼットは、練習に付き合ってくれた彼にお礼を言いたかったのに……、と心の中で思った。
邪魔者を追っ払ったアレクシスは、改めて、腕の中のリゼットの変化に戸惑っていた。
抱きついた体は、以前とほぼ同じく小さくほっそりしているが、少女から大人の女性になりつつあり、ふわふわと柔らかかった。
〈こっち見て。よく顔見せて〉
「やだ」
〈即答かよ〉
アレクシスは、肩に手を当てグルッとリゼットを回転させて、その顔を覗き込んだ。リゼットはあわてて俯いて、顔をそらす。
その顔を追いかけるように覗き込まれて、赤くなった顔を見られたくなかったリゼットは、アレクシスに抱き付いた。
記憶にあるアレクシスは、ジーラント人の中にあって細身だった。
アレクシスのいる魔鉱脈開発部隊は、帝国一の脳筋部隊と言われているらしいから、恐らく、肉体改造したのだろう。
抱き付いた大きな体が、ふにゃふにゃの自分とは違い、ゴツゴツとした固い筋肉で覆われていて、リゼットは戸惑った。
アレクシスも、自分に抱き付いてきたリゼットを、抱き締め直した。
腕の中の小さな存在に、愛しさが溢れる。
……経緯はどうあれ、エアデーン王国の、はるかヴォリアーシャ地方から、自分に会いにここまでやって来てくれたのだ。
相手の感情を祝福で受けとるようになったのなら、リゼットを愛しいと思う、自分のこの気持ちだけを受け止めたらいい……。
アレクシスはリゼットを抱く腕から、彼女への愛が伝わるよう抱き締めた。
そのアレクシスの願いは、リゼットに通じていた。
リゼットはアレクシスの溢れる愛情を、祝福で受け取り、苦しいほどの多幸感に浸った。会えない時間がその思いを募らせたようで、今までで一番強く、彼の愛情を感じた。
リゼットもまた、ぎこちなく抱きつきながら、アレクシスに会えて嬉しいと思う自分の気持ちが、伝わればいいなと思った。
***
〈やっとお会いできましたわ! つがい様、初めまして!〉
抱擁する二人の間に、語尾にハートマークが付きそうなヴェータの嬉しげな思念が、割り込んできた。
「え、誰の声?」
〈あー、やっぱりリゼットにも聞こえるのか〉
角の生えた美しい白い翼竜が、ふわりと大きな翼を動かし、樹木の間から、二人の間に降り立った。
〈つがい様もお話出来るのですね。素敵ですわ!〉
ヴェータは嬉しそうな声で空に向けて一鳴きすると、リゼットに届くように頭を下げた。
リゼットは、珍しい色の美しい翼竜の顔に手を伸ばして触れ、挨拶をした。
〈つがい様、わたくし、アレクシス様の角翼竜、ヴェータと申しますわ〉
「よろしくヴェータ。私は、リゼット。あの……、つがい様って?」
〈アレクシス様が、貴女をご自身のつがいと定めておられますから……〉
リゼットは、アレクシスの顔を見上げた。
彼はリゼットの肩を抱いたまま、彼女を見て、ニヤリと微笑んでうなずいた。
リゼットはぶわっと照れくささに顔に血液が集まり、熱くなって、慌ててアレクシスから目線をそらした。
そんな照れ屋なリゼットに気を使ったのか、
〈つがい様、女同士、御主人様にお聞かせしないようにお話をいたしましょうか? でしたら、わたくしの角に額を付けてくださいませ〉
そう言うとヴェータはよりいっそう身を屈め、リゼットは背伸びして、ヴェータの角に額を合わせて目を閉じた。
のけ者にされたアレクシスは、ヴェータとリゼットの思念通話が終わるのを、少し離れて待っていた。
……コネーハヴェの夕暮れに染まる運動場の片隅で、白い翼竜と心を通じ会わせる少女。
リゼットは薄汚れた運動着を着ているのに、神殿で巫女が神秘的な儀式をしているかのような錯覚を、アレクシスは覚えた。
角翼竜ヴェータと直接思念を交換し終えたリゼットは、アレクシスを振り返って見た。
「すごい! ヴェータは物知りなのね! 私が知りたかったことを教えてくれたわ! 強いグレーンフィーンの祝福は、使って発散しなければいけないんですって。じゃないと感覚が鋭くなりすぎて、相手の気持ちに、やられてしまうんですって!」
〈それが王国に帰ってから、負の感情を受けて倒れるようになった原因なのか?〉
「あ、ミランダ様から聞いたの?」
アレクシスはうなずいた。
〈マクシム以外に、誰の感情を受け止めたんだ?〉
アレクシスはそこを突っ込んで聞いた。
リゼットが誰にやられたのか、アレクシスとしては知っておくべき情報であり、放っておくわけにはいかなかった。
リゼットは言葉に詰まって、視線をそらせた。
「いいでしょ、別に誰だって……」
〈なんだ、反抗期か?〉
アレクシスは、リゼットの頬を、つねって引っ張った。
「いっ、いひゃいぃ~!」
〈ホラ言え! 誰だ!〉
「言う、言うから放ひて~!」
赤くなっているであろう頬をさすりながら、リゼットは答えた。
「デビュタントの時、国王陛下に……。アレクシスが今どうしてるかお尋ねになって……。存じませんって答えたら、不信感というか、不快感というか……。だって、本当に知らなかったのに~! ってどうしたの?」
アレクシスは、途端に険しい顔でリゼットを抱き締めた。
国王がリゼットに抱いた不信感、不快感は、元を正せばアレクシスに向けられたものだ。
マクシムの負の感情も、ミハイルを殺したアレクシスに対して向けられるべきのものだ。
〈……ごめん、俺のせいだ〉
「え、何で? アレクのせいじゃないよ……。私の祝福のせいだから……」
〈いや、俺のせいだ〉
否定するリゼットにかぶせるように、アレクシスは告げた。
アレクシスは、自分のせいでリゼットを苦しませてしまったことに苛立ち、何よりも守りたい彼女を、帝国の問題を解決することを優先していたために、守ってやれなかった……。
その悔しさを、歯を食いしばって耐えていた。
リゼットは、柄にもなく落ち込んでいるらしいアレクシスを、何とか浮上させたくなった。
「そうね。たしかにアレクのせいよ。……つねられたほっぺが、まだ痛い」
彼の腕の中で、もう痛まない頬のことを言って、ふざけてみせた。
心配したアレクシスが、リゼットの頬を見ようと、彼女を抱く腕を少し緩めた隙に、
「おかげで夢じゃないって分かったから、許してあげるね」
そう言って、背伸びをしてアレクシスの頬に、自分からチュッと口づけて慰めた。
目があったアレクシスを見て、悪戯が成功したかのように、リゼットはニッコリ笑った。
……彼女のキスと、可愛らしい笑顔は、たしかにアレクシスの心を救った。
リゼットには、いつもいつも救われてばかりだと、アレクシスは苦い笑いを浮かべた。




