第90話 再会
帝都ドラゴグラードから東へ約六十クローム、温泉が涌き出る景勝地、コネーハヴェに建てられた離宮は現在、王国へ嫁ぎ、後に離婚した出戻り皇女、ミランダ・アドリアヴィ・ジーラントの住まいとなっている。
「帝国の星の塔」でウィリバートと別れたアレクシスは、そのまま角翼竜ヴェータで、母のいる離宮へ向かった。
ヴェータから降り、アレクシスを呼び止める使用人たちを次々と暗示支配して通り過ぎる。母の侍女らしき年齢の女性に出会うと、ミランダの所へ案内させた。
『リゼットはどこだ?』
母の前に現れたアレクシスは、いきなりそう切り出した。
夏の庭で食後のお茶を楽しんでいたミランダは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに美しい顔をしかめた。
『久しぶりに会うのに、第一声がそれなの?』
『……』
カップをソーサーに優雅に戻しながら、ミランダは七年ぶりに会う息子を眺めた。
『ずいぶんと大きくなったのね。見かけはジーラント人とエアデーン人の中間ってところだけど、熱帯や極寒の土地でも問題ないようね。貴方はジーラントの血を上手く引いたようで良かったわ』
答えをはぐらかすミランダにアレクシスは、
『強制的に聞き出してもいいんだけど?』
と言って、サングラスに手をかけた。
対してミランダは、臆する素振りも見せず、
『傲慢なのね。誰に似たのかしら? 彼女なら心配ないわ。まぁ、お掛けなさい』
そう言って侍女に、アレクシスの分のお茶を用意するように言った。
アレクシスはわざと緩慢に答えるミランダに苛立った。
ミランダはその様子を婉然と眺めながら、アレクシスを座らせるために、いきなり本題をぶつけた。
『あの子の「グレーンフィーン」の祝福を抑える方法ってないの?』
『祝福を抑える? グレーンフィーンは「星の理解者」、タルール人との意思疎通に特化した祝福だ。抑える必要などない』
リゼットが言っていたように、アレクシスは、リゼットが突然体調不良になることを知らないようだと、ミランダは思った。
『彼女、王国に戻ってから、人の負の感情を祝福で受け取って、熱を出して倒れるようになったらしいの』
ミランダはアレクシスを上手く釣り上げたようだ。
ちょうどアレクシスのお茶も入り、息子を椅子に座らせることに成功した。
『宰相のマクシムいわく、タルールにいた息子のミハイルの死の経緯を、彼女に教えてもらったそうなの。そしたら、それまで元気だった彼女が倒れてしまったのですって。誰も看病のやり方が分からないから、私が呼ばれたのよ』
アレクシスもそのことは、マクシムから聞いていた。
『……倒れたのは、本当にリゼの祝福のせいなのか?』
『そうらしいわ。王国へ戻ってからそんな体質になった、と彼女は言っていたわ。マクシムから、突然息子を喪った怒りと憎しみを、彼女は祝福で受け取ったらしくて……』
それらの負の感情は、本来ならば、ミハイルを殺した息子、アレクシスに対して向けられるべきのものなのに、彼の弱い婚約者、リゼットに向けられてしまった。
『祝福って厄介なのもあるのね』
『……制御できないうちは厄介だ』
『そうね。貴方も母親を殺しかけたものね……』
ミランダはため息をつき、何気なく呟いてから、失言に気付きハッとした。
アレクシスは、サングラスをずらしてミランダを睨み付け、不敵に笑う。
『母親も息子を殺しかけたんだ。お互い様だろ?』
『……そうね。そうだったわ。まだあの時のこと、貴方に謝ってなかった。本当に貴方には……』
アレクシスは母親の謝罪の言葉の途中で、サングラスを外した。
《リゼットはどこだ?》
先ほどから、尋ねている問いをはぐらかそうとするミランダに、アレクシスは暗示支配の力を使って尋ねた。
『この時間は、近所の学校の運動場にいるわ……』
強制的に答えさせられたミランダの暗示状態が解ける……。
ミランダは肩で息をしながら叫んだ。
『待って! 今は彼女の邪魔をしないでやって!』
アレクシスは母を無視し、リゼットを探すため、再びヴェータの背に乗った。
***
ヴェータに乗り、離宮の近隣を見渡すと、芝で覆われたグラウンドを走る学生の集団が見えた。
近くまで寄ると、その先頭を走っている、柔らかい金の髪をお下げにした小さな少女が見えた。
──リゼ!
集団に追い付かれた少女はみるみる引き離されて、また一人で走っている。
スピードからして、リゼットだけ周回遅れのようだった。
フラフラで、走っているんだが、歩いているんだか分からない。
そんな足を縺れさせて、転んだのが見えた。
しばらく膝を押さえて踞っていたが、やがて立ち上がると、また走り歩きを始めた。
アレクシスは今すぐ行って、リゼットを抱き締めたいのを堪えた。
遠くから見ていても、皆と同じ運動メニューをこなそうと、彼女はまだ痛む膝を庇いながら、必死に頑張っているのが伝わってきたからだ。
そこでアレクシスは学校の屋上にヴェータで降り立ち、手すりに腰掛け、上からリゼットの様子を見守ることにした。
集団はすでにゴールし、体操を始めていた。
リゼットは体操が終わる頃ゴールし、一人で運動場の片隅で体操を始めた。
柔軟は得意のようで、ペタリペタリと体を折り曲げている。
腹筋や腕立て伏せは、一つ一つの動作に気合いが必要な様子だった。
この集団はこの学校のペールチームのようだった。
ペール用のボールを持ち出し、教師が決めた練習メニューを順番にこなしている。
体操を終えたリゼットも途中からだが、ボールを持って列に並んだ。
チームはリゼットを温かく迎えているようで、リゼットの顔に笑顔が見えた。
リゼットは真剣に練習に取り組んでいた。
二つに分かれた一部のチームは、試合形式の練習を始めたが、リゼットはもう片方の、黙々と基礎的な動きの練習をするチームの方で、三時間ほど運動を続けた。
アレクシスは、リゼットが熱中症で倒れるので、暑いタルールで運動することを反対した。
今のリゼットは、王国人女子ということを差し引いても、運動神経が悪く、持久力も筋力もなかった。
リゼットに全く運動させなかった結果を見せつけられたような、三時間だった。
チーム練習が終わって解散しても、リゼットは運動場に残っていた。男子生徒と何やら話し込んでいる。
やがて二人は向かい合って、パスの自主練習を始めた。
アレクシスは、久し振りに自分の中に、ドロドロとした、嫉妬と怒りの感情が沸き上がるのを感じた。
はっと、ミランダが言っていたことを思い出し、自分の中の「負の感情」を深呼吸をして押さえ込むと、ヴェータに乗って、運動場の周囲に植えられている樹木のそばに降り立った。
アレクシスからは二人の横顔が見える位置だが、二人ともアレクシスには気付かず、パス練習を続けている。
アレクシスはサングラスをずらし、リゼットの相手をする男子生徒の思考に暗示をかけた。
目が合わせられない分、時間がかかったが、やがて彼はリゼットに投げるパスを、アレクシスの指示通り、こちらに寄越した。
アレクシスは、コロコロと転がってきたボールを足で止めた。
***
リゼットは、自主練習に付き合ってくれた男子が、あらぬ方向に蹴ってしまったボールを取りに走った。
ボールは、見知らぬ帝国騎士が受け取っていた。
『すみませ~ん』
騎士は、リゼットの練習相手の男子の足元まで、正確にボールを蹴って返した。
リゼットも相手の男子生徒も、その間近で見た、プロ並みの技術に驚いた。
リゼットはボールを返してくれた騎士にペコリとお辞儀をし、
『ありがとうございました~』
と言って、踵を返した。
〈……久し振り〉
リゼットの脳内に思念が届き、驚きにビクリと体が固まった。
そして、ゆっくり、ゆっくりと振り返る。この久し振りに受け取った思念は……。
「……アレク……シス?」
先ほどボールを蹴って返してくれた、サングラスをした帝国騎士の青年が、木にもたれながら腕を組んで、笑みを浮かべていた。
彼は黒く短い髪をしており、ジーラント帝国騎士らしく鍛えられた体つきをしていた。
リゼットの記憶の中にいた少年アレクシスと、同一人物には見えなかった。
だが自分の脳内に響いた思念は、間違いなくアレクシスのもので……。
混乱したリゼットは、走って逃げようとしたが、簡単に追い付かれて、後ろから彼の大きなその腕の中に、閉じ込められた。




