第85話 人質
帝国宰相マクシムは、応接室で倒れて、熱を出していたリゼットを、客用寝室に運ばせた。
ジーラント人は、熱など出したことがない者が多く、ナザロフ家の使用人たちは、王国人の少女を丁重に扱えと主人に言われても、何をすれば良いのか分からなかった。
時々目を覚ました彼女が望むように、水を用意したりするだけで、熱は下がらず、戸惑うばかりだった。
その後、皇帝からの使者が、明朝の登城命令と、「リゼット・グレーンフィーン嬢を預かっているならば、丁重に扱うよう」という陛下の伝言を伝えに来た。
マクシムは、リゼットを連れ去ったことが皇帝陛下に知られていることよりも、リゼットの体調の悪化に、内心焦っていた。
彼女は突然、体調が悪くなった。自分は何も手を下していない……はずだ。
勝手に具合が悪くなっただけなのに、もしこのまま彼女が回復しなかったら、姿を現したセイレーンに、自分も「死ね」と暗示支配されるのだろうか……。
マクシムは、ジーラント人の中に植え付けられているという「星の制御者」に対する畏怖を、ひしひしと感じていた。
***
明朝、皇帝オレーグの執務室に、呼び出しを受けたマクシムが現れた。セルゲイとイーゴリの二人の皇子も同席していた。
マクシムはリゼットを「保護している」と、あっさりと認めた。
セルゲイは、マクシムがしらばっくれたら、ウィリバートから聞いた話をして、(自分はそんな性分ではないが)問い詰めるつもりで、覚悟して来ていたので拍子抜けした。
マクシムは、飄々とその理由を述べた。
『私はただ、タルールで自害したとされている息子ミハイルの死について、ロナルド・グレーンフィーン伯爵のご令嬢のリゼット嬢が、何かご存知ではないか、話を聞かせて貰うために、我が屋敷にご招待申し上げたのです』
セルゲイは、帝国宰相に対して、早朝に彼女を騙して誘拐するように連れ去ったことを、責め立てようとして止めた。
……やはり他人を諌めるなど、柄にもない疲れることは、したくなかった。
皇帝はその続きを詳しく話すよう命じた。
***
マクシムはリゼットから聞いた話を説明した。
……タルール撤退に納得の行かないミハイルは、ロナルドを殺し、タルールの王に刃を向け、ヴィクトル殺害を命じたこと。
……ミハイルは、タルールの毒をエアデーン人に与えて、エアデーン王国を侵略する計画を立てていたこと。
……さらに婚約者であるリゼットの首を絞め、殺そうとしたのを見て、怒った「星の制御者:セイレーン」であるアレクシス・セイレーン・セントレナードに「死ね」と命じられて、ミハイルは殺されたこと。
……それを自害したとジーラント人に暗示支配で思い込ませたこと。
そこまで説明してマクシムは目を閉じた。
マクシムは、リゼットが語ったことに嘘を感じなかった。
ミハイルの思考が手に取るように分かるのは、自分が親だからか、もしくは、自分であってもそうすると思うからか。
……恐らく両方であろう。
そう、ヴィクトルの側に「星の制御者:セイレーン」がいたのが、ミハイルの運の尽きだったのだ。
ミハイルがセイレーンの「制裁死」ではなく、「自害」と発表されたのは、結果として、死んだミハイルと遺されたマクシムの名誉を守ったことになっていた。
***
初めて聞いたミハイルの死の真相と、ジーラント人に死を与えるセイレーンの力に、その場にいた全員が凍りついた。
『ちょっと待て。アレクシス・セイレーン・セントレナードって、ミランダ叔母上の息子のアレクシスってことか? アレクシスがタルールにいたってことか?』
全てが初耳のイーゴリには、色々と急に飲み込めない話のようだった。
その問いに、マクシムはコクリとうなずいた。
マクシムは、ここまでさらけ出してしまった以上、スッキリとした気持ちになっていたので、するりと本心が口をついて出た。
『リゼット嬢からこの話が聞けて、やっと息子の死の理由が分かり、ようやく納得できたというか、受け入れられるようになりました。ですが、リゼット嬢は、私にその話をした後、急に体調を崩しまして……』
『……彼女もタルールで父親を亡くしている。彼女にとっても辛い出来事を、思い出させたからでは?』
セルゲイが、リゼットが倒れた理由を推測してみたが、
『ですが、王国人とは、その程度で熱を出し、起き上がることもままならなくなるものでしょうか?』
そう言われると、セルゲイにも分からない。
相変わらず話の流れが見えないイーゴリは、
『伯父上はミハイルの復讐に、その娘に毒でも盛ったのですか?』
と言った。これにはマクシムも呆れ、
『イーゴリ殿下、リゼット嬢はセイレーン・アレクシス殿下の婚約者ですぞ。そんなことをしたら、彼女を殺そうとしたミハイルと同じ目に合うだけです。だが、体質の違う王国人にどうして良いやら、使用人も困っておりまして……』
セルゲイは、マクシムがあっさりリゼットを保護していることを白状した理由が分かった。
……マクシムは、彼女の扱いに困っているのだ。
セルゲイは、王国人のウィリバートに聞けば、色々と分かるかも! と思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
ウィリバートは、王国人の体質に詳しいだろうが、自分の保身のために、リゼットを売るような人間だから駄目だ……。
誰からも解決策が出ない中で、皇帝は静かに椅子から立ち上がって命じた。
『ミランダに魔電報を。大至急、帝都に戻れ、と』
***
リゼットは、帝国宰相邸の客用寝室で弱っていた。
帝国には解熱剤などの薬がないらしい。熱が下がらず、自分の力だけで回復しなければならないのは、きつかった。
時々様子を見に来るマクシムの使用人に水分を枕元に置いて欲しいと頼んだので、それ以降は何とか水分だけは取れている状態だった。
どのくらい寝ていただろう。目が覚めると、枕が冷たいものに変えられたようで、少し気分が良くなった。
リゼットが目を覚ましたことを聞かされたのだろう、高貴な装いの美しいジーラント人の女性が部屋に入ってきた。
『食欲はある? 少しお腹にいれてから、薬を飲むといいわ。寝る前に、着替えを用意させたから着替えてね』
昨日、食事だと用意されたものが病人食ではなく、匂いだけで吐いてしまうような、油っこい料理だったので警戒したが、この女性が用意させた食事は、チキンスープで柔らかく煮込んだパン粥だった。
長い間胃に何も入っていなかったリゼットには、ほっとする優しい味だった。
用意された薬を飲み、着替えて、部屋のトイレに行っている間に、その女性はベッドシーツを交換させていた。
薬が効いたせいか熱が下がり、ゆっくり眠ることができた。
その女性が来た日から、リゼットは正しく看病された。
食事も、パン粥に野菜が混じり、段階を踏んで病人食から、一般的な食事が摂れるようになるまで回復した。
毎日様子を見に来てくれたその女性がニッコリ笑って、
『貴女だいぶ元気になったわね。これぐらい回復したら、翼竜にも乗れるわね』
と言った。リゼットが真意を測りかねてキョトンとしていると
『ああ、自己紹介がまだだったわね。私はミランダ。アレクシスの母よ。貴女には、私の人質になってもらうわ』
『アレクのお母様……?』
『そうよ、陛下によればあの子、帝国にいるそうじゃないの? 母親に挨拶もしないでどういうことかしら? 貴女、アレクシスの婚約者なんですって? イヤらしいわね、自分の瞳の色と同じ色の婚約指輪を渡すなんて……』
言われてリゼットは、身に付けていた婚約指輪を通したネックレスがなくなっていることに気付いた。
『貴女を預かっていれば、あの子は嫌でも顔を出しに来ると思うの』
ミランダの手には、タルールの民俗的な組紐に通されたリゼットの婚約指輪があった。
ミランダはその紐を指でくるくる振り回して弄んでいる。
『あの……それ、返して下さい。それに、アレク……シス様は、今新しい魔鉱脈を探して雪山にいるらしいので……』
『知ってるわ。貴女があの子に相応しいと思えたら、これは返してあげる』
そう言って、ニヤリと笑うミランダは、意地悪モードのアレクシスとそっくりで……。
……その瞳は、アレクシスと同じ、綺麗な翡翠色だった。




