第83話 リゼットの行方
セルゲイの名を騙った女性騎士により、リゼットは拐われてしまった。
セルゲイとオリガは、その女性騎士の目撃者を探したが、早朝のことで誰も見つからなかった。
皇城の門番に聞いても、家紋を隠しているような、怪しい馬車は通らなかったと答えた。
リゼットを誘拐する目的は何だろう。セルゲイは、オリガに尋ねた。
『リゼットに、個人的な恨みを持つ者はいる?』
『リゼは皆に好かれています。恨まれてなどいません!』
オリガは憤慨したが、『あ……』と呟く。セルゲイは先を促した。
『タルールを撤退したことを、未練がましく思う帝国人がいます。でも、そんなのリゼのせいじゃない! アレクシスが教えてくれたから、あれ以上被害が出ずに済んだのに……』
『アレクシスのせいにしている者がいるってことか……。そして、その婚約者に八つ当たりしたと……』
『リゼだって犠牲者です! リゼの父は逆恨みされて、タルールで冤罪で衰弱死しています』
そこでセルゲイは、タルールで唯一死亡が発表された帝国貴族の名を思い出した。
改めて門番に尋ねた。
『ナザロフ家の馬車は通ったか?』
明らかに門番の目が泳ぐ。セルゲイはその門番に囁いた。
『……お前の証言に、わりと帝国の存亡がかかっている。脅しじゃないぞ』
生唾をごくりと飲み込んだ門番は『お許し下さい』と頭を下げて、尚も証言を拒否した。
セルゲイはこの門番は相当な弱味を握られていると思ったが、証言を拒否したことで確信が深まった。
***
セルゲイは、父皇帝オレーグに至急の謁見を求めて、リゼット誘拐の件を報告した。
……タルールにいたロナルド・グレーンフィーンの娘リゼットが、友人であり、魔鉱省秘書官のオリガ・ボルトゥノヴァを訪ねた。リゼットは今朝早く、女子寮のゲストルームから、何者かに呼び出され誘拐された。タルールでの出来事を恨んだ者の犯行の可能性がある、と……。
それを聞いた皇帝補佐の第二皇子イーゴリは、セルゲイがわざとぼかして説明したことを勘繰って、
『兄上は証拠もないのに、宰相を、マクシム伯父上を疑われるのですか?』
と、伯父が疑われたと断定して、食って掛かった。
『……今の話で、何故ナザロフ宰相の犯行だと思うんだ?』
そう言われて、グッと言葉に詰まったイーゴリは、話をそらした。
『そもそも、何故兄上はご自身で、その王国人の少女を皇城に連れてきたのです? 新しい愛人ですか? 随分と年の離れた、幼女のような……。そのような趣味がおありとは……』
そう言ってイヤらしく下卑た笑みを浮かべるイーゴリに対し、セルゲイは
『イーゴリ、何故お前がリゼットの容姿を知っている? もしやお前が連れ去ったのか?』
イーゴリはしまった、という顔をした。
皇帝は、苦しい言い逃れをするイーゴリと、詰め寄るセルゲイの会話を聞いていた。
……イーゴリは短慮で、相変わらず……残念だ。
セルゲイに愛人がいるという疑惑を故意に流して、失脚を謀ろうという考えが、そもそも浅はかで見当違いだ。
長年、皇帝補佐をさせていても、兄弟の足を引っ張ることでしか存在感を示せないイーゴリに、失望させられるのは何度目か、……皇帝オレーグは数えるのをやめていた。
セルゲイは、皇帝を動かすため、わざとらしく嘆いてみせた。
『リゼット・グレーンフィーン嬢は、ヴィクトルの右腕とも頭脳とも言われていた王国人の親友、アレクシス・レーン・レナードの婚約者です。彼は今、行方不明らしいですが、もし万が一、彼女の身に何かあったら……』
セルゲイはイーゴリがいたので、アレクシスの本名は伏せたが、その意図は正しく皇帝に伝わった。
皇帝オレーグは『それを早く言え、セルゲイ!』と言うと、立ち上がった。
『事の真偽はともかく、明朝、マクシムを呼び出せ! もしグレーンフィーンの令嬢を預かっているならば、丁重に扱えと伝えよ!』
オレーグは本当は今すぐ呼び出したいところだったが、午後から視察の予定があった。
セルゲイは父皇帝に深く礼をし、執務室を辞した。
セルゲイに打てる手は打った。皇帝を巻き込んで、宰相のマクシムを呼び出させた。
──ごめん、リゼット。僕にできるのはここまでだ。
セルゲイは、アレクシスのためにも、リゼットが無事であるよう祈った。
***
セルゲイは、自分を責めるオリガに『手は打ったから、リゼットは明日には戻ってくるよ』と言って、一旦研究所に戻った。
ウィリバートにも一応、報告しておかねばならない、と思ったからだ。
セルゲイは研究所に戻ると、元アレクセイの部屋を訪ね、ウィリバートにリゼットが誘拐されたことを報告した。
ウィリバートはそれを聞いても驚くことなく、
『ええ、存じております。私も宰相閣下に捕らわれました。私には、セイレーン・アレクシス様に命じられた「塔の起動」の仕事があるので、私を自由にする代わりに、セイレーン・アレクシス様の婚約者であるリゼット嬢を、人質として預かって良いと申し上げたのですよ』
『ウィリバート! 君は何てことを!』
予想外の言葉に、温厚なセルゲイは、滅多に荒げることのない声を張った。
『アレクシス様にはアレクシス様の、私には私の都合というものがございます。帝国領内にある施設に、王国人が無断で立ち入るのです。怪しまれるのは分かっておりました。エアデーン人は、ジーラント人に力では敵いません。私だって命は惜しい。それに、早くアレクシス様に姿を現してもらいたい、それだけです。その為には、利用出来るものは、なんだって利用する』
冷徹に言い放つウィリバートに対し、セルゲイはなおも言い募ろうとしたが……止めた。
もともと、他人を諫めたりするのは、自分には向いていない。
そして、深い諦めのため息をついた。
『アレクセイは……、アレクシスは今、雪山だ』
『……雪山?』
呆然と言葉を失うウィリバートに、セルゲイは続けた。
『アレクセイ、いやアレクシスが、皇帝陛下に進言したんだ。帝国の問題解決には、私の行っている農作物の品種改良じゃ時間がかかりすぎると。それよりは新しい魔鉱脈の開発だと言って、魔鉱省長官になったヴィクトルの副官になって……。それで、今、雪山にいる。ヴィクトルが雪崩に巻き込まれたと魔電報が入って、昨日無事だと分かるまで、皇城は大変だったよ』
『そ、そんな、私に「帝国の星の塔を起動させよ」と命じておきながら……』
ウィリバートは、アレクシスに見捨てられたような気分になった。顔をくしゃりと歪ませた。
セルゲイは、ウィリバートの気持ちが手に取るように分かった。
何故なら、自分も昨日感じたことだからだ。
『君に頼んだ仕事は恐らく、君に任せておけば何とかなると、アレクシスは思ったんじゃないかな?』
ウィリバートを慰めながら、セルゲイは自分のことも冷静に分析した。
『私の取り組んでいる品種改良の研究も、今思うと、私は彼にセイレーンの力で知識を叩き込まれたらしい。彼がいなくなってからも、それなりに研究は進められているんだ』
そうだ。アレクシスは、農作物の品種改良は時間がかかるから、自分に知識を叩き込んで、任せてくれたのだと。
『アレクセイは……、アレクシスは熱心に研究に取り組んでいた。セイレーンの拡張脳機能の持ち主が、今は帝国一の脳筋翼竜部隊と雪山にいる。彼は、何か……急いで結果を出そうとしている。そんな彼が頼れる手には頼り、打てる手を打って出かけたということだろう。そこに、リゼット嬢が登場するとは、ちょっと計算外だったろうけど……』
セルゲイは、雪山にいるアレクシスに、リゼット嬢が来ていることは、絶対に知らせられないなと思った。
ウィリバートは、少し気を持ち直したようで、
『……アレクシス様はいつ、お戻りになるのでしょう』
と尋ねた。
『さあ、目星を付けたところにベースキャンプを張ったみたいだから、雪が溶けて、魔鉱脈が見つかれば、一旦は戻ってくると思うけど……』
『……そうですか。分かりました。アレクシス様がお帰りになるまで、ご期待に添えるよう、私も全力で取り組んでみます。セルゲイ殿下には、色々とサポートをお願いすることになります』
セルゲイは『分かった』と答えた。
……リゼットはマクシムのところにいるという証言も得られたし、皇帝陛下にも頼んである。
マクシムが、彼女のことを「セイレーン・アレクシスの婚約者」と知った上で人質としたならば、彼女は明日の朝には解放されるはずだ……。
セルゲイは、マクシムがセイレーン・アレクシスの報復を恐れる、ジーラント人の本能を持っている限り、リゼットは無事であると確信した。




