第82話 裏切り
女子寮の外に出たリゼットは、セルゲイを探した。リゼットは彼が女子寮の外で待っていると思っていたからだ。
だが、外にセルゲイはおらず、女性騎士二人に、停めてあった馬車に乗るよう促されたので、リゼットは不思議に思った。
『あの……、どうして? セルゲイ殿下は、「私に会いに来る」と仰っていたはずよ?』
『……殿下のご予定が変わったのですよ』
女性騎士は冷たく言った。
──セルゲイ殿下は、私が今日一日を、オリガと過ごす予定だとご存知のはず。だから私の予定を尊重してくれて、朝一番で少しだけ、と仰って下さったのに……。
リゼットはハッと気付いた。
──この二人は、セルゲイ殿下の寄越した者ではないわ!
『私、乗らない……』
リゼットは後退り、逃げようとしたが、呆気なく腕を取られ、容赦なく握られた。
『痛っ!』
『……無駄な抵抗をなさいませぬよう』
と、小声で囁かれ、その力加減のまま、ぐいぐいと馬車に引きずりこまれた。
怖くて、大声で助けを呼ぶことなど、思い付きもしなかった。
リゼットを乗せて、皇城を出発した馬車は、そこからさほど離れていない、とある貴族の屋敷の前で止まった。
リゼットは、トイレ付きの独房のような、小さな部屋に案内され、そこで待つよう言われると、外から鍵をかけられ閉じ込められた。
何故自分が捕まり、このような部屋に軟禁されるのか……。リゼットには全く心当たりはなかった。
──アレクシスを王国で大人しく待っていなかった罰なの?
これからどうなるのか、心は不安で張り裂けそうだったが、涙は必死でこらえた。……泣いてもどうにもならない。
オリガか、本物のセルゲイ殿下が助けに来てくれるのを待つしかなかった……。
***
どのぐらい時間が経っただろう。
鍵を開けて入ってきた騎士が、リゼットの両手を体の前でロープで縛り、歩くよう命じた。
リゼットが連れて行かれた応接室では、同じく両手をロープで縛られたウィリバートが、立ったまま待たされていた。
「貴女も捕まったんですね。心当たりはありますか?」
とウィリバートは王国語で聞いてきたので、リゼットは首を振った。
「まぁ、タルール絡みでしょうかねぇ。帝国では、王国人はタルール入植をそそのかしたことになっていて、恨みを買っているから……」
『うるさい、黙れ!』
監視の帝国人は、理解出来ない王国語で話し合っている二人に苛立ち、黙らせた。
……王国人は恨みを買っている……
その一言で、リゼットの脳裏に、ある人物のことが浮かんだ。
ちょうどそのとき、そのまさに思い出していた顔を、老けさせたような壮年の男性が入室してきた。
『初めまして、貴女がリゼット・グレーンフィーン嬢ですか。少しお話を伺いたくてね、少々強引な方法でお連れしました』
ウィリバートは、その脳機能に蓄積された人物名鑑のページをめくり、目の前の壮年のジーラント帝国貴族の名を言い当てた。
『帝国宰相マクシム・グレゴヴィ・ナザロフ閣下ですね。私はエアデーン王国ティタレーン神殿の神官、ウィリバート・レーン・リギースと申します。我らへのこの仕打ちは、どういうことですか?』
ウィリバートはそう言って、縛られた手首を持ち上げた。
帝国宰相マクシムは、早口で話すウィリバートを制するように、ゆっくりとソファーに腰をおろし、足を組んでから答えた。
『その前に、貴殿方の入国の目的を教えて頂こうか』
『私はアレクシス・セイレーン・セントレナード王子殿下の依頼で参りました』
リゼットは、ギョッとして、前に立つウィリバートを目を丸くして見た。
──私にはアレクシスの本名を伏せるように言っていたのに、ウィリバート様は、何故話すの?
ウィリバートは、リゼットの疑念を無視するように、
『セイレーン・アレクシス様のご依頼は、私一人で完遂出来るものではない。現在、行方不明となっておられるが、姿を現していただく必要がある。その為に、アレクシス様の婚約者とされるリゼット嬢をお連れしたのです』
と、淀みなく話した。
……つまり、リゼットはアレクシスを誘きだす「エサ」である、と……。
ウィリバートの得意気な説明に、マクシムは怪訝な顔をした。
『待て。リゼット嬢は、タルールにいたアレクシス・レーン・レナードの婚約者と聞いているが?』
『タルールでそのように名乗っていた人物こそ、セイレーン・アレクシス様です』
マクシムは、ウィリバートの発言を理解するのに数瞬かかった。
『……では、タルールには、セイレーン・アレクシス王子がいた、ということだな』
『左様です、閣下』
***
皇女ミランダはエドウィン王子と離婚し、帝国に戻ってきていた。
離婚理由は、ミランダは何も語らない。黙って帝都から離れた離宮に閉じ籠ってしまった。
そして後に、息子のレーン・アレクシスの聖名が、セイレーンに訂正されたと発表された。……離婚理由はその辺りにあるに違いない、と誰もが思った。
その後、王国では王室典範を改定してセイレーン・オリヴァールが国王に即位した。
時を同じくして、セイレーン・アレクシスは、継承順位を示す儀礼称号も与えられないまま、表舞台からは完全に消えており、行方不明とも、塔に籠って出てこないとも噂されていた。
***
──そのセイレーン・アレクシスは、実はタルールにいて、タルールの毒を暴いた、というわけか……。
マクシムは、フムとうなずき、『あとひとつ確認したい』と言った。
『……では、セイレーン・アレクシス王子は、セルゲイ殿下の助手だったアレクセイと同一人物なのか?』
『恐らくは……』
ウィリバートは、苛々としながら説明を続けた。
『とにかく、私はアレクシス様に言われた「帝国の星の塔」の起動に取りかからなくてはなりません』
『「帝国の星の塔」を起動? それはどういうことだ?』
ジーラント人にとって「星の塔」は、翼竜騎乗時に、遠方から帝都ドラゴグラードを目指す時の目印でしかない。
『「星の塔」は、古代エアデーン人の遺した最大の遺産です。今の帝国の塔は、ただ建っているだけ。もし起動できれば何かが起きると、アレクシス様はお考えなのでしょう』
マクシムは、大それたことを企んでいる王国人を訝しんで睨んだ。
『そんな、帝国領内にある塔を、王国人が勝手に弄ることは許されぬ』
『「星の制御者:セイレーン」がお決めになったことに逆らうことこそ、許されません』
ピシャリと言い放つウィリバートに、マクシムは唸るしかない。
ジーラント人の遺伝子に組み込まれた暗示支配のプログラムは、セイレーンの命令に背けるようには、出来ていないのだ。
『数百年放置されていた塔です。そもそも起動できる状態にあるか、まだ現場確認が出来ていないので、何とも言えません。早く私を自由にして下さい。私は王国人。夏の間しか帝国で活動出来ません。時間は限られているのです』
ウィリバートは苛々を募らせ、マクシムにリゼットを顎で示した。
『私のことが信用出来ないのであれば、リゼット嬢を利用されると良い』
『利用? 人質と言うことか?』
急に話が振られたリゼットは、「……人質?」と驚いて呟く。
ウィリバートは、皮肉っぽい笑みを浮かべながら、その真意を説明した。
『人質、あるいは保護ですかな? 彼女はセイレーン・アレクシスの婚約者。リゼット嬢はもう王国に戻るらしいので、帝国に留め置くのです。彼女がいると分かれば、行方不明のアレクシス様は表舞台に姿を現すでしょう。そこでアレクシス様の目的を確認されると良い。塔を起動して、何をされようとしているのか……』
「ちょっと! ウィリバート様! そんな、勝手に……!」
という、リゼットの抗議の声は無視された。
『まぁ、貴殿方はジーラント人ですから、セイレーンの怒りを買わないように、リゼット嬢を丁重に扱われることをお勧めしますよ』
***
マクシムは、タルールにいたアレクシスが、セルゲイの助手アレクセイである確証を得るために、二人の王国人を呼び出した、……はずだった。
……得られたのは、彼が同一人物である以上の情報だった。
彼はセイレーン・アレクシスであり、そして今、帝国の「星の塔」を起動させようとしている。
そして、ウィリバートの提案は、マクシムを困惑させた。
ジーラント人を暗示支配で意のままに操る「星の制御者:セイレーン」。
セイレーンの婚約者を帝国に留め置いてまで、その意図を探る必要はあるのだろうか……。
セイレーンの怒りを買ったジーラント人に与えられるものは、「死」であるというのに……。
そこまで考えて、ふと目の前の娘の顔を見た。
──タルールにセイレーンがいたとするならば、暗示支配の影響を受けなかったのは、この娘だけ……。
マクシムはごくりと唾を飲み込み、こう言った。
『ではリゼット嬢は、こちらで大切にお預かりしよう』
『ちょっと待ってください! 私は……』
マクシムに抗議しようと動いたリゼットを、騎士二人が押さえ付けた。
マクシムはそんなリゼットには構わず、『ただし、レーン・ウィリバート殿』と続ける。
『貴殿には見張りを付けさせてもらう。おかしな真似をしたら、即刻取り押さえさせるから、そのおつもりで』
そう言うと、マクシムは部下に命じ、ウィリバートのロープを解き、送るよう命じた。
『帝国宰相閣下が、物分かりの良い方で助かります』
ウィリバートは戒めを解かれた手首をさすりながら、マクシムに帝国語でそう礼を言った。
ウィリバートは、取り押さえられたリゼットを見下ろすと、この場にいる他の者に分からない王国語で、
「お人好しで、騙されやすい、少々見た目が良いだけの、取り柄の無い娘。せいぜい、アレクシス様が現れるまで役に立って下さいね」
と言い残し、マクシムの部下に連れられて、宰相邸を出ていった。




