第81話 連行
雪崩事故の第一報からもうすぐ丸一日が経とうとしていた。
魔鉱省長官室の魔電報受信機が「リーン」と鳴って動作を開始したので、リゼットは慌ててオリガを起こしに、仮眠室に走った。
〔ナダレ ゼンインブジ〕
飛び起きたオリガと、受信機にぶら下がっている魔電報に書かれた文字を見て、抱き合って喜んだ。
オリガは、すぐさま皇帝オレーグへ報告に走った。
皇帝は、第一皇子セルゲイ、第二皇子イーゴリと食事中にその報告を受け、『そうか! 良かった!』と、安堵の溜め息を洩らした。
報告を終え、魔鉱省に戻るオリガを、セルゲイが走って追いかけて来た。
『オリガ! はぁはぁ、君は今からっ……、はぁ、リゼットと、どうするの?』
とセルゲイは、上がった息の中から尋ねた。
『せっかく遠く王国から会いに来てくれた彼女と過ごしたいので、午後からの業務と、明日は休ませてもらう予定です』
とオリガが答えると、セルゲイは呼吸を整えてから、
『ヴィクトルの無事も分かったし、今日僕は研究所に帰るけど、明日の朝少しだけ、リゼットと話す時間をくれないかな? 君たちの予定を邪魔しないように、なるべく朝早く行くから』
とオリガに頼み、オリガは了承した。
***
オリガは数時間しか寝てないはずだが、そこは体力のあるジーラント人だった。
ヴィクトルの無事が分かったので、元気を取り戻したオリガは、リゼットを巨大馬に乗せて、帝都ドラゴグラードを色々と案内した。
初夏の帝都は美しく、過ごしやすい街だった。
リゼットは、ジンシャーンの建物は「星の嵐」に耐えられるようにエドウィンが設計したと聞いていたので、本来のジーラント人の様式ではないのだろうと思っていた。
だが、こうして実際に帝都に来てみると、エドウィンは遠い異国でジーラント人が郷愁を感じないよう、配慮して設計していたのだと分かった。
赤い煉瓦に、白い煉瓦をアクセントにしたデザインの建物は、屋根の形こそ違うけれど、ジンシャーンの丘の上にあった高級住宅でよく見られたもので、初めて見るのにどこか懐かしかった。
カフェに入ってコーヒーを飲みながら、お互いの近況を話していたら、あっという間に時間は過ぎた。
リゼットとオリガは、セルゲイに言われたように、皇城の女子寮のゲストルームに二人で泊まった。
そして、眠りにつく瞬間まで、楽しい時を過ごした。
***
帝国宰相マクシム・グレゴヴィ・ナザロフも、雪崩に巻き込まれた第三皇子ヴィクトルの魔鉱脈開発部隊は、全員無事だったと言う報告を受けた。
──そう簡単には死なないか。あの皇子は、運だけは良さそうだからな。
フンと、マクシムは鼻白んだ。
それから間もなく、密偵から、セルゲイ皇子が連れていた王国人らしき少女についての報告があった。
セルゲイの使用人への聞き込みによると、娘は「リゼット」という名で呼ばれていた。
セルゲイは友人に会いに帝国に来たという彼女を送るために、今朝は珍しく早起きして外出した、ということだった。
ちなみに、リゼットと共に現れた王国人は、「ウィリバート・レーン・リギース」。こちらは苗字まで情報が上がっていた。
ウィリバートのほうは、セルゲイの研究所で今後しばらく生活するようで、以前いたセルゲイの助手のアレクセイの部屋に、今日から住むらしい。
セルゲイのところにいた「アレクセイ」という助手のことは、マクシムも聞いたことがあった。
非常に優秀な助手で、彼が来てからセルゲイは次々と研究成果を上げたのだと。
その報告では、彼は今はもう、セルゲイの元にはいないということらしい。
そこまで聞いて、マクシムは密偵を下がらせた。
イーゴリの部下は、セルゲイが王国人の少女を連れて、魔鉱省に入って行ったと報告してきた。
つまり珍しく朝早く起きたセルゲイは、普段寄り付かない皇城に、王国人の少女を連れて現れた。
友人に会いに来たという少女を、第一皇子自らが魔鉱省に案内した。
魔鉱省……。第三皇子ヴィクトルを訪ねて来たのならば、彼のタルール時代の友人と言うことだ。
──タルールにいた王国人……。
マクシムは、息子ミハイルに付けて、タルールに送り込み、現在は自身の部下に戻した者を呼び出した。
『タルールに「リゼット」という名の王国人の娘はいたか?』
『おりました、閣下。王国の大使で、タルール人との通訳をしておりましたロナルド・グレーンフィーンの娘、リゼット・グレーンフィーンです』
と答えた。
──やはり。マクシムの勘は当たっていた。
タルールで、「冤罪」により衰弱死したと発表されているロナルドの娘……。
『彼女は、魔鉱省に友人がいるらしいが……』
『それは、オリガ・ボルトゥノヴァ嬢のことでしょう。彼女は今、ヴィクトル殿下に取り立てられて、魔鉱省の秘書官ですから』
──なるほど。ヴィクトルをタルールで世話していたボルトゥノヴァ家の娘。
独身女性官吏は、皇城の女性宿舎で生活する者も多いから、直接職場へ来たという訳か……。
タルールでミハイルの護衛に当たっていた部下は、狭いかつての租界地の情報に精通していて、よく覚えていた。
『リゼット嬢は、ロナルドの娘として知られていましたが、ヴィクトル殿下の右腕とも頭脳とも言われていた王国人、アレクシス・レーン・レナードの婚約者としても知られていました。アレクシスは、ペールの競技場に集まった帝国人相手に、ヴィクトル殿下と共に、毒の詳細を説明し、撤退を説得した者です。そのアレクシスは帝国で行方不明になったと聞きましたから、恐らく探しに来たのではないでしょうか?』
そこまで聞いて、マクシムは部下を下がらせた。
──セルゲイのところにおり、今はいないという優秀な助手「アレクセイ」。
──タルールの毒を暴いたグレーンフィーンの娘の婚約者「アレクシス」。
その関係性は、はっきりさせておいた方が良いだろう。マクシムは別な部下を呼び出し、命じた。
『セルゲイ皇子の研究所にいる王国人ウィリバート・レーン・リギースと、魔鉱省秘書官オリガ・ボルトゥノヴァ嬢の元にいるリゼット・グレーンフィーンを捕らえよ。ただし、手荒な真似はするな。セルゲイ皇子や、オリガ嬢に怪しまれないようにな』
***
セルゲイの研究所で引っ越し作業を終えたウィリバートは、翌日、いよいよ塔へ向かった。
研究所からは歩いていけないこともない距離だが、塔に到着した時は汗をかいていた。
今日は下見を兼ねているので、荷物はないが、王国人が乗れる普通サイズの馬が帝国にいないのは不便だ。
充魔電設備の運搬などが必要な段階になったら、セルゲイ殿下に馬車を用意するよう頼まなくては……と考えていたところ、後ろから声をかけられた。
どうやら、後をつけられていたらしい。
『ウィリバート・レーン・リギース様ですね。我が主人が貴方にお会いしたいと申しております。ご同行願いたい』
屈強なジーラント人二人に、ひ弱な王国人神官であるウィリバートが敵う訳もなく、ウィリバートは素直に従った。
***
オリガと楽しい夜を過ごしたリゼットは、翌朝、女子寮のゲストルームをノックする音で目が覚めた。
扉を開けると、髪の毛をきちんと引っつめた騎士らしき女性が二人立っていた。
『リゼット・グレーンフィーン様ですね。セルゲイ殿下より、本日お出かけされる前に少しお話を伺いたいと。すぐに済むので、お連れするよう言付かって参りました』
予定を邪魔しないように、朝早くに話がしたいとは前日から聞いていたが、あまりにも早すぎるような気がした。
グレーンフィーンは今はミドルネームとして名乗っており、言われた名前も、養女になる以前のもので、セルゲイに教えたものではない。
少し不審に思ったが、研究者の時間の常識は違うのだろうし、リゼットの現在の苗字など、研究以外のことは、あまり興味がないのかもしれない、と思い直した。
リゼットは、
『分かりました。友人はまだ寝てるので、支度をする間、少し外で待ってもらえますか?』
と扉の外で待つよう、女性騎士らにお願いした。
オリガは、前日からの疲れもあるのか、まだベッドの中だ。
起きようとするオリガに、
『セルゲイ殿下、ちょっと朝早すぎるよね? だから、オリガはまだ寝ておいて。すぐ戻ってくるから……』
とリゼットは言って、出かける準備が整うと、『お待たせしました』と女性騎士に詫びて部屋をあとにした。
リゼットが出ていくと、オリガは今日のリゼットとの観光プランを頭の中で考えながら、ベッドの中で微睡んでいた。
再び、部屋をノックする音が聞こえて、オリガは目を覚ました。どうやら、二度寝していたらしい。
寝ぼけながら出てみると、女子寮の寮母が立っていた。
『オリガ様、寮の外でセルゲイ殿下がリゼット嬢とお話をしたいとお待ちです』
オリガは一瞬で目が覚めた。
──それでは早朝に、リゼットを迎えに来たのは誰だ?
リゼットは何者かに連れ出された、ということだけは分かった。




