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亡命王子は星を導く~運命の婚約者と祝福された結婚~  作者: 和田 モエコ
第二部 ジーラント【遠距離編】

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第76話 セルゲイ皇子

 馬車は帝都ドラゴグラード郊外にある、セルゲイ皇子の研究所前で止まった。二人は馬車を降り、敷地内を本館と呼べるような大きな建物を目指して歩いていた。

 研究所には他にも、畑や牧場、王国で見かけるような、細長い半円型の促成栽培用の農業プラントも設置されているのが見えた。

 

 ウィリバートの後ろを歩いていたリゼットの耳に、馬の大きな(いなな)きがふいに聞こえてきた。

 牧場の方向を見ると、そこに放されていた黒く美しい巨大馬(トゥルジェ)がこちらを見て興奮し、何度も高く長く嘶いている。

 

「……エリサ?」

 

 ウィリバートは、立ち止まったリゼットに文句を言おうと振り返ったが、彼女は真っ直ぐ牧場の方へ、だんだん小走りになって駆け寄っていった。

 

「エリサ!」

 

 リゼットは叫ぶと、高く伸ばした両手で、巨大馬の頬を挟んだ。巨大馬も尻尾を高く降り、頭を下げて、リゼットの顔にすり寄り、目をトロンとさせた。

  

 リゼットを追ってきたウィリバートは、異様にリゼットになついている巨大馬をじっと観察していた。リゼットは、ウィリバートが近づいてきたのに気付き、慌てて振り返って説明した。

 

「この子、エリサは、アレクシス様の巨大馬なんです」

「なぜそうだと分かる?」

 

 ウィリバートにしてみたら、巨大馬なんて、色は多少違えど、どれも同じに見える。

 

 

 その時、

 

「……天使だ。天使がいる」

 

 不思議なイントネーションの王国語を話す、背の高いジーラント人が、ウィリバートの後ろに現れた。

 

 手に苗の入ったコンテナを持ち、首にかけたタオルを服の中に、ズボンの裾を長靴の中に入れている。無造作に束ねた長い髪と、ぶ厚い眼鏡が、ただの農夫ではなく、研究所で働く者であることを主張していた。

 

 彼に気が付いたリゼットが、エリサから離れて帝国語で挨拶をした。

 

『勝手に入ってしまって申し訳ありません。私たちはエアデーン王国から参りました。こちらは王国神官のウィリバート・レーン・リギース様、わたくしは通訳のリゼット・グレーンフィーン・レイマーフォルスと申します』

 

 苗を抱えた青年は、『……リゼット』と彼女に見惚(みと)れながら、その名を口の中で繰り返した。

 ウィリバートは、コイツはヤバいやつだと察知し、さっさと本題を切り出した。

 

「私はタルールにいたアレクシス・レーン・レナード様を探しています。こちらのセルゲイ殿下の研究所におられると思うのですが、セルゲイ殿下にお話を伺いたい」

 

 青年は、先程も王国語で呟いていたように、王国語が分かるらしく返事をしようとしたが、リゼットがウィリバートの言葉を帝国語に訳し始めたので、それをうっとりと聞いていた。

 

 青年は、リゼットが訳し終わると、帝国語で

 

『僕がこの研究所の所長、セルゲイです。リゼット嬢』

 

 とキリッとした笑顔を浮かべて答え、苗の入ったコンテナを足元に置き、リゼットの手を両手で抱え込むように握った。

 

 リゼットが「えっ?」と当惑する間もなく、ウィリバートは二人の間に割り込み、セルゲイの手首ごと掴むと、無理やり自分の手の中に入れ、両手で握手をした。

 

「貴殿がセルゲイ殿下でしたか! 失礼致しました!」

 

 背の高いセルゲイを下から見上げ、ウィリバートは

 

「お目にかかれて嬉しい」

 

 と朗らかに挨拶するが、その目は笑っていない。リゼットは、ハラハラしながら訳した。

 

 ウィリバートはニコニコしながら、セルゲイに王国語で尋ねた。

 

「ところで、アレクシス様はどちらに?」


 

 ウィリバートの言葉を、リゼットはなるべく心を落ち着かせて帝国語に訳した。

 

『ところで、アレクシス様はどちらにおられますか?』

 

 リゼットはドキドキしていた。

 

 ──もうすぐ、もうすぐアレクシスに会える!

 

 

 だがセルゲイは、不思議そうな顔をして、

 

『……アレクシスと言う者は知らないな』

 

 と言った。リゼットは思わず

 

『えっ、エリサがここにいるのに?』

 

 と尋ねた。

 

『確かに、その巨大馬の名はエリサだけど、その馬の持ち主はアレクシスと言う者ではないよ』

 

 リゼットは、頭に疑問符がいくつも浮かんだが、とりあえず王国語に訳してウィリバートに伝えた。

 

 

 ウィリバートが

 

「ではその馬の持ち主は何と言うお名前なのです?」

 

 と尋ねたので、リゼットが訳すと、セルゲイはリゼットの目を見て答えた。

 

『アレクセイ・エイドヴィ・ルスラーン、僕の優秀な助手だよ。地質調査に出かけると言って、先月からは帰って来てないけどね』

 

 

 ……リゼットは、呆然としてしまった。

 エリサの持ち主は変わってしまっていた。セルゲイは、『アレクセイは、黒髪で、グレーレンズの眼鏡をかけている、まだ若い青年だ』と言った。

 ……アレクシスの髪は明るい金髪だ。

 

 リゼットがショックで訳さずにいると、

 

『リゼット嬢? 大丈夫? 訳さなくていいの?』

 

 とセルゲイが、その身を屈めてリゼットを覗きこんできたので、リゼットは慌てて王国語に訳して、ウィリバートに伝えた。

 ウィリバートは、さして驚きもせず、

 

「地質調査はいつまでかかると『アレクセイ』様はおっしゃっておられましたか?」

 

 と尋ねたのでリゼットは帝国語に訳した。セルゲイは『聞いてないな……』と答えた。リゼットはそれをまた王国語に訳した。

 

 

 そこで考え込んだウィリバートは、礼を言って研究所を辞そうとした。

 

「待って!」

 

 と思わず王国語で呼び止めたセルゲイは、咳払いをして

 

『せっかく遠路はるばるこんな研究所にまで来てくれたんだ。君たちの尋ね人はいなかったけど、お茶でも飲んでいかないか?』

 

 リゼットは戸惑ってウィリバートに訳して伝える。ウィリバートの頭の中で色々な葛藤があり、返答に窮していると、

 

『そうだ! そのアレクセイの使っていた部屋は魔電気設備が整っているんだ。王国人の君たちには、帝国の魔電気のない家は不便だろう? しばらく帰ってこないだろうから、どうかなリゼット、しばらく帝国にいるんなら……』

『助かります、セルゲイ殿下!』

 

 と、リゼットが訳してもないのに、ウィリバートがセルゲイの手を再び握り、ブンブンと振っていた。セルゲイは、『いや君じゃなくて……』とごにょごにょ呟いているが、ウィリバートは

 

『王国人には、魔電気のないホテルの部屋は本当に不便で、どうしようかと思っていたんです! セルゲイ殿下のご好意、感謝致します!』

 

 と帝国語で礼を述べている。

 リゼットはその様子をポカンと見ていたが、ハッと気づいた。

 

「……ウィリバート様、帝国語お分かりになるの?」

 

 ウィリバートはしれっと、

 

「通訳とは、貴女を連れてくる理由をでっち上げるのに使っただけだ。ちなみに、セルゲイ殿下も王国語がお分かりになるぞ」

 

 と答えたので、リゼットは二度ビックリした。セルゲイは、リゼットの目を見つめながら、

  

「君の声を聞きたくて……」

 

 と王国語で言ったので、リゼットはポッと赤くなってしまった。

 

「殿下、彼女は我らの探し人、アレクシス様の婚約者です。横恋慕は不毛ですぞ」

 

 とウィリバートが釘を刺し、セルゲイはみるみる落ち込んでいった。ウィリバートは苛つきながら

 

「貴女も男に甘い言葉を言われたぐらいで、すぐ赤くならないように!」

 

 とリゼットを叱った。

 

 

 ***

 

 

 研究所の応接室に通された二人は、お茶を飲みながら今後について話し合った。……もうリゼットの通訳も必要ない。

 

 ウィリバートは、帝国の「星の塔」について調査に来たと説明した。興味を抱いたセルゲイは、自分にも手伝わせて欲しいと頼んでいた。

 ウィリバートも、宿を借りるのだから仕方ない、作業を見ていても構わないとセルゲイに上から答えている。

 

 セルゲイは、アレクセイの使っていた部屋にウィリバートを案内し、部屋の鍵を渡した。

 アレクセイは半年ほど前に私物をすべて持ち出しており、面倒を見て欲しいと置いていったのは、巨大馬のエリサだけだそうだ。

 それからも時々、王国から自分が欲しいものをセルゲイの名で発注して取り寄せていたらしく、届いた頃にふらりと現れて引き取りに来ていたらしい。

 

 それもこの一ヶ月はなかったので、本格的に地質調査を開始したのだろう、とセルゲイは言った。

 

 ウィリバートは、明日から研究所のその部屋に住むことにしたらしい。研究所の方が「星の塔」に近くて便利だと喜んでいた。

 

 

 ウィリバートは、引き続き、セルゲイに「アレクセイ」の話をしつこく尋ねているが、リゼットは、窓の外のエリサが気になった。

 リゼットは、会えると思っていたアレクシスがここにはいなかったことと、アレクシスがエリサを手放していたことにショックを受けていた。

 

「リゼット、それで君はどうするの?」

 

 二人のやり取りを、ぼぉーっと聞いていたリゼットは、セルゲイに急に話を振られて、慌てて答えた。

 

「私は帝都の魔鉱省で働いているタルール時代の友人を訪ねてから、王国に帰ろうと思います」

「魔鉱省? 最近ヴィクトルが長官になったっていう?」

 

 皇城にあまり寄り付かないセルゲイも、自慢の弟ヴィクトルのことは気にかけていたので知っていた。

 

「ええ、そうです。オリガ・ボルトゥノヴァっていう……」

「ああ、ヴィクトルの乳兄弟の妹ね。連れていってあげようか?」

「えっ! いいんですか?」

「いいも悪いも、君みたいな可愛い小ウサギを、帝国の巨人の狼の巣に放り出すことは出来ないよ。僕は皇子だ。何処でも顔パスだよ?」

 

 と、セルゲイはリゼットに「明日の朝、ホテルに迎えに行くよ」と約束し、ウィンクをした。

 ウィリバートは、ポツリと「……巨人の狼の一人がよく言う」と呟いた。

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