第75話 不機嫌な神官
翌朝、各自で朝食と身支度を済ませたウィリバートとリゼットは、今回は同じ馬車に乗った。ウィリバートは、日雇いの御者に調べてきた住所を見せ、そこに向かわせた。
帝都ドラゴグラードの街中を進む馬車が何処に向かっているのか、ウィリバートが何も説明してくれないので、リゼットは思いきって尋ねてみた。
ウィリバートは口を開くのも嫌そうに
「セルゲイ第一皇子の研究所です」
と教えてくれた。
皇族に会いに行くなら、もっと相応しい格好をしてこなければいけなかったのでは? と思うくらいには、リゼットも王国でマナーを叩き込まれていた。リゼットもウィリバートも、至って普通の外出着だ。もっと早く教えて欲しかった、とリゼットは思った。
さらに何をしに行くのか尋ねると、ウィリバートは心底嫌そうに、胸ポケットから封筒を出し、中にある紙をリゼットに見せた。
「……ウィリバート、帝国の『星の塔』を起動させよ、アレクシス……。アレクシスって、アレクシス? あいたっ!」
リゼットは驚きのあまり、思わず腰を浮かしてしまい、馬車の天井に頭をぶつけてしまった。
「いたぁ~っ」
痛む頭頂部を押さえつつ、リゼットは興奮して思わず大きい声でウィリバートに尋ねた。
「セルゲイ皇子殿下の研究所に、アレクがいるってことなんですか?」
その質問に対し、ウィリバートは静かに言った。
「なぜ、セルゲイ殿下と私には敬称や敬語が使えて、アレクシス様には敬語が使えないのですか?」
「え?」
ウィリバートはキョトンとするリゼットを見て、ため息をついた。
「同じ『殿下』の場合、その序列は神から与えられた祝福が重要になります。ですので、セイレーン・アレクシス王子殿下、セルゲイ皇子殿下、私の順です。その様な常識もご存知無いのですね」
「……セイレーン・アレクシス……王子殿下?」
まだポカンとしているリゼットに、苛立ったウィリバートは
「は? 貴女は、そこからなのですか! アレクシス・セイレーン・セントレナード様は、エドウィン王子殿下のご子息! ご身分は王子、敬称は殿下です! 新王室典範になり、継承順位は公式には発表されていませんが……、現行法でも聖王位継承権は、本来ならば第一位のはずです! 貴女はそんなこともご存知ないのですか!」
と声を荒げて言うと、短いため息を吐き切った。
「……存じ……ませんでした。そう言えば、アレクシス……様は、『エアデーン語はセイレーンになってからダウンロードした』とかエドウィン様に伺いましたが、何のことか判らなくて……。タルールでは、『アレクシス・レーン・レナード』と名乗っていた、じゃなくて、おられたので……」
リゼットは青い顔をして呟いた。
──アレクシスは、エドウィンおじ様の息子だから、王族で王子様なのだとは思っていたけれど……。
アレクシスが「星の制御者:セイレーン」だなんて……。
「貴女は婚約者とされている方だと伺いましたが、ここまで何もご存知ないとは……。ああ、だから恐れ多くも、婚約を受け入れられたのでしょうね……」
と、ウィリバートは呆れ気味に言った。
そう言われて、リゼットは
「あ、もしかして、あのときの……」
と呟いた。
……いつかの夜会でダンス中に受け取った〈貴女はアレクシス様の婚約者だろう!〉と怒りのこもった思念。その発信者は……
「そうです、私です。私は思念通話は出来ないと思っていましたが、貴女はグレーンフィーンだけあって、受信感度はいいようですね。私は、アレクシス様がセルゲイ殿下のところにおられる可能性は高いと思っています。アレクシス様のご依頼内容は、私一人で完遂出来るような簡単なものではない。まずはアレクシス様にお会いしたいのです」
リゼットは、アレクシスの本名や身分に驚きすぎて、流してしまいそうだった突然の展開にパニックになった。
──今から向かう先にアレクシスがいる! もうすぐアレクシスに会える! エドウィンおじ様が、ウィリバート様の通訳に私を選んだ理由は、こういうことだったのね!
顔を手で押さえてギュッと目を閉じ、狭い車内でバタバタ悶えたいのを我慢する。
そして、パニックが収まったところで、指の隙間からブツブツ言っている神経質そうな神官を見た。
リゼットは、この目の前のウィリバートに、王都で婿探しの社交をする現場を見られている、ということに気が付いた。
「あの……、ウィリバート様、出来ればアレク、……アレクシス様には、夜会でご覧になったことは伏せて頂きたいのですが……」
「なぜ? 貴女はアレクシス様に言えないような、やましいことをされていたのですか?」
「そうではありませんが、私にも事情がありまして……。アレクシス様と婚約中であることは誰にも言えないのです。ですので、伯母に薦められるままに……」
そう。リゼットのような年頃の貴族の娘で、まだ婚約者がいない者は社交の場で婿探しをすることは、当然のことで、拒否することなどあり得ない。
それを聞いて、ウィリバートが「ふむ、それもそうだな」と言ったので、リゼットは分かってもらえたと思ってホッとした。
ウィリバートも、セイレーン・アレクシスの存在ごと無視しているような今の王国の状況では、エドウィンが言うように内密にしておくべきだろうと思った。
続けてリゼットが、
「アレク……シス様は、今の二人で馬車に乗っている状況も、たぶんお許しにならないかも……です。……ご迷惑をおかけしたらごめんなさい」
「は? 私のことをお許しにならない、だと? ここまで連れてきてやったのに?」
ウィリバートは憤慨した。リゼットはしおらしく頭を下げた。
「……すみません」
「なぜ貴女が謝る? 思い上がるのも大概にしたまえ!」
「すみませんっ!」
よりいっそう頭を下げるリゼットを、ウィリバートはフン! と睨んだ。
***
そんなやり取りを続ける二人の王国人を乗せた馬車は、帝都ドラゴグラードの街中を抜け、郊外の田園地帯に入っていった。
ウィリバートは
「アレクシス様は、タルールと同様にジーラント帝国でも『セイレーン』であることを隠しているはずです」
と言った。
……ジーラント人を暗示支配できるというセイレーンの祝福を警戒するジーラント人も多いだろう、と。
リゼットも、アレクシスが「セイレーン」だと言われると、確かに彼がジーラント人を実際に操っていたのを何度も見ているので、納得はできた。
「我々は、アレクシス様がタルールで名乗っていた『アレクシス・レーン・レナード』様を探しにきた、ということにしましょう。貴女もアレクシス様の本名は決して明かさないように」
とウィリバートはリゼットに念を押した。リゼットも「承知しました」と伝えた。
リゼットは、ウィリバートがリゼットの知らないアレクシスを知っているのだろうと思った。
ウィリバートも同じ事を考えたのか、切り出したのは、ウィリバートだった。
「……その、アレクシス様は、タルールでどのようにお過ごしだったのだ?」
「アレクシス……様は、ペールという帝国で流行りのスポーツを通じて、ヴィクトル殿下と親交を深められて……。帝国人のチームメイトの皆からも頼りにされて、慕われていました」
ウィリバートは、しばらく言葉もなくすほど驚いた。
──あの孤独で、棘のついた鎧を纏っていた孤高の少年が……。
「女の子たちにも大人気で、ヴィクトル殿下と二人で女の子たちの人気を二分してました」
──それはそうだろう。アレクシス様はまだ幼い少年時代から、近寄りがたいほどの美少年だった。
ウィリバートは、そんな彼に唯一近付ける存在である自分を、内心誇りに思っていたのに……。
「……なぜ貴女なんだ?」
「わかりません。私も不思議です。王国人女子が、私しかいなかったからかも……」
リゼットは、「気が付いたら『婚約したから』と言われた」と言って、笑った。
アレクシスとの思い出を、心に思い浮かべているのであろう。手を胸にあて、穏やかな微笑みを浮かべて窓の外を眺めるリゼットは、ウィリバートもドキリとするほど美しかった。
……そう一瞬でも思ってしまった自分にハッと気付いて、ウィリバートは慌ててリゼットから視線を外した。
なるほど、アレクシス様がこの二人きりの状況をお許しにならない、と言うのも少しは理解できたような気がした。




