第71話 デビュタント
衝動的に髪を切ってから一年後、子爵家のタウンハウスに移り住んでからも引き続き、リゼットを令嬢に仕立て上げるレッスンが続いていた。
毎日、高いヒールの靴を履いてダンスを特訓する。
肩や腰は痛くなり、膝はガクガクで、リゼットは疲労困憊だった。
タウンハウスに連れてきた犬のバロンの散歩は、もっぱら使用人の誰かにお願いしていた。
リゼットの社交界デビューの日取りは、エドウィンが手配して決めてくれた。
リゼットの今の身分は前子爵令嬢なので、本来は国王陛下にデビューの謁見が出来る身分ではないのだが、成人後は伯爵令嬢となるため、特別に陛下への謁見でデビューを飾ることが許された。
男児しかいない伯母のアンナは、これにことのほか喜び、張り切った。
***
リゼットは、伯母アンナとともに国王陛下に謁見するため王城にやって来た。
デビューする令嬢は一目で分かるように、白いイブニングドレスと白い羽飾りを着ける。
白いブーケを手にし、オペラグローブと呼ばれる長い手袋も白がお約束だ。
王都の娘たちの間で流行りのドレスはビスチェタイプだが、リゼットは肩がむき出しで寒そうだと思った。
タルールの亜熱帯育ちのリゼットには、春の王都はまだまだ寒く、本当はもっと布のあるものを選びたかったが、アンナにあまり流行から離れすぎてはいけないと言われた。
なので、肩紐の代わりに太めの繊細な白いレースで、華奢な肩を少しだけ隠すようなデザインの純白のイブニングドレスを選んだ。
あとは肘上まであるオペラグローブだけが頼りで、心もとなかった。
リゼットは、ようやく結い上げられる長さにまで伸びた髪の毛先を巻いて、ピンで固定し、白いベールのついた羽飾りを頭に着けていた。
小柄なのは相変わらずだが、体つきは女性らしくなり、ピンと伸びた姿勢、裾がふんわりと優しく広がった純白のドレスは、可愛らしく清楚なリゼットの魅力を存分に引き立てていた。
アンナは美しいリゼットを見て、ほぅとため息をつき、親友の亡きシャーロットを思い出し、瞳を潤ませた。
謁見の控えの間には、白い羽飾りを着け、白いドレスを纏った大勢の令嬢達が、付添人とともに集まっていた。
ドレスコードは間違いではないが、少し個性的なものになってしまったリゼットは、緊張した面持ちで伯母のアンナと名前が呼ばれるのを待っていた。
アンナも国王陛下への謁見は初めての栄誉らしく、リゼット以上に緊張していた。
「リゼット・グレーンフィーン・レイマーフォルス嬢」
名を読み上げられ、練習通り、リゼットは伯母のアンナを伴って入室する。
真っ直ぐ前を見ながら進みつつ、目の端に正装して一段と凛々しいエドウィンの姿を見つけて、その優しいまなざしに勇気をもらう。
オリヴァール国王陛下と、その若い妃イザベル王妃陛下の前に進み出て、片足を後ろに引き、膝を曲げ身を低くして淑女らしくお辞儀をした。
それで終わりのはずだった。
リゼットの前の令嬢、その前の令嬢もそうだったからだ。
膝を戻し、立ち去ろうとするリゼットに、オリヴァールがおもむろに声をかけた。
「グレーンフィーン……」
リゼットは突然の呼び掛けに、緊張して咄嗟に声が出ない。
「……あの者はどうしている?」
あの者が誰を指すのか、惚けて問いかけることなど許されない。
陛下が言う「あの者」とは、一人しかいない。
「……存じません」
リゼットは、震える小さな声で答え、国王は「……ふん」興味をなくす。
リゼットはもう一度お辞儀をして、伯母と謁見の間を後にした。
お喋りをしても許されるエリアに入ると、どっと緊張が取れたアンナが一気に捲し立てた。
「はぁー、緊張したわぁ。まさか陛下からお声掛けがあるなんてね。ねぇ、リゼット、陛下が仰った『あの者』って、一体誰のことなの? ……ってリゼッ、あなた、大丈夫?」
リゼットは、真っ青な顔をしていた。フラフラで今にも倒れそうだ。
「ちょっとリゼット、デビュタントのお披露目のダンスは今からなのに、倒れてはダメよ!」
と伯母のアンナが差し出した手にしがみつくように、リゼットは凭れかかった。
アンナは様子を見ていた衛兵の勧めで、リゼットを椅子に腰かけさせ、回復を待ったが、体の震えが止まらず、デビュタントのダンスに参加させるのを諦めた。
周囲の衛兵は、儚げに震える令嬢に見入っている。
その衛兵数名にお願いして、ダンスの辞退を伝えてもらうと、馬車を回してもらって、アンナはリゼットを連れ、タウンハウスに戻った。
その後リゼットは熱を出し、アンナはリゼットのデビュー後に誘われていた幾つかの夜会の主催者に、欠席を詫びる手紙を書かなければならなかった。
あれから、アンナは陛下が尋ねた「あの者」が誰なのかリゼットに何回か尋ねたが、その度にリゼットの表情が固くなり、思い詰めたように口を閉ざすので、もう聞くのをやめた。
***
リゼットは、これでもう確実に、自分にアレクシスという婚約者がいることを言い出せなくなった。
国王陛下から、強い不信、心底不愉快だという感情を受け止めた。
……それはアレクシスに対してのものか、「今どうしているか知らない」と答えたリゼットに対してのものかは分からない。
グレーンフィーンの祝福は、タルール人の思念を聞き取り、タルール人にリゼットの話す王国語を伝えるだけで、王国では全く役に立たないものだと思っていたが、そうではなかった。
「星の理解者:グレーンフィーン」の祝福は、相手の感情を感じ取ることも出来るとリゼットは自覚した。
タルール人の思念ほどはっきり分かるわけではないし、いつでも感じ取れる訳ではない。
ほんの気まぐれに、ただスッと相手の感情が流れてくる。
今までもその様なことが度々あった。ずっと気のせいだと思っていた。
アレクシスと出会った日に、急に涙が出たり、彼の深い愛情を感じ取って幸せな気分になったり、オリガのヴィクトルに対する複雑な気持ちとか、何となく分かる気がするのは、「空気を読む」程度のことで、皆が出来ることだと思っていた。
だが、明らかに違うものだと分かった。
さらに今回、気まぐれに受け止めた感情が、強烈な負の感情の場合、リゼットの気力や体力を削ぐらしいことも、分かってしまった。
──いつ発動するか分からない。厄介な祝福。
でも、これも私。付き合っていかなくては。
リゼットは髪を切った時に「前向きに生きる」と決めてからは、髪が伸びた今でもずっとそれを信条にしていた。
服の中にある指輪に、それを改めて誓った。




