第67話 失意の養女
第二章
父を亡くしてタルールから戻ってきたリゼットを、母方の伯父夫妻は優しく抱きしめ、受け入れた。
もともと母を早くに亡くしたリゼットを引き取って、不在がちな父の代わりに、十才まで育ててくれたのは、この伯父サミュエル・レーン・レイマーフォルスだった。
その妻アンナ・レイマーフォルスは、リゼットの亡き母シャーロットの親友だった縁でサミュエルと結婚したこともあり、リゼットは、二人にとって我が娘も同然だった。
サミュエルは二年前、息子に子爵位を譲っていた。引退した前子爵夫妻の現在の住まいは、子爵領内の高台にある小さな別荘だった。
エドウィンの言っていたように、確かに素敵なところだ。田舎暮らしが好きな二人にとっては理想的な住まいなのだろう。
伯母のアンナは「ここがあなたの部屋よ」と二階の奥の部屋のドアを開けた。
可愛らしいアンティーク風な机とベッド、小さな衣装箪笥が置かれている。ベッドにはアンナの手作りのパッチワークのキルトが被せられ、花柄の壁紙も上品で趣味が良い。
伯父夫妻は、リゼットのために、小さいながらも、落ち着く、愛情溢れる部屋を用意してくれていた。
だが、この別荘はこの時代にあっても質素過ぎるものだった。
この家には王国人なら当たり前に使う魔電気が通っていなかった。なので、夜はランプの明かりで過ごす。
また、当たり前にある水道もなく、井戸水を手押しのポンプで汲み上げる。風呂はなく、週に一度お湯を沸かし、各自の部屋でたらいで身体を洗う。
トイレは寒い家の外だ。もちろん水洗などではない。
ジンシャーンで、古代エアデーン人がそれぞれのプライベートスペースとして使っていたバス・トイレ付きの部屋を、一人でゆったり使い、毎日お風呂に入っていたリゼットには、厳しい環境だった。
リゼットの趣味である音楽が続けられるように、エドウィンが鍵盤楽器のクラヴィアを用意すると言ってくれていたが、置き場がなく断った。
リゼットはこの不便さに戸惑い、落ち込み、涙したが、良くしてくれる伯父夫妻にそれを言うことは出来なかった。
塞ぎ込み、ずっと部屋から出たくはなかったが、トイレは家の外に行かなければならない。
アンナが大きな鍋のような容器を持ってきて、便器代わりに使うかと優しく尋ねたくれたが、そんなものを部屋の中に置いておく方が嫌だったので、丁重にお断りした。
犬のバロンだけが、リゼットがずっと自分と過ごしてくれることを喜んだ。
それでも、毎日の「散歩に連れて行ってアピール」は激しく、バロンが居なければ、ずっと別荘の外に出かけることはなかったかもしれない。
伯父も伯母もリゼットに元気がないのは、父親を亡くしたからと思い、そっとしておいてくれていた。それは大変ありがたかったし、心の中では感謝もした。
だが実際のところ、この生活環境の変化が一番リゼットを打ちのめした。
リゼットが幼少期を過ごした子爵家本邸には、ちゃんと魔電気だって来ていたし、水道だって、お風呂だってあった。トイレは水洗で、外ではなかった。
本邸に引き取られたら良かったのだが、本邸では伯父サミュエルから爵位を譲り受け、最近結婚した従兄ベンジャミンとそのお嫁さんが暮らしている。もちろんそこにはリゼットの居場所なんてなかった。
だから父親を亡くして行き場のないリゼットは、ここにいるしかない。
どうして、ここにいるしかないかと言えば、父親を亡くしたからだ。
やはりそこに行き着いてしまい、亡くした父ロナルドを思い出し、リゼットは泣くしかなかった。
***
リゼットは、アレクシスにもらった緑の綺麗な石のついた婚約指輪に、スーとンケイラからもらった組紐を通して、首からかけていた。
一度この指輪をぼぉーっと眺めている所をアンナに見つかってしまったことがあった。
生来お喋り好きで、明るいアンナに
「まぁ、指輪? リゼ、どなたかから頂いたの?」
と目に星マークをキラキラと浮かべて尋ねられたので、サッと服の下に隠した。そしてつい、
「あっ、あのこれは、その……お父様が持っていたお母様の形見なの……」
と嘘をついてしまった。
「まぁ、そうなの……」
アンナは、それは浮かれた話ではなく、そっとしておかねばならない事だったと悟り、リゼットは嘘をついて誤魔化したことを、心の中で謝った。
アレクシスと婚約していることは、エドウィンからは黙っておく方が良いと言われた。詳しくは教えてもらえなかったが、王族にも色々あるのだそうだ。
でも今はそれよりも、アレクシスとのことは、まだ自分の中に閉じ込めておきたい、誰にも話したくない、大事な宝物のような気持ちだった。
だから、何となく、アンナに打ち明けることが出来なかっただけだった。
リゼットは、服の下に隠すように着けている指輪を取り出した。
今思えば、スーはアレクシスがこの指輪を用意しているのを知っていたんだと思う。だから、〈おマモりはアレクシスさまにオネダリしてください〉と言っていたんだろう。
ンケイラも、やたらリゼットの体のサイズを知りたがっていたことがあった。その時に一緒に測ったから、この指輪のサイズは、リゼットの左薬指にピッタリなんだろう。
──綺麗な緑色。
初めてキスしたタルールの森の色。
アレクシスの瞳の色。
ジーラント帝国に一人で渡っていったアレクシス……。
アレクシスは、何だかんだ言って、すごく真面目で、責任感の強い人だ、とリゼットは思う。
──ジーラント人がタルールから撤退しなきゃいけなくなったのは、毒のせいなのに、アレクシスは責任を感じて、農家を継ぐ仲間のためにも、食料問題を解決しようと頑張っているんだわ……。
それとも、これが王族のノブレス・オブリージュというものなのかも……。
そんなアレクシスに、三年で迎えに来て欲しいと無理を言ったのは、リゼットだ。
オリガに手紙を書いたら、その返事に、アレクシスは行方不明になった、と書いてあった。
アレクシスは宣言通り、行方を眩ませてしまったようだった。
オリガは騎士試験を目指して特訓中らしい。
ジーラント人は、男女の体力差が少ないせいか、エアデーン人よりも仕事を持ち、活躍している女性が多そうだ。
ヴィクトル殿下は春からプロのペール選手となる契約をして、プロチームとすでに合流している、とオリガからの手紙にはあった。
ふと、アレクシスはお別れに婚約指輪を用意してくれたのに、リゼットは彼に何も渡していないことに気付いた。
何も知らせてくれなかったので、こんな風に別れると思っていなかったし、父を亡くして家に着いてからのことは、あまり記憶がないほど落ち込んでいたので、仕方がないけど……。
──アレクシスは、私のことを何を見て思い出してくれているのかな……。寝ている間に髪の毛でも切って、持っていってくれてたらいいんだけど……。
と、リゼットは自分の髪を触ってみた。
残念ながら、どこにも不自然に短くなった部分はなかった。
ジンシャーンにいた頃は、ンケイラが綺麗に梳いて、可愛らしく結ってくれた、腰まである柔らかく長い金の髪。
今ではたらいに汲んだお湯で自分で洗い、乾かさなければならない。結構大変な作業だ。綺麗にした髪を可愛く結って、可愛いと思ってもらいたい人もいないのに……。
リゼットは良いことを思いついた。
──髪を切ろう!
もう今を嘆いて、泣いて過ごすのをやめよう!
タルールにいたみんなは、それぞれ前を向いて、活動を始めている!
エドウィンおじ様と約束した帝国語の勉強を再開しよう!
ずっと一人で乗れるようになりたかった、乗馬をやってみよう!
馬に乗って、グレーンフィーンの屋敷や、海を見に行こう!
そして、夏になったら、帝国にいるアレクシスに会いに行ってビックリさせたい!
リゼットは、長い髪の毛を根本で縛ってから三つ編みにすると、その根本に裁縫用の大きなハサミをあて、思いきり良くザクッと切り落とした。




