第66話 翼竜の谷
宣告通り、イワンの訓練は厳しかった。
特にアレクシスはこの半年、セルゲイの研究所にいてまともな運動をしてこなかったので、初日は何をやっても最後尾で、一番時間がかかり、イワンも
『モタモタすんじゃねぇ!』
と何度もアレクシスを叱咤した。
それでも何とか皆と同じ訓練メニューをこなし、体を引きずりながら宿舎に戻った。
セルゲイを使って王国から取り寄せておいた疲労回復剤がなかったら、翌日は起き上がれなかったかもしれない。
だがこの厳しい訓練に付いていき、肉体を鍛えなければ、新しい魔鉱脈にはたどり着けない。
星を周回する神々の遺物「星の衛星」からの信号で現在の正確な位置情報を知り、目指す魔鉱脈の位置を確認出来るのは、「神の石」を視ることの出来るアレクシスだけだ。
アレクシスが現在の正確な位置情報と照らし合わせながら、気泡六分儀を用いた現在地の把握の仕方を教え、目標座標までの航行を、開発部隊だけで行えるようにしなければならない……。
訓練を始めた当初は、そんな使命感がアレクシスのモチベーションだったが、最近ではそのようなことはどうでも良くなっていた。
……何も考えず、ただひたすら、黙々と体を動かす。
重い装備品を背負ったままの長距離走、階段ダッシュ、クライミング……。
イワンは、自身も隊員たちと同じ訓練メニューをこなしながら、いつもの大音量で隊員たちを励ましたり、煽ったり、叱り飛ばしたりしていた。
……息も絶え絶えなアレクシスからすれば、信じられない強靭さだった。
だがそんなアレクシスも、厳しい訓練メニューにだんだんと体が付いてくるようになってきた。今では疲労回復剤に頼らなくとも、一晩寝れば回復するようになってきた。
久しく鍛えていなかったアレクシスの中のジーラント人としての身体機能が、目覚めてきたのかもしれなかった。
それを見て、イワンは隊員たちの訓練メニューの負荷を上げたが、そうなっても付いていけるようになってきた。
ヴィクトルも最初はいちいち愚痴っぽかったが、最近では黙々と訓練をこなしており、
『やべぇ、俺もう何も考えらんねぇ。俺も脳筋になっちまったかも?』
と笑っていた。
***
そうした一日の業務と訓練を終え、アレクシスは特別に用意させた魔電気設備付きの宿舎に帰ると、充魔電台から「神の石」を取り出した。
「神の石」の充魔電は、魔鉱脈探しの遠征に出たら、ベースキャンプを開設するまで途中ですることが出来ない。
雪山に必要な知識、帝都との連絡方法、特に危険な雪崩対策など、古代エアデーン人が持つ必要な情報をアレクシスの拡張脳内に転記させておき、現地での「神の石」の使用は必要最小限にする必要があった。
アレクシスは「神の石」で古代エアデーン人がF5地区と割り振っていた地図の一部分を開いた。昨日はF4地区だった。
現在は帝国領であるこの一画を、自身の脳内に転記する。
転記後、脳内で地図の拡大、縮小が行えるかどうか試した。
どれだけ体がきつくても、アレクシスは毎晩「神の石」にある情報を、少しずつ転記する作業を繰り返してきた。
古代エアデーン人たちがこの地図を作成してから年月がたち、地形も変わってしまっているだろうが、無いよりはましな情報だ。
──大丈夫、俺はまだ脳筋にはなってない。
アレクシスは「神の石」を起動画面に戻した。
アレクシスにしか見えない「神の石」のその画面は、内蔵のカメラ機能で隠し撮りしたリゼットを写している。
画面の中の彼女は、犬のバロンを抱いて幸せそうに笑っている。
毎日眺めている画面だが、今日はそんな馬鹿げたことを考える自分を、リゼットが笑っているように見えた。
この「神の石」が写し出すリゼットは、もうずっとアレクシスの心を支えていた。
──必ず魔鉱脈を見つけて、迎えに行くから……。
アレクシスは心の中で彼女に伝えた。
***
アレクシスが通常訓練を一通り終え、他の隊員と同程度の体力をつけた頃、イワンはアレクシスを「翼竜の谷」へ連れていくと言った。
イワンは自身の黒い大きな雄翼竜の「クロ」にアレクシスを乗せ、帝都から真北に飛び立った。
帝都から八十クローム(km)飛んだ辺り、見渡す限りの大森林を越えると、高い二つの山に挟まれた翼竜の聖地、「翼竜の谷」が現れた。
深い緑に覆われる谷の底には、細い川が流れている。
谷の左右に広がる山裾はなだらかで緑に覆われているが、その勾配はだんだんと急になる。標高が高くなるにつれ緑は消え、岩肌が覗き、その岩肌もやがて白い雪で覆わてゆく。
上空には雲が立ち込め、その山頂は見えず、山の高さは目で測ることが出来なかった。
美しく幻想的な風景を眼下に収めながら、アレクシスを乗せたイワンの翼竜は、雲の下をゆっくりと飛んだ。
『それでどうやって翼竜を捕まえるんだ?』
『まぁ、飛んでりゃ分かる』
イワンはアレクシスの問いに答えなかった。しばらく進むと、二人に気が付いた翼竜が、森から飛び立ち、近づいては離れ、また別な翼竜が近づいては離れていく。
『翼竜は、好奇心旺盛だ。それに賢い。谷にやって来た人間が、害をなす者か、自分のパートナーになれる者か、少し近づいただけで分かる。ま、ただ俺に挨拶しに来ている翼竜もいるだろうけどな!』
そう言ってイワンはガハハと笑った。
イワンによると、野生の翼竜が一度主を選ぶと、生涯のパートナーになるらしい。だから、翼竜も訪れた人間との相性を慎重に見極めるそうだ。
そうしている間にも、翼竜たちは、次から次へとアレクシスたちの前に現れた。
まるで、翼竜の巣の中に紛れ込んだようだった。
その時突然、アレクシスは強烈な思念を強制受信させられた。
〈御主人様~! 御主人様~!〉
見ると後ろから白い翼竜が猛スピードで近づいてきた。クロの隣に並ぶと上へ下へ興奮状態で飛び回った。
『おぅ~! 姫じゃねーか!』
『姫?』
『そうだ。そいつは額に角が生えているだろう? そういう翼竜は特別な力があるらしい。だが特に主を選ぶらしく、俺たちのパートナーにはならない。孤高の王者の翼竜だ。それに珍しい白い個体。美人の若い雌竜ってことで「姫」って呼んでたんだが、まさかお前が姫に選ばれるとはな~!』
イワンは再びガハハと笑うと、着陸場所を探した。「姫」も付いてくる。
アレクシスは「姫」に思念通話で話しかけた。
〈俺の思念は聞こえるか?〉
〈ええ! もちろん!〉
「姫」は興奮した思念を送ってきた。タルール人といい、翼竜といい、この星の高等原住生物のコミュニケーション方法は、「思念」によるものになるらしい。
イワンは翼竜クロを谷の川縁に着陸させると、「姫」もそのそばに降り立った。
アレクシスは、自身をクロに結びつけていた固定具を外して「姫」に近づき、手を伸ばした。
「姫」は嬉しそうにその手に額を寄せてきた。
〈よろしく、姫〉
〈御主人様、姫は嫌でございますわ。ちゃんと名付けて頂きとうございます!〉
アレクシスは困った。そんなことを急に言われても、思い付かない。
が、ふと頭に浮かんだのは、巨大馬に「エリサ」と名付けたのは、「リゼット」と同じ「エリザベス」の愛称だからで……。
「エリザベス」の帝国風の名前は「エリザヴェート」。愛称は……
〈……ヴェータ〉
〈ヴェータ? ヴェータ! よい名前ですわ! 御主人様のつがい様と同じなのですね!〉
〈なっ! お前はそんなことまで分かるのか!〉
ヴェータは、発声器官からキュルキュルと楽しげな音を出す。
〈ウフフ~! わたくしにも御主人様が出来ましたわ。嬉しゅうございます〉
どうやら、ヴェータはアレクシスが思念に載せなかったことまで読み取る力があるらしい。気を付けねば……。
『お、契約成立って感じか? アレク、持ってきた鞍着けて帰るぞ』
イワンにそう言われて、アレクシスはヴェータに鞍をくくりつけ、その背に乗り、さらに自分の体をヴェータに固定した。
アレクシスは初めての単独騎乗にも関わらず、安定してヴェータの背に乗ることが出来た。
これはアレクシスが鍛えた結果と言うより、ヴェータの主人思いの飛行能力のお陰だろう。
二頭の翼竜は、背にそれぞれの主を乗せ大空へ再び舞い上がり、帝都目指して飛び立った。
***
帝都へ戻りながら、ヴェータは翼竜についてアレクシスに説明した。
翼竜がジーラント人を乗せて空を飛ぶのは、翼竜がジーラント人のことを主人であると同時に、守るべき子どものように捉えてしまうかららしい。
翼竜は発話に適した発声器官もなく、思念通話も出来ないため、仲間同士でも複雑な会話こそ出来ないが、ジーラント人の言葉を覚えられるので、ジーラント人ともコミュニケーションが取れるのだそうだ。
角の生えた上位翼竜種である角翼竜は、そのような翼竜の特徴に加えて、他種族と思念通話でコミュニケーションが取れるらしい。
〈さらに、わたくしのように、代々の角翼竜の持つ記憶を受け継いで生まれる竜もおりますのよ〉
〈生まれながらに、記憶を持つのか! タルール人よりも角翼竜の方が高等生物なんだな!〉
〈ふふ。思い出すには「きっかけ」が必要なのですけど、あなた方のご先祖のことも存じておりますわよ~〉
ヴェータから得意気な思念が伝わる。
〈ですから、わたくしたち角翼竜は、御主人様は思念通話の使い手の方に限らせて頂いているんですの。会話を楽しませて頂きたいですからね! ……もう昔と違うので、そんな方には出会えないと思って生きておりましたわ!〉
ヴェータはアレクシスとの出会いを奇跡のように感じて喜んでいた。
アレクシスもこの星の過去を知るヴェータとの出会いが、アレクシスの運命を大きく変えてくれる気がしていた。
***
そうして全員が翼竜乗りとなった魔鉱省の魔鉱脈開発部隊は、夏山と雪山で野営訓練も数回経験した。
そしてその翌年の春、新たな魔鉱脈を求めて旅立っていった。
角翼竜にフリガナ名を追記しました。




