第59話 別れ
アレクシスは、静かに涙を流すリゼットの左手を、そっと取った。
そして、その薬指に深緑色に輝く石のついた指輪をはめた。
スーが昨日〈まにあってよかった!〉と渡してくれた。
ンケイラの頑張りのお陰で、サイズもぴったりに仕上がっている。
リゼットは、寝台から起き上がり、自分の左手を見た。
〈タルール人は求婚の時に、自分でタルールの森の川辺で石を見つけるんだそうだ。そしてそれを相手が身に着けてくれたら、それで結婚したことになるらしい〉
アレクシスは床に跪き、リゼットの左手を取った。
〈これは俺が見つけた石だ。俺がタルールの森で、リゼのことを考えながら探した。タルールの森のように深い緑色で美しく、透明で、綺麗だと思った。……本当は宝石じゃなくて、ただのガラス玉かもしれない。でも、一発で見つけた。俺に見つかるのを待ってたみたいに。だからこれを婚約指輪にしようと思った。俺の瞳と同じ色。遠く離れていても俺のことを忘れないでいて欲しいから……〉
アレクシスはリゼットの左手に恭しくキスをした。
〈三年だな。三年以内に帝国の農作物の品種改良や土壌改良、……食料問題に一定の成果を出して、必ず迎えに行く。俺にとってリゼは特別だ。代わりは誰もいない。もしその時に相手がいても奪うから……。だから、出来れば大人しく待っていて欲しい〉
リゼットの目に再び涙が溢れる。アレクシスはそんなリゼットを抱き締める。
「泣くな不細工、って言うんでしょ?」
〈どんな不細工でもリゼだ。諦める。〉
アレクシスは意地悪モードの進化系、甘辛モードで攻めてきた。リゼットは半べそ半笑いで、鼻をすすった。
上手い返しの言葉が見つからず、言い返すのを諦めて、素直になることにした。
「……ありがとう、大事にするね」
〈男避けにずっと着けといてくれ〉
「それは無理!」
とリゼットはアレクシスを突き放した。
〈何で!〉
アレクシスは憤る。
「普段から着けれるわけないでしょ? 無くしたら困るし。大事にしまっとく」
〈それじゃ意味ない!〉
アレクシスはまだ見ぬ相手に嫉妬モードだ。……だがここで喧嘩になりたくない。
再びリゼットは素直になることにした。
「意味はあるよ。プロポーズの言葉も、婚約指輪も今までずっとなかったもの。ありがとう。嬉しい。大事にするから……」
リゼットはお礼に、跪いたままのアレクシスの唇に、チュッとキスをした。
……初めてのリゼットからのキス。
リゼットは、照れ臭さに「へへっ」と笑ってみたけれど、その不器用な笑顔は、また「不細工」と言われるかもと身構えた。
だが、寝台に押し倒されたリゼットは、アレクシスから十倍返しぐらいのキスを返されて、クッタリさせられてしまった。
……目に当てていたタオルは、冷やし直したものに交換されていた。
***
翌日夕方、タルール・シェグファ藩国のシーグーの港を出港した最後の引き揚げ船は、ヴォリアーシャ地方グレーンフィーン領の小さな港に到着した。
ヴィクトルは、ここで降りるアレクシスの父、エドウィンと握手をし、アレクシスを頼むと言われ、承知しましたと伝えた。
次に見送るリゼットだが、彼女はオリガと話し込んでいて、待たされた。
リゼットは昨晩、オリガと同じ船室で過ごしていた。話ならばその時にもさんざんしただろうに……。
やっとオリガとの別れの挨拶が終わったらしく、ヴィクトルはリゼットと握手し、別れの挨拶を受けた。
『殿下、色々お世話になりました。お元気で。アレクシスが無理しないように、見張ってて下さい。ちゃんと食べて運動するように、たまにはペールに誘ってやってくださいね』
ヴィクトルは、そんな母親みたいなことはする気は無かったが、曖昧に頷いておいた。
そして、リゼットはヴィクトルのそばに近寄って小声でこう言った。
『あと、オリガは浮気者は嫌いですから、女の子を取っ替え引っ替えするのは、そろそろやめてあげて下さいねっ!』
ヴィクトルは自分のことを「浮気者」と思ったことはなく、オリガがそんな風に自分のことを思い、それで嫌っているのだと初めて知った。
驚きで目を丸くし、返事もできなかった。
リゼットはアレクシスには、言葉をかけず、抱擁すらせず、にっこり笑って、指で三を示した。
アレクシスもリゼットに、ブスッとした顔で、指で三を示し返した。
ヴィクトルは、今までのリゼットの様子から、アレクシスとの別れは涙ボッタボタの別れになると想像していたが、アレクシスはともかく、リゼットは晴れやかな顔をしていた。
『なんだその三って?』
ヴィクトルは不思議に思って尋ねた。アレクシスは不機嫌そうに、
『三年以内に迎えに来いってさ。じゃないと婿を取るそうだ』
『うひゃあ、すごいプレッシャーかけられたなぁ!』
ヴィクトルがニヤニヤと笑うと、アレクシスもニヤリとして、
『それよりお前、オリガとどうにかなりたかったのか?』
『う、うるさい!』
ヴィクトルは藪をつついて、蛇を出してしまったようだった。
***
リゼットは、腕に犬のバロンを抱き、エドウィンとともにタラップを降りて下船した。
アレクシスは下船したリゼットを、甲板の上から見ていた。
リゼットも振り返り、アレクシスを見上げた。
そうしているうちに、リゼットの荷物はすべて降ろされたようだ。出港の汽笛が鳴る。
二人は、お互いに微動だにせず、じっと見つめ合った。リゼットは泣かないと決めていた。歯を食い縛る。
……船が動き出し、二人の距離が遠ざかって行く。
〈わたし、まってるから! ずっとずっとまってるから! ……はやくむかえにきて……〉
ずっと強がってみせていたが、リゼットだって、アレクシスは特別で、他の誰も代わりにはなれそうになかった。
瞬きと同時にポロリと一粒、涙が頬を伝った。
リゼットのあまり得意ではない思念通話を、アレクシスはきちんと拾ってくれた。
〈俺は、ジーラントで行方不明になる予定だ。でも、ちゃんと生きてるから!〉
最後の最後にアレクシスは爆弾を落とした。
──行方不明になる予定って、どういうこと? 連絡が取れなくなるってこと?
驚いているリゼットが、遠ざかる船から受信出来るアレクシスの思念は、途切れ途切れで……。
〈だ……ら、待っ……い……欲し……。かな……ずむ……え…………〉
やがて船は、小さく見えなくなり、リゼットはその肩に温かい大きな手が置かれるのを感じた。
同じく帝国に渡っていく息子を見送った、エドウィンの手だった。
リゼットは、腕の中の犬のバロンを抱き締めた。
タルールにいたリゼットのことを知っているのは、この暖かい小さな犬だけになってしまった。
エアデーン王国の南の外れ、夕闇迫るグレーンフィーン領の港に、冷たい冬の海の風が吹きつけていた。
***
エドウィンは自身を後見人として、リゼットの相続手続きを終え、王都に帰っていった。
リゼットは正式に、母方の伯父夫妻の養女となり、リゼット・グレーンフィーン・レイマーフォルスと名乗るようになった。
リゼット十五才の冬のことだった。
【第一部 完】
ここまで読んで下さってありがとうございました。
第一部あとがきは活動報告に書かせて頂きました。
第二部も引き続きよろしくお願い致します~
ヽ(´▽`)/




