第53話 混乱
アレクシスと別れたヴィクトルは、広間から続く王の間の扉を開けた。
その部屋の奥、一段高いところにある玉座に、ミハイルがいた。
タルール人が座る玉座は小さく、ミハイルは玉座の背もたれに腰掛け、背を装飾された壁に預け、肘掛けに足を置いていた。
ヴィクトルの姿を認めると、ミハイルの残された部下は、一斉にミハイルとヴィクトルの間に立ち塞がった。
『フン、撤退でお忙しい殿下に、わざわざこんなところまでご足労頂くとは……』
ミハイルは、その座り辛い玉座から下りてヴィクトルを見据えた。
自分の私兵がヴィクトルを護衛していることに舌打ちする。
『……私の私兵はどうやら教育が甘かったらしいな』
ヴィクトルはそれには答えず、
『ミハイル! お前は撤退命令に従わず、ロナルドを牢に入れて、ここで何をする気だ!』
『……タルールの毒を制する者は、世界を征す。殿下には出来ないことですよ』
ミハイルはニヤリと笑って、平然と答えた。
『何? それはいったいどういうことだ!』
と、ヴィクトルがさらにミハイルを問い詰めようとした時、壁の一部がガタガタ動き、隠し扉が開いた。
そこから、手に独特な槍を持ったタルール人兵士が次々と王の間に現れた。
反対側の壁の一部も揺れて動き、同じくタルール人兵士が続々と王の間に入ってくる。
彼らは、数歩ごとにスキップするような、一定のリズムと足取りで、王の間の周囲に広がっていった。
ミハイルは『ほぅ』と、その様子を興味深げに眺め、ヴィクトルは後から後から湧いてくる兵士の数に驚いていた。
そして王の間をぐるりとタルール人兵士が固めたところで、真打ちらしき、派手な服装のタルール人が現れた。
ジーラント人には皆同じに見えるタルール人だが、派手な服装は王族の印だ。
『これはサファル王、姿が見えないと思ったら……。これは何の真似ですかな?』
そうミハイルが問いかけたので、ヴィクトルにも、この派手なタルール人はタルール・シェグファ藩国王サファル・ラム・シェグファだと分かった。
サファルは部下に目を合わせると、部下は隠し扉から何かを運んできて、大勢で取り囲んだ。
ペチペチという音がした後、「うぅ……」という呻き声を上げた人物の両脇を抱え、無理矢理立ち上がらせた。
『リゼット!』
ヴィクトルは目を見張った。ジンシャーンで、オリガとともに留守番しているはずなのに! 何故?
『ヴィ、ヴィクトル殿下……』
リゼットの方も状況が掴めず動揺している。
チラリとリゼットの方を振り返ったサファル王は、リゼットに伝えた。
〈ロナルドのムスメ、ジーラントジンに、タルールからデていけとツタえるのだ!〉
リゼットはまだ状況が分からなかった。
……タルール人の玉座のある壇上から下り、近づいてくる壮年のジーラント人の男性が、帝国総督のミハイル様だろうか……。
……だが、怖くて声が出ない。
〈ハヤくツタえよ!〉
『……あの』
焦るサファルの思念に押されて、リゼットが口を開きかけた時、ミハイルはリゼットの顎を掴んで上を向かせ
『お前は誰だ?』
と問いかけた。
『総督閣下……。父は、父は何故、牢に……』
リゼットは、質問に質問で答えたが、それは間接的にミハイルの質問の答えとなった。
『ほぅ、ではお前がロナルドの娘か。ふむ、そうだな、壮大な計画の前に、さんざん邪魔をしてくれた皇子を始末しておこうか……。タルール人の王、サファルに伝えよ。そこにいるヴィクトル皇子を殺せと』
これにヴィクトル本人が反応して、
『は? ふざけるな、ミハイル!』
と、ミハイルに噛みついた。
サファルはサファルで、そのやり取りが当然通じておらず、
〈ツタえたか? して、なんとイっておるのじゃ?〉
とリゼットに尋ねてきた。
リゼットは両方から色々いっぺんに言われて混乱した。
だが、サファル王に「ヴィクトル皇子を殺せ」だなんて、そんなことは絶対伝えられない。
『サファル陛下は、ジーラント帝国人に出ていってほしいと言っています』
リゼットは、とりあえずサファルの言葉だけを訳して伝えた。
『おう、出ていってやるさ。ヴィクトルを始末出来たらな。なに、簡単だ。ヴィクトルを牢に入れ、そこでタルールの木を燃やせば良い。言っておくがな、お前の父親を牢に入れたのはサファルだぞ』
『嘘!』
『本当だ。サファルに聞いてみろ』
ミハイルはリゼットの腕を強い力で掴むと、サファルに向き合わせた。
リゼットは、王国語でサファルに尋ねた。
「サファル陛下、陛下が父を牢に入れたのですか?」
サファルは、ぐっと言葉に詰まり
〈ロナルドがそうしろとイったのだ! ジブンはウラギったと……〉
「お父様が裏切ったって? タルールを? お父様は誰よりもタルールの皆が大好きなのに?」
それを聞いて、サファルはグッと押し黙った。
……サファルもロナルドの「タルール愛」を、実はよく知っていたからだ。
ミハイルには、リゼットの王国語での問いかけの意味は分からないが、話はついたと判断した。ミハイルは、
『ロナルドの娘、分かっただろう。サファル王に、次はヴィクトルを牢に入れるよう伝えよ』
と言い、サファルもヤケくそ気味に、
〈ロナルドのムスメ、ジーラントジンにデていけとツタえよ!〉
とリゼットの脳内に、大きく響く思念を送ってきた。
タルールの王の強烈な思念に、リゼットは思わず耳を押さえた。
もうサファルの要求はミハイルに伝えたのだが、リゼットの話す帝国語は、母国語ではないので、サファルには伝わっていない。
そしてサファルの要求に対するミハイルの回答は、リゼットには母国語に訳せるものではない……。
何も言わないリゼットに対して、ミハイルもサファルも苛立っていた。
だが、先に短気を起こしたのはサファルの方だった。
〈ムスメ、なぜツタえぬ?〉
と思念で伝えながら、護衛のタルール兵士の間を抜けて、ペシャペシャと王族のサンダルの音を立てて、リゼットに近づいてきた。
ミハイルはその隙を逃がさず、部下に目で『サファルを捕らえよ』と合図した。その動きを察知したリゼットが、
「危ない! サファル様、逃げて!」
と注意したが、数で圧倒的に上回るタルール人兵士たちは、国王の無防備な行動に、警護の不意をつかれた。
……サファルはミハイルの部下に、あっけなく捕まってしまった。
サファルは地面から浮いた足を、バタバタさせて暴れている。
〈ロナルドのムスメ! ナニをしておる! ワレをハナせとツタえよ!〉
『何するの! サファル陛下を離して』
リゼットは慌ててミハイルに訴えた。
ミハイルも、先ほどから仕事をしない通訳の娘に苛立っていた。
『ヴィクトルを殺せば、お前たちの王を離してやる、と伝えろ』
リゼットはミハイルを睨んだ。
『伝えない! あなたがやっていることは、すでにタルール人たちの怒りを買っている!』
タルール人兵士たちからは、王を捕らえられ、怒りの足踏みダンスが始まっていた。
ミハイルはそんなタルール人たちをチラリと見ると鼻で笑い、反抗的なリゼットの胸ぐらを片手で捻り掴むと、至近距離から低い声で囁いた。
『ではヴィクトルの代わりに、お前が死ぬか?』
『ミハイル! リゼを離せ!』
ヴィクトルは焦って叫ぶ。
リゼットは真っ直ぐミハイルを見据えて言った。
『あなたは今すぐ、サファル陛下と私を離して……。ヴィクトル殿下に許しを得て……』
『フン、どうやら先に死にたいようだ』
ミハイルは、リゼットを掴んでいた手を一度離して、その首に手をかけた。
……細い首だ。少し力を込めただけでへし折れてしまいそうだ。
『ミハイル! やめろっ!』
ヴィクトルは剣を構え、ミハイルに切りかかろうとして、その部下に阻まれた。
それを見た両方の陣営の帝国人兵士が、いっせいに剣を抜く。
リゼットは、首にかけられた手に爪を立てて、苦しい息の中から、ミハイルに告げた。
『……お願い。……アレクシスが、来る、前に……』
『……俺が来る前に、……何だ?』
新たな人物の声がして、全員が王の間の入り口を見た。
そこには肩で息をし、恐ろしい怒りのオーラを背に負った、アレクシスがいた。




