第34話 ジャングル
外ではアーインが首をウンウン縦に振りながら、ウロウロしていた。そんな姿もかわいらしい。
リゼットが出て来たのを見て、パッと顔を上げ喜んだ顔を見せたが、次いでアレクシスが出てくると、ガックリ肩を下ろした。
アレクシスはアーインを一睨みし、
〈で、誰に会わそうと言うんだ? 俺にまで言えないのか?〉
と問いかけると、アーインは〈ヒー!〉とカン高い思念を上げ、
〈ワンチェシーさまっすぅ~〉
と答えた。
ワンチェシーは、タルール・シェグファ藩国の王子である。
リゼットも、ヴィクトルの通訳の仕事の際、何度か会ったことがある。何で彼がリゼットに会いたがるのか?
二人は不審に思ったが、とりあえず巨大馬のいる馬小屋に向かった。
アレクシスの巨大馬は、光沢を帯びた美しい黒い馬だった。
帝国からタルールに送られてきたものの、気難しい馬で誰も乗せたがらず、送り返されそうになっていたところを、アレクシスが引き取ったらしい。
そして忙しいアレクシスは、通いの馬番のタルール人を雇って、世話をさせているのだそうだ。
「名前は何て言うの?」
ヴィクトルの巨大馬は、巨大馬だから「キョバー」、オリガは馬肉を格好良く言ってみたという「ヴァニーク」。
二人のネーミングセンスをどうかと思っていたリゼットには、アレクシスがどんな名前をつけたか気になった。
〈エリサ〉
アレクシスは、鞍や荷物をエリサに載せながら教えてくれた。
「ふーん、女の子なのね。よろしく、エリサ」
リゼットはアレクシスのネーミングが普通なのに安堵した。
アレクシスはリゼットの腰を抱き、エリサに乗せてくれる。
気難しいというエリサが、リゼットを嫌がらずに乗せてくれたのでホッとすると、
「でも、何でエリサ?」
と、リゼットはエリサの名前について、その由来を質問した。
アレクシスはリゼットの後ろに自分も乗り込むと、トンと足でエリサのお腹を叩き発進させる。
先導するアーインの駝鳥に追い付いたところで、アレクシスが答えた。
〈エリザベス〉
「リゼット」も「エリサ」も、「エリザベス」の派生形の名前だ。
……ブワッとリゼットの顔に血液が集まる。
馬上の二人にしばらく「照れ」という名の沈黙が流れた。
***
二人を乗せた巨大馬は、夏の二回目の収穫を間近に控えた、広いトウモロコシ畑の中を進む。
二メール(m)を越えて成長するトウモロコシの畑を、上から眺めて駆け抜けるのは気分が良い。
リゼットは断熱マントを着て、フードを目深く被っているので視界はあまり広くない。
その為、懸命に首を動かして眺めているが、先程からずっと同じ景色が続いている。
畑はどこまでも果てしなく終わりがないように思え、ジーラント人の開拓に懸ける情熱を見た気がした。
リゼットの体は、アレクシスが支えてくれている。
ヴィクトルやオリガと騎乗した時には遠慮が先立ち、常に緊張していた。
アレクシスにも最初は確かに遠慮や緊張があったが、今はそれよりも、全てを委ねてしまえる、心地好い安堵感に包まれていた。
先導の駝鳥のスピードで走るので、巨大馬としては、それほどスピードを出しているわけではなかった。
それでもフードから覗くリゼットの顔を、バオアン平原のトウモロコシ畑のにおいの混じった熱風が、容赦なくなぶる。
アレクシスは時々片手で補水液を取り、リゼットに飲むように手渡してくれた。
とても過保護で、とても優しい、親切モードのアレクシスだ、とリゼットは思った。
バオアン平原の耕作地は、海に面する港町シーグーを先端として、シュイワン半島を奥へ奥へと開拓されていったので、奥へ進むほど、畑がまばらになる。
景色が背の高い草が生える草原一色に染まった頃、ジャングルが見えてきた。
リゼットはここまで遠くに来たのは初めてだった。
ジャングルに少し入ると、直射日光が遮られ、ジャングル独特の湿気に包まれる。
少し待ち合わせより早く着いたようで、早めに昼食を取ることにした。アーインは、現地調達の昼食らしく、食料を求めてさらに奥へと入っていってしまった。
***
タルールとは「森」という意味らしい。
リゼットの知る「森」は、もっと穏やかなイメージで、この場所とは程遠い。
長くは居られない蒸し暑さと、奇っ怪な植物に覆われた「ジャングル」という言葉こそ相応しい、と思った。
今まで、リゼットが知る「タルール・シェグファ藩国」とは「ジンシャーン居住区」のことだった。
最近はそれに「バオアンの広大な畑」のイメージが付いてきた。
だがこの「緑深きジャングル」の景色こそが、タルールの本来の姿なのだと改めて思った。
リゼットは座れそうな石の上にシートを敷いて腰かけた。
アレクシスはエリサに水を飲ませてから、リゼットの隣に座った。
リゼットは、不思議なジャングルを眺めながら、自分で詰めたいつものランチを食べ始めた。
アレクシスも朝リゼットが作った携帯焼きダーミィをお茶で流し込むと、「神の石」を弄り始めた。
「何してるの?」
〈現在地の確認〉
「ふーん、そんなことできるんだ。私にはただの半透明な石なのにね」
〈凡人だからな〉
「凡人じゃないもん! グレーンフィーン家の跡取り娘だし」
〈最後の貴重なグレーンフィーンだったな〉
そう、「星の理解者:グレーンフィーン」を名乗る資格があるのは、ロナルドとリゼットの二人だけ。
「もし私たちが結婚したら、子どもはグレーンフィーンの祝福が出るかな?」
リゼットは、初めてアレクシスと結婚する将来のことを考えてみた。
アレクシスが少し驚いたように、翡翠色の目でリゼットをじっと見ている。
アレクシスと目が合って、リゼットはどぎまぎしてしまった。
もう知り合って三年も経つのに、アレクシスの美しく整った顔に見つめられると、ダメだった。
……男性の顔に美しい、という表現はおかしいかもしれないが、リゼットにはそれ以外の言葉が見つからない。
アレクシスは、いつものようにニヤリと笑って
〈産むのはリゼだからな。まずはちゃんと色々発育不全なトコを育てなきゃな~〉
「うわ、ヒドイ! それは私の胸がないとか、そういうコト言ってるの?」
〈そんなことは言ってない。ま、たしかに胸はあんまり……〉
リゼットはそれ以上言わせまいと、アレクシスの口を手で押さえた。
アレクシスはリゼットと話すときは思念通話なので、口を押さえられても関係なかったが、そんなことすら忘れているリゼットが急に愛しくて、堪らなくなった。
リゼットの手首を掴んで、その手を自身の顔から引き剥がすと、真剣な眼差しでリゼットを見つめた。びくっとしているリゼットの顔に、ゆっくり近づく。
リゼットが瞳を閉じるのを感じながら、静かに唇を合わせる。自分も瞳を閉じ、そして、またゆっくり離れた。
***
……湿った風が通り過ぎ、遠くで啼いてる鳥の声が、耳に戻ってくる。
リゼットはゆっくり目を開けた。アレクシスの探るような瞳がリゼットを見ている。
リゼットは急に抱きついてしまいたくなって、座った姿勢のままアレクシスの胸に顔を隠した。アレクシスもギュッと両腕でリゼットを包む。
──アレクシスと婚約してから、一年……。プロポーズの言葉も、婚約指輪も貰ってない。
だけど、もういらないかも……。
──今、アレクシスの心のこもったキスを貰ってしまったから……。




