第21話 研究所開設
ヴィクトルは中等部卒業後、農業に従事する自分のかつてのペール仲間を集めて社会人チームを結成した。
名前はチーム・ヴィクトル。そのまんまだ。
活動日は週に一度の安息日のみ。全員が18才以下の若いチームだ。
他にも大人たちの社会人チームがあり、安息日は運動場が大人たちで独占される日もあった。
***
とある練習試合後の交流会。
いつもなら帰るアレクシスだが、ヴィクトルも濃ゆい相手と交流するのは疲れるのか、たまには付き合えとアレクシスは強制的に参加させられた。
ジンシャーンの敷地から通りを挟んだところに、帝国人が経営する帝国料理屋がある。今日の試合の出場者はほぼ参加したので、店は貸し切り状態だ。
小さなタルール人の従業員が大きなジーラント人の間をちょこまか動き、意思疎通出来ないジーラント人相手に、メニュー表の指差しで注文を取る。
アレクシスは一番端の席で、リゼットが見たら大喜びしそうなジャンクフードを食べることに専念していた。
今日の対戦相手である社会人チームは、既婚者が多く、酒の勢いもあって、その嫁が聞いたら怒り狂いそうな卑猥な暴露話が続いていた。
そして話は今日来ていないメンバーの話になった。どうやらそのメンバーの奥さんが流産したらしい。
「そりゃ今日ぐらいは付いていてやんなきゃな」
と、酒の場がしんみり静かになった。その暗い雰囲気で思い出したかのように、また一人が
「俺も嫁さんに生理が来ないから、出来たと思ったら違ったわ……」
と言う。生理不順というやつだったらしい。
その話で思い出したのか、ヴィクトルのチームの年配のメンバーも
「そういえば、俺も彼女妊娠させちまったと、焦ったことあったよ」
と、ハハハと笑って、笑えない笑い話に持っていこうとしたのに、もう頭の毛が薄い年配の既婚者がエールをグビっと飲み干し、グラスをドンと置いてから
「俺はタルールに来てずっと励んでいるけど、もう四年も授からないんだ!」
と言い、ドーンと雰囲気を元に戻した。
同じチームのメンバーも、どう反応していいか分からないらしく、シーンとなっていたところへ
「皆すげーな! 俺はそもそも嫁とそんな気分になんねーわ、ガハハ!」
と言って豪快に笑い飛ばすメンバーが現れ、話題はそのメンバーの鉄板ネタである鬼嫁伝説に変わり、酒の席は再び盛り上がっていった。
……アレクシスは一人、顔色を変えていた。
動揺を抑えようと、口許を手で隠していると、ヴィクトルが『どうした?』と聞いてきた。
アレクシスは急いで『なんでもない』と、ごまかした。
アレクシスはずっと、古代エアデーン人がタルールを放棄した理由を考えていた。
だから、今の会話とその理由が短絡的に結び付いてしまった。
……生殖機能への影響。
こんなただの酒の席の雑談で、まだ証拠も何もない。迂闊なことは言えなかった。
そういえば、リゼットは十四だ。……まだ、初潮が来ていないはず。たぶん。
それは遅いのか、普通なのか。
アレクシスは、自分に足りない知識がまだまだあることを知った。
***
交流会という名の宴会が終わり、アレクシスは家に帰った。リゼットは朝が早いので、もう寝ている時間だ。
アレクシスは、ロナルドの部屋をノックし、今日の会話と自分の仮説を聞いてもらった。
ロナルドは、「そりゃ、考え過ぎだよ」と話し半分で聞いていた。
だが、ロナルドに
〈リゼットの生理はいつ始まったとか、知ってる?〉
と問うと、アワアワとしだした。「男親としては、そういう話はタブーと言うか、なんというか……」と目が泳ぎ出す。
その反応は見てる分には面白かったが、やっぱりまだなんだ、と確信した。
四階で充魔電していた「神の石」を手に取り、検索をかける。
生理不順、不妊、精子減少、性欲減衰……これらを起こさせる外的要因は?
……様々な化学物質がヒットする。それらがタルールの何かに含まれていないか、大至急調べなければならない。
将来、リゼットをそのようなことで悩ませる訳にはいかなかった。
***
その翌日からアレクシスは動き出した。
ヴィクトルに、タルールで新生児が生まれた記録を調べてもらう。
それなりの数が生まれていたが、いずれも妊娠の判定は帝国本土で行われ、安定期になってからジンシャーンに来た妊婦の出産だった。
それも年々減少傾向にあり、ジンシャーンで妊娠から出産まで経験した妊婦は、統計を取り始めたこの四年ではゼロだった。
酒席の雑談からの着想は、統計上は今のところ誤った方向ではなさそうだ。
アレクシスは、バオアン平原の未開拓の農地を借り上げ、研究所を作ることにした。
目的はバオアン平原に適した農作物の研究、と説明した。
本当の目的は、バオアン平原で収穫される農作物に含まれる生殖機能阻害物質の存在の証明だ。
研究対象は農作物に限らず、土壌、水、空気成分など多岐に渡る予定だ。
気の遠くなるような作業となるが、やらねばならない。
年々タルールに渡る帝国人の世帯数は増えてきており、ジンシャーン居住区内がそろそろ手狭になってきたので、新たな居住区の開発の話も出ているらしい。
この研究の結果次第では、タルールに住む帝国人へ影響を与えるだけではない。
もしタルールで収穫された食料に原因があるのなら、それを食べた帝国本土に住む帝国人の健康被害、更なる人口減少を招く結果となり、その影響は計り知れない。
このような研究は「神の石」の力なしでは出来ない。
王国から自家発魔電設備を送ってもらい、研究所で充魔電を可能にした。
簡易のキッチンスペース、シャワー室と仮眠室を設置したので、家に帰る必要がなくなり、研究に没頭し、気がついたら翌朝、ということもあった。
研究所開設当初は、心配したリゼットが、食事をランチボックスに入れて持って来てくれていた。
だが、それが続くとロナルドは、リゼットの侍女の仕事をンケイラに任せ、ベテランのスーを通いの世話係として付けてくれた。これで食事や洗濯など、身の回りのことを気にすることなく研究に没頭出来た。
こんな生活はジンシャーンに来る前、塔にいた時以来だが、あの時とは違って充足感があった。
スーが来てから食生活は改善されたし、安息日はペールをするというヴィクトルとの約束もあり、体調管理も気を付けるようになった。
一度練習中にへたばったことがあってからは、毎日走り込みと筋トレを欠かさないようにした。
***
アレクシスがペールをする日は、リゼットも応援席にいた。
タルールの暑さでも断熱マントを着て、補水液持参で日陰に座っていれば、具合が悪くなることはなくなったらしい。
いつもンケイラと日傘を差して見に来ていたが、その日は現れなかった。
気になって、ンケイラに思念通信を繋いで尋ねた。
リゼットは、目に見える距離なら思念受信が出来るが、目に見えないと受信出来ないからだ。
送ってから気づいたが、タルール人は遠距離から送られたアレクシスの思念を「受信」することは出来るが、遠距離に「発信」することは出来なかった。
すると、坂の上からンケイラが、首を左右にブンブン振りながら(つまり急いで)下りてきた。
思念が届く距離に来ると、
〈アレクさま、おじょうさまはきょうはタイチョウフリョウでおやすみになられてますわ。ぜひおみまいにきてあげてほしいのですわ〉
──タイチョウフリョウ? 体調不良か。
この後、交流会と称した飲み会があるだけなので、〈練習が終わったら行く〉と伝えた。




