第112話 月夜の再会
明るい月の中に浮かんで見えた角翼竜は、だんだん大きくなり、物凄いスピードでグレーンフィーン伯爵家のカントリーハウスに近づいてきた。
角翼竜は着地の衝撃を和らげようと、玄関の外に出たリゼット、ジャック、トビーの頭上で、大きく羽ばたきを始めた。
巻き起こる強風に、三人は腕で顔を塞ぎ、目を閉じた。
ゆっくり高度を下げていくその背から、滑り降りた人影が、目を塞いだままのリゼットに、すっと駆け寄って、きつく抱き締めた。
目を開けたトビーが「誰だ!」と叫ぼうとした時、リゼットの小さな呟きが聞こえた。
「……アレクシス?」
トビーはハッとした。
その背の高い人物は、夏なのに踵まであるコートを羽織っており、顔は深いフードに覆われてよく見えない。
だが、あれがリゼットの元婚約者、セイレーン・アレクシスなのか?
リゼットの無事を確認して安心したのか、アレクシスはぐらりと揺れて倒れ込み、リゼットは慌ててその体を支えた。
膝から潰されそうになるリゼットを、すぐそばにいたジャックが手伝って、アレクシスを支えた。
そこへ、グレーンフィーンの祝福を持つ者達に、角翼竜ヴェータの思念が届いた。
〈御主人様は、帝国の魔鉱脈発見後、星の嵐を観測し、急いで王国に戻られました。星の塔が発するエアデーン王国を守る光の壁、アーエリオスの全魔力をグレーンフィーン領に近づく星の嵐を追い払う魔光幕に集中させました。アレクシス様はその間、わたくしの翼の上で仮眠を取る以外、殆ど寝ておられません。リゼット様のご無事を確認して、ほっとされたのでしょう〉
タルール人よりも高い知性を窺わせる角翼竜の言葉に、ジャックは驚いた。
「じゃあ、さっきの星の嵐を追いやった光のカーテンみたいなのはこの、アレクシス……様の、殿下のお陰ってことか? おい、トビー、お前そっち側支えろ」
トビーはジャックとは反対側に回って、黙ってアレクシスを支えた。アレクシスはまぶたを震わせ、薄く目を開けると、翡翠の瞳でジャックを睨んだ。
〈何故、お前が……ヴェータの言葉を聞いている?〉
ジャックは、アレクシスから初めて受信した思念通話にびっくりして、「ひぃ!」と変な声を上げた。
星の原住生物の思念を受信するのとはまた違う、声を出していない人間の声が、脳内に響く体験は、初めてだった。
「アレクシス、ジャックさんは……、ここにいるトビーもそうだけど……、グレーンフィーンなの。私、最後のグレーンフィーンじゃなかったの。今ではジャックさんがグレーンフィーン伯爵なのよ」
〈……そう……なの……か……〉
そう思念で伝えると、アレクシスの意識は落ちた。
ジャックとトビーは、二人がかりでアレクシスを家の中に運んでいった。
リゼットはその後から付いて行こうとして、ヴェータを振り返った。
ヴェータは、
〈わたくしもさすがに疲れましたので、休ませて頂きますわ。王国の夏は暑くて苦手ですの。リゼット様ともお話したいですし、明日の夜にまたお迎えに参りますと、アレクシス様にお伝えくださいましね〉
とリゼットに思念で伝えて、白く美しい翼を広げた。
月の光に照らされた明るい夜空に、再び風を巻き起こしながら浮かび上がり、大きく旋回し高度を上げると、ヴェータは北へ向かって飛び立っていった。
***
ジャックは、意識を無くしたアレクシスを家の中に運んだが、空いているベッドがなかった。
一国の王子、しかもどうやらグレーンフィーン領を星の嵐から救ってくれたらしい英雄を、避難民と一緒に雑魚寝させるわけにはいかない。
「そのお方は、セイレーン・アレクシス様なんじゃろ。ワシのベッドで申し訳ないが、寝かせて差し上げろ」
長年執事としてグレーンフィーン家に仕えていたネリーの父、ジョン・ハースマンが申し出た。
リゼットが礼を言うと、
「何の。アレクシス様はお嬢様が心配で、帝国から会いに来てくださったんじゃろ? よかったですな、お嬢様」
と言って、ジョンはにっこりリゼットに微笑んだ。
ジョン夫妻の寝室では、妻のマリアが急いでシーツをバタバタと振り払った後、裏返して装着していた。
「王子様を寝かせるのに、替えのシーツがなくて申し訳ないわ……。裏返してもジジィ臭はするだろうけど、我慢して頂かないと……」
「ジジィ臭とはなんじゃ!」
憤慨するジョンを余所に、メイキングを終えたベッドの上に、アレクシスはそうっと寝かされた。ジャックが靴を脱がしている。
リゼットはその作業を固唾を飲んで見守った。
「さ、ワシはリビングで寝るとして、殿下の隣のベッドでは婆さんが寝るわけか……」
「私一人では嫌ですよ! 何かあったらどうするんです? 貴方も一緒に寝てください!」
──婆さん相手じゃ何もないだろ、と誰しもが思ったが、ジョンは妻のマリアのシングルベッドで、一緒に眠ることになった。
時刻は夜中の十二時を過ぎていた。
魔光幕の強烈な光で起こされていた避難民たちも、再び雑魚寝を始めた。停魔電は続いており、空調は止まったままだ。
開け放した窓からは、夏の湿った風が通り抜け、明るい月の光が差している。
ジャックも大きなあくびをした。自分のベッドは年寄りの領民に譲っている。
帝国の魔鉱脈から、王国の最南端ヴォリアーシャ地方グレーンフィーン領まで、翼竜に乗って恐ろしいスピードで「元婚約者」に会いにやって来た青年……。
明日の朝、彼が目覚めると、別な嵐がやって来そうな予感がした。
トビーはリビングですでに熟睡していた。寝付きの良さは新グレーンフィーン家の者達の特徴だ。
ジャックもその横にごろりと寝そべると、目を閉じた。……そして、自分も秒で眠りについた。
***
リゼットも階段を上がり、義妹達の部屋に戻った。
義妹達は眠りについてから、一度も目を覚まさなかった。
……こんな大きな嵐の、激しく打ち付ける雨や風の音にも、部屋の中が昼の様に照らされた光にも、空調が切れて寝苦しい暑さにも……。
リゼットは、義妹達のおでこや背中にかいている汗を、タオルで拭き取ってやった。
うつ伏せにしたり、仰向けにしたりしたのに、やはり目覚めない。
ある意味逞しいな、とリゼットは思った。
──逞しいと言えば……。
再会したアレクシスの髭は、うっすら伸びていた。無精髭を生やしたアレクシスなんて初めて見た。
男性的な凄味を増していて、リゼットの知っているアレクシスではなかった。
……ちょっと怖いと思った。
だが、ヴェータの起こす風の中で抱き締められながら、リゼットは確かにアレクシスの思念を聞いた。
〈遅くなってすまなかった〉
そう彼は伝えてきた。
アレクシスからは、痛いほどの愛情を感じた。抱き締める腕の力も痛かった……。
──アレクシスはまだ私のことを好きでいてくれた。多分、婚約破棄のことも、知らないだけなのかも……。
リゼットは頬の筋肉が自然と緩むのを感じた。
ベッド脇の床に座り、義妹達のあどけない幸せそうな寝顔を眺めているうちに、リゼットも眠りに落ちた。




